すべてを失う3

 淡々と語る美桜の言葉の一つ一つが、胸に刺さった。

 母が俺を『知らない』――?

 これが何よりショックで。

 俺はその言葉を聞いたとき、こみ上げてくる悲しみを堪えきれずに泣いてしまった。



 ――『堰に落ちて死んだ』



 そうか、そういうことか。

 俺はあのとき死んだのだ。

 農繁期の堰は流れが急だった。水も冷たかった。

 薄れる意識の中でレグルノーラに初めて飛び、幼い美桜と会った。


 俺はそのまま、死んだのだ。


 もしかしたら、俺は夢を見ていたのかもしれない。助かって、大きく成長した夢を。

 本当は堰の中で冷たくなって見つかって、小さな棺に入れられ燃やされて骨になったのだ。

 そう考えれば。


 俺は”最初から存在しなかったのだ”と考えれば。


 高校に入り美桜と再会したのも、彼女に『見つけた』と言われたのも、“干渉者”として変な力を身につけて魔物と戦ったのも、命懸けで世界を守れと言われたのも、彼女に泣かれたのも、キスをしたのも、全部全部全部全部夢だと思えば。


「ご……めんなさい、凌」


 美桜が服の裾を強く握ってきた。


「違う。ごめんなさい。こんなつもりじゃ」


 どうしよう。

 涙と鼻水が止まらない。


「違うの。違うのよ。そうじゃなくて」


「何ぁ、違ぅんだよ」


 言葉が、きちんと発音できない。


「私たちは知ってる。凌が生きてきたこと、頑張ってきたこと。だから、それを取り戻したい。そのためにはどんなことでもする。そういう覚悟だってこと。お願い……、泣かないで。ねぇ、泣かないでよ」


 涙が止めどなく出た。

 俺は死んだ。

 四歳で死んだ。

 竜化して戻らなくなったときより、テラに乗っ取られたときより、その事実がずっと堪えた。





■━■━■━■━■━■━■━■





 人間ってのは、誰かと繋がって、初めて“生きてる”んだ。


 教室の中で誰にも興味ないつもりで孤独を決め込んでいても、それを見ている誰かが居る。

 ほんの些細な出来事を恩に感じて慕ってくるヤツ、勘違いから突っかかってくるヤツ、勝手なライバル心で無駄にくっついてくるヤツ。いろんなヤツが居る。

 闇の中でぽつんとたたずんでいるように見えて、本当は周囲にいろんなものがあるのを見ようとしていなかっただけだった。


 馬鹿じゃないか。

 カッコつけて”ぼっち”を決め込んで。


 誰ともつるまない? 違う、つるめなかった。


 周囲の目が気になって、俺は必死に目と耳を塞いでいた。

 本当はもっと関わり合いたかった癖に、知らないフリをしてどうにか逃れたかった。


 何から?



 ――臆病な自分から。





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 泣き腫らした顔を見せたくなくて、その晩は一人で過ごした。

 心配したメイドのセラとルラが交互に様子を見に来てくれたが、丁重に断った。

 頭の中でテラが何か喋ろうとするのを感じては無視した。


 一人になりたかった。


 覚悟だなんて簡単な言葉で表現するようなことはしたくなかった。

 俺は自分の立場と生き方を、短い期間で自分自身にハッキリと思い知らせねばならなかった。


 人はいずれ死ぬ。

 どんな状況で命を失うかはさておき、いずれ死ぬ。


 この命を最大限に生かしながら、どうにかこうにか与えられた使命をこなしつつ、全てを解決に導かなければならない。

 テラの言うこともわかる。

 ディアナやマシュー翁の言うこともわかる。

 シバの言うこともわかる。

 当然、美桜の言うこともよくわかっている。


 あの強大な竜とどうやって戦うのか考えなければならない。

 命を捨てる覚悟で挑んだところで何も起きないのは百も承知で、あの竜を倒し、悪魔を排除しなければならない。


 逃げれば、呪いで俺は死ぬ。

 逃げなくても死ぬ。


 どうせ死ぬなら――、せめて全部終わってから、見届けてから死にたいよな。





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「スッキリとしたようじゃの」


 とマシュー翁が言った。


「はい。お陰様で。その節は竜が無礼を」


 と、俺は頭を下げた。

 干渉者協会の会長室は相変わらず本の山だ。レトロチックな雰囲気は独特の威厳を感じさせる。

 モニカとノエルを従え、俺は再び教会を訪れていた。どうしても、マシュー翁に会わねばならなかった。


「そろそろ来るころではないかと思っていたのじゃ。そなたはあの本の秘密を知りたいのじゃろう。黒く書かれた中に何が書いてあったのか」


 マシュー翁は長く伸びた眉毛をハの字にして、俺に静かに微笑みかけてきた。


「はい」


 と俺は短く返事し、マシュー翁が例の本を執務机の中央に広げるのをじっと見ていた。


「黒塗りの部分はの、儂らには全く読めぬのじゃが、真に救世主となり得る若者が現れればその者には難なく読めると、そういう風に聞いておる。……どういう意味か、そなたには何となく見当が付いているのではあるまいか。先日読めなかった部分がもし読めたとしたら、そなたは真に救世主として認められた証となろう。……怖いか」


「いいえ」


「よい、面構えじゃ。この数日でまた、人が違ったの」


 マシュー翁は全てを見透かすように、小さく笑った。

 分厚い古書のページがめくられ、様々な文字が目の前を通り過ぎていった。レグルノーラの歴史、魔法について、過去の災い、白い竜、そして救世主。

 赤い石を持つ青年の図柄と金色竜。

 俺は執務机に広げられた本に近づき、そっとそのページにある黒塗りの部分に手を触れてみた。赤い石を持った青年がコントロールに苦労した記述の先。そこから先に何があるのか、どうしても知りたかった。

 指で撫でると、そこから消しゴムをかけたように黒塗りが消えていった。そう見えた。





**********





≪竜石は竜の力を上手く封じ込めたが、同時にリアレイトの干渉者から過去を奪った。リアレイトの干渉者は徐々に人間らしさを失い、やがて完全なる竜人となって白き竜に立ち向かった。

 白き竜は彼に苛立ち、リアレイトに侵攻した。街は炎に包まれ、空も海も赤く染まった。

 リアレイトの干渉者は竜人となっても尚これに立ち向かい、二つの世界の狭間に自らの命をもって白き竜を封じた。白き竜はその封印を解くことができず、姿を消したと言われている。

 リアレイトの干渉者の死と同時に金色竜の力を封じ込めていた竜石は砕け散ったとされる。あるじを失った金色竜は卵に還り、洞穴の奥で他の卵と共に眠りに就いた。目印はなく、どの卵が金色竜のそれであるのか、探る術はない。≫

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