49.かの竜

かの竜1

 ディアナが杖の根元で勢いよく突いた瞬間、獣剣は奇声を上げて粉々に砕け散った。

 雨の上がった草地に散乱する肉片、血だまりを蔑視して、ディアナは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。

 美しかった小屋前の草地には五人衆らの死体が転がり、周囲の木々はなぎ倒され、あちこち焼け焦げている。

 ほんの少し前までは平穏でゆったりとした時間が流れていたのに。

 残酷だ。

 残酷すぎる。


「美幸と美桜が無事なら、それでいい。守ってやると言ったのに、こんな目に遭わせてしまうなんて、私もまだまだだね」


 呆けて立ち尽くす俺の隣で、ディアナがそう呟いた。


「十分、力は尽くしたと思いますよ」


 慰めにしかならないと知りつつ、俺は言った。


「ありがとう、凌。お前が居なかったら、恐らくもっと悲惨な結果になっていた」


 果たして、賞賛されるほどの戦いができたのかどうか。お世辞かもしれなかったが、ディアナの言葉は、疲れ切った心を少しだけ癒やしてくれる。


「二人は小屋の中に居るんだったね。少し、様子を見ていこう。――お前たち、ご苦労だった。各々解散しておくれ」


 振り向き、笑顔を見せて能力者たちを労うと、ディアナはおもむろに小屋へと足を向けた。

 ディアナの言葉を聞いて、能力者たちは敬礼し、それぞれ魔法陣を出現させては消えていく。言葉を交わすことすらなかったが、戦い方を見ているだけでも、彼らがディアナを慕っているのがよくわかった。

 俺は場を立ち去る彼らに深々と礼をして、それからディアナの後を追った。

 小屋の軒下には、黒い竜の子が横たわっていた。疲れ切った様子で首をもたげ、中の様子を心配そうに覗っている。契約は済んだのだろうか。終わったのだとしたら、確かリリィという名前を付けられているはずだ。

 リリィに、ちょっと見てくるよと声をかけ、小屋の外階段を駆け上がる。大丈夫、直ぐに終わってご主人様とゆっくり過ごせるさと心の中でリリィに言って、玄関前まで行くが――、様子が、おかしい。

 開け放したドアの直ぐそこで、ディアナが杖を構えている。

 気のせいか、酷く震えているように見える。


「ディ……アナ?」


 声をかけるが、後ろを振り向く余裕すらないようだ。


「何をしている。ここで何をしているのだ!」


 ディアナが怒号をあげる。

 室内には美幸と美桜、それからテラしか居ないはず。じゃ……、テラが何かやらかしてるのか?

 赤いマントの背後から室内を覗く。

 あれ。テラのヤツ、『あとは私が』とか言っておきながら、壁により掛かって寝て……違う、気を失っている。


「テラ!」


 中に入ろうとする俺を、ディアナが静止した。


「ダメだ、凌。お前が敵う相手ではない」


 どういうことだ。他にも人が?

 目線を上げ、周囲を見まわす。暖炉の前で毛布に包まれ横たわる小さな美桜。その隣に……美幸の姿がない

 黒い人影。

 黒い丈長のマント、黒い服、黒のブーツ。背の高い、男。無造作に後ろに流した肩まで伸びる長い黒髪。そして、キリリと整った眉に、切れ長の目。細身だがしっかりと筋肉を付けているのだろう、両腕に美幸をお姫様だっこにして抱え、彼は暖炉の直ぐそばに立っていた。


「砂漠へ……、時空の狭間に戻ったのではなかったのか」


 ディアナが言うと、男はククッと肩で笑う。


「妙な気配を感じた。酷い有様だ。人間とはかくも卑しい生き物なのだと、改めて思い知らされる」


 低い、声。

 感情を抑えたような、何を考えているのか底の知れない声。


「誰かを守ろうとする者、異端を排除しようとする者、支えようとする者、滅ぼそうとする者。人間たちの様々な姿が私を楽しませた。だが……、あまりの愚かさに、私は憤慨した。失望した」


 言葉の一つ一つが、彼の怒りの大きさを伝えてくる。


「し……、失望するのは勝手だけどね。好き放題やらかして姿を消したあんたの後始末をしてる、こっちの身にもなって欲しいもんだよ。美幸と美桜が今どんな状況に置かれているのか知ってるんだろう。庇いきれないよ。どんなに私が力を持っていたとしても、束になってかかられたんじゃ、制しようがない。これで済んだのは不幸中の幸いだと思うね。そこは、わかってるのかい?」


 ディアナはすっかり顔を引きつらせていた。いつもの覇気がない。怯えている、震えていると、俺が見たって直ぐにわかってしまうほど、恐怖で真っ青だった。

 パチパチと暖炉の火が燃える、その暖かな光を打ち消すように、男は美幸を抱きかかえたまま悠然と歩き出し、俺とディアナの視界を塞いだ。

 眼前にまで迫った男は、とても端整な顔立ちをしていたが、立ち上る冷気のようなひんやりとした空気を身に纏っていた。

 男は無表情に、自分に向けられたディアナの杖先を見つめた。途端に、ディアナの手から杖がこぼれ落ちる。アッと小さくディアナが呟いて、しかし拾い上げることなどできるはずもなく。強張った手を必死に開いて魔法陣を捻り出そうとするが、それすら許さないとばかりに、男は目を大きく見開いて、ディアナを威嚇した。

 無言の攻防に、俺は何もすることができず、ただディアナの横で二人の表情を見比べるのみ。

 ディアナさえ敵わないという、この男。まさか……。

 ディアナを見やると、彼女もまた、俺をチラと見た。そして、僅かに口を動かした。


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