焦り3

 夏休みは直ぐそこに迫っている。つまり、二次干渉者を捜せというジークからの難題を、俺は早急に何とかしなければならないのだ。

 芝山の助言通り、美桜に乗っかってレグルノーラに飛んでみるか。だがそんなこと、一度もやったことはない。

 以前は確かに、一人で飛べず、美桜の力を借りていた。彼女の手に触れ、ゆっくりと目を瞑り感覚を研ぎ澄ませば、彼女と共に“向こう”に飛ぶことができた。自転車に手を添えるから自分で漕いでみなさいと、そういうことだ。接触から非接触へ、少しずつだが彼女の介助なしに飛べるようになっていった。

 彼女と共に地面に吸い込まれていくような錯覚は、今はもうない。自分の力だけで飛べるようになると、以前の感覚はすっかりと忘れてしまったのだ。

 彼女の力の渦に呑まれる蟻になりなさいと言われて、はいわかりましたと、そう単純にはいかない。

 考えを改めなければいけない。

 今まであまり感じようとしなかった“芳野美桜の力の範囲”を肌で感じ取り、そこに身を委ねる方法を短期間で身につけなければならない。

 ある意味数学の問題よりも難しいそれに、俺は頭を悩ませた。

 彼女の力は確かに凄い。その影響力も大きいはずだ。そんなのはわかりきってる。

 難しいな。芝山のヤツは簡単に二次干渉者の影響元を変えることもできたってのに。……って、俺の魔法が成功したお陰か。うむ。

 イマイチ頭に入らない日本史の授業を聞きつつ、俺はぼんやりと二次干渉者について考えていた。美桜の影響下で意識的、または無意識的にレグルノーラに飛んでいる人間が芝山入れて少なくとも三、四人。今、この瞬間にも彼らは“向こう”に意識を飛ばしているかもしれない。それを、どう探るか、だ。

 頬杖をつき、黒板を眺めながら考える。

 開け放った教室の窓から、学校の外の些細な音が聞こえていた。車の排気音や、風で葉がこすれる音。野鳥の鳴き声や、グラウンドで他のクラスが体育の授業をしている音。

 耳が様々な細かい音を捉えるように、俺の第六感も、教室に渦巻く力の波動を感じ取れないだろうか。“ゲート”という目に見えない時空の歪みを感じ取れれば。その力を借りて異界の地へ飛ぶ誰かの意識を、感じ取ることができれば。

 集中するんだ。

 前の席に座る美桜の背中を見つめながら、俺はじっと神経を研ぎ澄ます。

 彼女は今、レグルノーラへ飛んでいるのだろうか。いや――そんなことはなさそうだ。教科書をめくる手が見える。意識がこちら側にある証拠だ。それでも、何となく目の前が歪んで見えるのは、やはりゲートの影響ということなのかもしれない。

 そもそも、ゲートがどんなものか目視でわかるのかどうかすら怪しいが、俺はどうやら色や歪みを察知する能力を身に着けているということなのだから、悪意に繋がる黒い気配だけじゃなくて、別の色も見えて然るべきだ。

 魔法が発動するとき、魔法陣がその効果によって様々な色に光り輝くように、穏やかな気配には暖色系の、凜とした気配には寒色系のオーラが見えてもいいのじゃないか。

 神経を研ぎ澄ます。

 美桜は……、何色というのだろう。色彩には疎い。深めの青に深めの緑色を足して混ぜたような、複雑な色を纏っているように見える。そこに白が混じってマーブルになり、完全に溶け合うことのないそれが、美桜の周囲に広がって教室の端々にまで伸びている。

 残念なことに、これが自分の目を通して見えている光景なのか、それとも脳内で勝手に作り出してしまったものなのか、俺に判断する術はない。

 昏睡から目覚めた後、俺の目には世界が歪んで見えた。様々な色が混じり合って本当の色なのか錯覚なのかもわからず、頭痛に悩まされた。

 今見えているこれも――、彼女の放つ力が見えているのかどうか。


「来澄、教科書の125P下から二行目読んで」


 日本史の男性教諭の声で目が覚めた。


「あ、あ、はい」


 目をしばたかせて慌てて立ち上がり、教科書をめくる。

 授業中に何かやろうとするのは、やはりハードルが高い。

 せめてもう少し心に余裕のありそうな授業のときじゃないと難しいか。俺は指されたところを読み終えて、ゆっくりと息を吐きながら席に着いた。





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