112.狂っていく
狂っていく1
校内は残暑の暑苦しさに支配されていた。
全開の窓から温い風が入り込み、廊下を歩く俺たちの頬を撫でていく。自然と滲んでくる額の汗を手首で拭いながら、重い足取りで陣の後に続いた。
部室のある三階に上がる前に、皆息が切れていた。
特に、この異常な暑さに免疫のないモニカとノエルは、明らかに辛そうだった。
「砂漠も……、酷かった、です、けど、ここは、もっと、酷い……ですね」
途切れ途切れに言葉を繋いで文章にするモニカ。部室に着く前に力尽きそうな声でボソリと言った。
「こんな暑いところに住んでるなんて、リアレイトの連中は物好きだよな。涼しくする設備はないのかよ」
俺より体力の有り余ってそうなノエルも、いつもの覇気がない。
「残念だけど、冷房が効いてるのは一部だけだから。ほら、もう少し」
励ましながら階段を上がっていく途中で、何人かとすれ違った。あれは華道部の女子か。一応夏休み中も部活をしているということなのだろうか。生けた花の残りなのか、小さな花束を持ってお喋りしながら楽しそうに歩いて行った。
軽音部の部室付近からは軽快なドラム音と下手なギターの音が聞こえていたし、外では運動部がランニングするかけ声、ボールがバットに当たった音、監督や顧問の怒鳴り声と共に部員たちの返事やらざわめきやらが絶えず聞こえてくる。
そういえば、夏休み最後の一週間は後期補習もあると言っていた。前期補習で終わりきらなかったヤツや呼び出しを食らった一部の生徒だけが受ける補習だ。俺も一応数日来るように言われていたっけなどと、ふと余計なことを思い出す。まぁ、“表”から存在を消されてしまった俺には全く関係のないことなのだけど、ひと月以上休んで勉強が追いつかなかったことや、このままだと留年するよと忠告されたことが急に頭の中を去来する。
日常というものが消え、俺にはレグルノーラしかなくなった。
普通の高校生という立場さえ、テラの封印が解けるのと一緒にどこかに行ってしまった。今はこの学校の生徒としてではなく、あくまでレグルノーラから救世主としてこの場に居る。
時間は不可逆だ。
時空嵐に巻き込まれて過去に行っても、結局未来は変わらなかった。
俺は“表”から消えたのだし、芝山も帰ってこない。
陣は芝山について何も話さなかったが、恐らく“表”でもヤツは死ぬ。もしくは既に死んでいる。
砂漠の時間の流れは、他とは違う。だから、今この時間がシバを殺したのより前なのかあとなのかさえ判断が付かない。そのことを考えると空恐ろしくなる。
陣は始終無言だった。
それがまた、不気味で仕方なかった。
文化系の部室が並ぶ廊下を通り、Rユニオンの紙が貼られた戸の前に立つ。芝山がデザインした趣味の悪いロゴは、夏の日差しに焼かれて若干色褪せてきていた。
陣は三回ノックしてからゆっくりと戸を開けた。
「居る?」
中から涼しい空気がすうっと染み出てくる。
ガタンと椅子が勢いよく倒れる音。それから大きな足音が幾つか聞こえた。
「――凌!」
正面から声がして、陣がサッと道を空けた。
目に飛び込んできたのは、明るい茶髪。顔を確認する間もなく、俺の胸へと突進したのは紛れもなく。
「美桜……!」
彼女のか細い腕が背中に回る。俺も彼女の体をひしと抱く。
そうだ、この感触。
柔らかい髪、抱き心地のいい身体、優しい匂い。
「凌、会いたかった……!」
腕の中で美桜は震えていた。それがなんとも愛おしくて、俺は一層力を入れて強く抱いた。
竜石を探しに行く直前にレグルノーラで会ったばかりだったのに、なんだかとても長い間会わなかったみたいに、俺たちは互いの感触を確かめた。
「ん……、んんっ。お楽しみのところ悪いんだけど、出入り口でそういうの止めて欲しいんだよねぇ……」
室内からもう一人の声がして顔を上げると、須川怜依奈が不機嫌そうに仁王立ちをしているのが見えた。
そういや須川は俺に気があったんだった。三角関係大歓迎宣言をしている彼女からしたら、この状態はとても看過できないに違いない。
「そうですね、私たちも早く入りたいですね」
後ろからもあからさまに不機嫌な声がする。モニカだ。
「あ、ああ、ゴメン。美桜、中入ろ」
しどろもどろに周囲を見渡すと、陣とノエルがご愁傷様とばかりに哀れみの目で見ていて、妙にチクチクする。
美桜の抱擁を解き、少し落ち着いたかと声をかけて彼女がうなずくのを確認してから俺たちは部室へと入った。
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