34.正体

正体1

 コックに出されたスープには、旨味と共に何とも形容しがたい苦みがあった。砂漠狼独特の臭みなのかもしれない。喉の奥に突き刺さるような苦み。まるでそれは今の自分を形容しているようで、虚しくなった。

 一さじ一さじ、口に運んではため息を吐く。

 喉に、食道に、胃に染みこんでいくスープ。

 砂漠の中で食い物にありつけただけでもありがたい。生きている実感がする。

 生きて……、生きて元の世界に戻れる予感はまるでないのだが。

 食後ザイルに案内され、階段を上がって甲板に出た。だだっ広い海の代わりに、どこまでも続く砂漠が見渡せる。黄土色の砂、そして岩。以前遠くに見えていた街の影は、もうどこにも見えない。

 生温かい風を孕み進む帆船。その動力がどうなっているのか、どうやって船体を半分地面に埋めて進んでいるのか、ぱっと見にはわからない。大海原を進むそれと同じように、船は帆をはためかせズンズン進んでいく。

 スピードだけはかなりのものだ。頬に感じる風が少し心地いいと思ってしまうほどの速度は出ている。


「どうだ、気分は晴れたか」


 船縁に寄りかかり遠くを眺める俺を心配してか、ザイルがそっと肩を叩く。


「少しは」


「まぁ、そうだろう」


 ザイルはそう言って、俺の右隣へ回った。

 百メートル走が余裕でできそうな広い甲板のあちこちで、何人かの乗組員がせわしなく動いていた。ある者は巨大な帆の張り具合を確認し、ある者は砂蟲の動きを望遠鏡で観察している。ある者は風向きを測り、ある者はロープや碇の手入れに勤しんでいる。海賊船をそのまま砂漠仕様に置き換えただけのような、不思議な光景だ。

 風を感じる分、砂漠を歩いているときより気持ちは良い。“表”にいたときからずっと感じていた頭痛も、少しだけ軽くなったような気がしていた。


「どういう経緯でこの船に?」


 普段は自分から話しかけることなんてないのに、口から突いて出た。


「俺か?」


 ザイルは少し困ったような顔をしたが、周囲の誰も自分たちのことを見ていないのを確認してから、ゆっくりと語り出した。


「偶然さ。本当に、偶然。何で砂漠なんかに迷い込んでしまったのか、ハッキリとは思い出せないんだ。ただな、俺には家族がいた。女房と、小さな息子が。アパートメントの小さな部屋に、こぢんまりと住んでいた。俺は大工をしていて、仕事で森へ入ったのさ。木材調達のためだ。森の縁に住む木こりたちと何人かで、仕事をしていたはずだった。あの時――、森を覆った巨大な黒い影の正体は、未だ分からない。おぞましい真っ黒な気配が迫って、目を瞑った。その次の瞬間……、俺は砂漠に立っていたんだ。あとはお前と一緒さ。この船に見つけて貰わなかったら、俺はこの場にいることすらできなかった。嘘だと……、思うか」


「いいや」


「こんな話、誰にもしたことはなかったんだがな。ついうっかり喋っちまった」


 やれやれと、ザイルは居心地悪そうに頭を掻いていた。


「砂漠が広がっているという話は、以前耳にしました」


「その通り。この世界はいずれ、砂で埋もれてしまうのかも知れない。――昔はな、地平線の向こうまで、森が広がっていた。あの高い塔の展望台に、上ったか?」


「え、ええ」


「あそこから見える景色は、一面の森だった。砂漠はその向こうにあると教えられたもんさ。それがどうだ。気が付けば砂と岩ばかり。森は日々侵食されている。森が消滅し、都市と砂漠がくっついてしまうようなことになったら、どうなるのか。考えただけでゾッとするね」


 森は砂漠の侵食を防いでくれる生命線なのだと、美桜は言った。

 レグルノーラの人間は、魔物と砂漠の侵食、そして都市部に出没する悪魔に怯えて生きている。それを救うのが“干渉者”の役目――。

 原因も対処法もわからない事象に立ち向かえというのだから、タチが悪い。

 半ば強引にこの事態に引きずり込んだ美桜も、無理やり力を解放させてその使い方すら教えようとしないディアナも、ここには居ない。

 右腕の刻印だけが、痛々しく現実を押しつけてくる。


「レグルノーラには伝説があってな。ここに繋がる、もう一つの世界からやってくる“干渉者”と呼ばれる能力者が世界を救うという……。馬鹿馬鹿しくも信じがたいそれを、小さい頃から昔話のように聞かされてきた。“干渉者”なんて呼ばれる人間は、一人二人じゃないらしい。かなりの数の“干渉者”が、二つの世界を行き来していると聞く。その中のほんの一握りが――、強大な力を持って砂漠の侵食や悪魔を食い止めるんだと、みんなそう信じている。お前が――……リョウがそうだったら、本当に嬉しい」


 俺は思わず顔を上げた。


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