82.不可能を可能に

不可能を可能に1

「滅茶苦茶だな。かの竜と俺、比べる対象を間違えてる」


 汗を掻くどころの話ではない。震える。

 美桜はかの竜のことを知らないのか。ディアナがわざと情報を遮断していたのだという予想は付くが、それにしたって……!

 見たことのないもの、想像しにくいことに関しては恐怖を抱きにくいってのはわかる。俺だって、巨大な白い竜の姿を目にするまでは、心のどこかでなんとか出来ると思っていた。


「深紅なら、きっと知恵を貸してくれるわよ。さぁ、わかったら召喚して。ここは私と芝山君で食い止める。――芝山君、武器を出して」


「え? あ?」


 会議室の隅で、芝山が間抜けな声を出す。


「武器、出して。狭い室内だし、飛び道具は止めてね」


 美桜は芝山にも平然と無茶振りをする。


「え、ちょ、武器? “こっち”で?」


「ええ。今」


「それはちょっと無理があるんじゃないかな……っていうか、“表”じゃ“力”は」


「私も凌も、力は使えてる。要は気合いの問題。帆船のおさは普段、武器は何使ってるの? 剣の種類は?」


「サ、サーベル……」


「サーベルね」


 美桜は一度うなずいて、


「受け取って」


 パッと芝山に左の手のひらを向けた。


「え? あ、うわぁああっ」


 芝山の声と同時に、金属音が会議室に鳴り響いた。その足元には、美しい装飾を施した銀のサーベルが。

 すごい。具現化するまでのスピードが半端ない。


「凌、何見てるの。召喚は」


 目を丸くして一部始終に釘付けになっていた俺を、美桜はギリッと睨み付けた。


「わ、わかってる」


 窓際まで下がり、一旦会議室の中をグルッと見まわす。

 入り口を塞ぐようにしてリザードマン。芝山は倒れたホワイトボードの直ぐそばの壁に。美桜は部屋の中央からやや外れた場所で剣を握り、須川は窓際の隅っこでどうしたらいいのかわからず頭を抱えて丸くなっている。

 こんな狭いところにテラを召喚しろだなんて、美桜はやっぱりイカれてる。けど、この追い詰められた状況では必要なことなのかもしれない。


「――行くわよ、芝山君」


 言うやいなや、美桜は足を蹴り出し、リザードマンめがけて剣を振るった。乱れる三つ編み、盾で剣が弾かれる音。


「動きづらい……! こんなことになるんだったら、可愛い格好なんかしてこなきゃ良かった」


 吐き捨てるように美桜が言う。くるぶしまでの長めのスカートが足に絡まり、思うように動けないらしい。

 もしかして、先に解決すべきはそっちか。自分の服装なら替えることはできたけど、同じ要領で良いなら。

 右の手のひらを美桜に向け、思いっきり力を込める。

 次の瞬間、美桜はレグルノーラでのいつものスタイル――丈の短い灰色ワンピースとスパッツ姿に。

 美桜が一瞬動きを止める。俺の方をチラッと見て、もしかして凌がやったのかと目を丸くしている。強くうなずき返してやると、美桜は小さくありがとうと呟き、リザードマンの方に向き直った。


「え? あれ? 美桜?」


 何の前触れもなく服装を変えた美桜に驚き、呆然とする芝山。サーベルを握ったまま立ち尽くしているのを、美桜が叱る。


「芝山君、動いて!」


「は、はい!」


 居眠り中突然先生に声をかけられた生徒みたいな返事をして、芝山はようやくサーベルを構えた。おさのときと違ってタッパが足りないのか、何となくバランスが悪い。

 リザードマンの正体が正体だけに、芝山は腰が重そうだ。わかる。わかるけど、足止めだと思って頑張ってくれ……!

 俺はようやく、テラを召喚するための魔法陣を床に描き始めた。まずは直径1メートルほどの二重円。内側の円にダビデの星を描く。

 部屋の隅で縮こまっていた須川がふいに立ち上がり、空っぽの魔法陣を覗き込んだ。


「ねぇ、何、してるの」


 集中力が途切れそうになる。できれば話しかけて欲しくはないが、かといって足蹴にするわけにもいかない。


「下がってて。成功するかどうかわからない」


 手で須川を制止して、意識だけは逸らさないよう心がける。


 ――“従順なる我が竜をあるじの名においてレグルノーラより召喚する”


 この命令文で大丈夫かどうか。まずはやってみるしかない。

 全ての力を魔法陣に注ぎ込む。文字を刻み終えると、魔法陣は一層光を増した。

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