毒2

「……正直に言うと、治癒魔法はあまり得意じゃない」


 突然に、陣はとんでもないことを告白する。額に脂汗が滾っているところを見ると、それは真実らしい。陣郁馬の、見たこともない憔悴した顔に、俺はある意味覚悟を決めなければいけないのだろうかと思い始めていた。


「シバ、こっちに。手伝って」


 呼ばれた芝山はオロオロとしながらも、へたり込む須川を放ってこちらへと足を向けた。

 その間に陣は傷口が上になるよう、美桜の身体を傾けて、その10センチ程上の空間に空っぽの魔法陣を描き始めた。


「毒を抜く。力を貸して」


 陣は険しい顔で俺と芝山を交互に見た。

 俺は強くうなずいたが、芝山は戸惑い、


「“こっち”で“力”を使ったことなんか」


 と言うが、


「安心しろ。俺もまともに“こっち”で“力”使ったの、初めてだから」


 何とか納得させ、二人、手を差し出した。

 直径30センチの小さな魔法陣に、レグルの文字が刻まれていく。相変わらずまともには読めないが……“毒”それから“消し去る”くらいは何となくわかる。全ての文字が埋まるのが合図、せーのと声には出さないが思い切り、力を注ぐ。魔法陣が桃色に光る。

 美桜の身体が桃色の淡い光に包まれ、身体の奥底にまで入り込もうとしていた黒いモノが、徐々に抜けていくのが見えた。黒いモノは湯気のように空気に溶け込み消えていく。

 深かった傷口も徐々に塞がれて、ほんの少しだが、血色も戻ったような気がする。


「あと少し。シバ、もう少し踏ん張って」


 芝山は無言でうなずいて、ギリと奥歯を噛んだ。

 俺も残っている全ての力を注ぐ。

 美桜がゆっくりと目を開いた。頭を動かして、俺の顔を見つけると何か呟く。

 ――ゴメンね。

 気のせいか、そんな風に唇が動いたような。


「先生、こっち」


 ふいに声がした。足音、ざわめき。

 教室で騒ぎに巻き込まれた誰かが人を呼んだのか。廊下に突き抜けた黒大蛇でも目撃したのか。

 こんなところ、誰かに見られたら。

 芝山が廊下を覗く。


「どうした? 何かあったのか」


 あれは担任の。


「あ、いえ。何も」


 声の響きから察するに、まだ近くにまでは来ていない。それでも、廊下の長さなんてたかがしれてる。こんな状況、説明のしようがない。


「凌、悪いけど、美桜のこと頼む」


 陣が突然、肩を叩いた。


「部屋に連れてって。僕とシバはここを大急ぎで元に戻す」


「まさか、魔法で?」


「他に何だよ。まさか怪我人担いで連れてくの? 傷口は軽く塞いだだけだから気をつけて。転移魔法くらいお手の物だろ?」


「ば……買い被りすぎだ」


 大体、魔法発動自体があり得ない状態なんだ。物理法則を無視したような“向こうの世界”と一緒にされちゃ困る。“こっち”は現実。人間がひょいひょいと魔法で移動できるわけ。


「四の五の言ってる場合じゃない。さっさと頼む。――シバ、こっちも急がないとマズい。補助頼む」


「だけどボクは二次干渉者で、一次干渉者の影響がなくなると力が」


「だったら、消えていなくなる前に力を使ったらいいんだよ」


 陣のヤツ、言いたい放題言いやがる。

 が、彼の言うことには一理ある。仕方ない。あらぬ疑いかけられ、これ以上面倒に巻き込まれるのはゴメンだ。

 転移魔法――以前、過去の世界でディアナに森に連れてって貰ったときに体感した。あのときは目を瞑っただけで何にもしちゃいなかったが、あんな感じで飛べばいいのは何となくわかる。

 “こっち”と“あっち”、二つの世界の間で物を移動させる魔法ってのも見た。美桜が隠し持っていた銃器を森の小屋に持ってったときのアレだ。たくさんの物を移動させるときは魔法陣を描かないとうまく発動しないんだとか。

 俺にできるのだろうか。明らかに実力を超えた課題を押しつけられ、正直なところ身体の震えが止まらない。失敗したら美桜の命が危ないってのに、俺はなんて肝の小さい男なんだ。

 陣が立ち上がり、大きめの魔法陣を教室の中心に描き出す。

 俺は美桜の首と膝の裏に腕を入れて、美桜の身体をゆっくりと抱え上げた。力の抜けた身体は思っていたよりもずっと重くて、体力を使い果たした膝にズッシリくる。右腕に乗った美桜の頭が少し動く。直後に、彼女の右手が首を支える俺の手に触れた。

 ――大丈夫。

 彼女の唇がそう話す。

 立ち膝のまま、教室の床、自分の真下に魔法陣を描く。直径一メートルほどのそれに刻むのは移動魔法の命令文。


 ――“美桜の自室へ二人を運べ”


 こんなので果たして飛べるのか。いや、イメージしたことをそのまま力に変えるのが“干渉者”。どんな陳腐な命令文だって、イメージさえしっかり整っていれば発動する。美桜のあの、女の子らしい可愛い部屋へ。家政婦の飯田さんが待っているマンションへ。

 魔法陣が光る。俺と美桜を光が包み込んでいく。

 陣の描いた魔法陣が発動し、教室の机や椅子が自動で元に戻っていくのが傍目に見えた。

 目を瞑る。イメージを加速させる。

 イメージの上に、更にくっきりとしたイメージが重なる。

 美桜か。彼女の力が重なって、魔法陣は確実に俺たちを運ぶ――。





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