30.契約

契約1

「ちょ……、離せよ。宙づりは、頭に血が」


 逆さまの体勢を何とか持ち直そうともがき、訴えるも、竜は全く無視したまま何分も飛び続けた。今までいろいろやられてきたが、その中でも特に酷い扱われようだ。

 地上では、さっき切り刻んだサンドワームの本体が、うねうねと身体をよじりながら、砂の底から這い出ようとしていた。竜の言う通り、地上に出ていたのはほんの一部だったということなのだろう。あのまま戦い続けていたら、確実にやられていた。そう考えれば、竜に感謝すべきなのかもしれないが。


『地面方向に重力が働いていると思っているから血が上るのだ。空に向かって重力が働いていると思えばいいだろう』


 竜は無茶を言って、フフンと鼻で笑った。

 冗談じゃない。そんな風に考えたところで、血が上らなくなるわけがない。

 二つの世界を行き来するこの身体、どうやら“裏”でも思念体ではないらしく、“表”の体調をキッチリと引き継いでいる。悔しいかな、それはこの砂漠の中でも同じで、独特の鬱陶しい空気と相まって、更に身体中の痛みを強くしていた。





■━■━■━■━■━■━■━■





 やっと目的地に着いたと思うと、ヤツは俺の身体を、山の平らな中腹めがけ無造作に放り投げた。

 ドサッと鈍い音がし、背中に小石が突き刺さる。

 痛い。

 鉤爪で掴まれていた足首もヒリヒリする。

 身悶えし、うめき声を上げる俺を余所に、黄色い翼竜はゆっくり着地すると、疲れたなとばかりに首を左右にコキコキ鳴らした。

 長細くとがった頭、鋭いくちばし、コウモリのような羽と一体になった前足、鉤爪の付いた後ろ足に、長いしっぽ。プテラノドン……型の、翼竜らしい。眼球はバレーボール大で、全長は5メートルを優に超える。市民部隊の隊員らが乗っていた翼竜には及ばないが、間違いなく立派な大人の竜だ。細身とはいえ、しっかりと筋肉を付けていて、とても、ついさっき“卵”から孵ったばかりだとは思えない。

 竜はキィーと一声高く鳴き、ゆっくりと羽を畳んだ。首を低くし、改めて俺の身体をジロジロと観察してくる。


『……それにしても、なんと頼りない』


 低い男の声で、竜は言った。


『彼女は何故、こんな男を私のあるじにしようと思ったのだろう』


 表情はほとんど変わらないが、明らかに落胆したような口調だ。

 悪かったなと心では思ったが、声には出さなかった。代わりに口をへの字に曲げ、そっぽを向いた。


『残念ながら、我々竜はあるじを選ぶことができない。君に仕えろというディアナの指令に、私は従うしかない。こうなったら、私にふさわしい“あるじ”に変えていくしか方法がないということか』


 失礼な竜だ。

 ジトッと上目遣いに睨み付けたても、まるで反応がない。


「さっきまで卵の中にいたヤツにそこまで言われる筋合い、ないと思うけど」


 やっとこさ身体を起こしふぅとため息を吐く俺を小馬鹿にするように、竜は言った。


『我々を、獣の仲間か何かだと、君は勘違いしていないか。“この世界”で竜は人間と同等、もしくはそれ以上の存在。君たち“干渉者”や、この世界を守る兵士たちの良きパートナーとして、ずっと歴史を共にしてきたのだ。そこははっきりさせてもらいたい』


 キリッと、少し顔を天に向け、竜は随分誇らしげだ。


『それに、竜は“世界の狭間に最も近い生き物”。何度も生まれ変わり、その度に新たなあるじと出会い、尽くしてきた。……残念ながら君は、私の記憶する中でも、最も頼りなく、最も不可解な存在だがね』


「ハァ……」


 俺は気の抜けたような相づちを打ち、のっそりと立ち上がって砂を払った。

 それから竜の視線を避けるようにして、岩山の下を見やる。

 岩と砂の砂漠が見渡す限り続いている。遙か地平線の先にさっきまで見えていた森も、反対方向に連れてこられたせいですっかり見えなくなってしまった。

 あれからどのくらい時間が経ったのだろうか。

 このままでは、日が落ちるまでに砂漠から脱出するなんて無理そうだ。

 それに、ディアナの指令通り森へ向かうためには、目の前の竜のことも何とかしなければならない。突然現れ、あるじだなんて言われても、俺にはどうにもしようがないのだ。


『あの“美桜”が気にかけている“干渉者”だと聞いて、それなりに期待してしまった私も悪かったのだな。自分の力の使い方も知らない初心者をぶん投げられたこっちの身にもなってもらいたいものだ。ディアナには、今度会ったときに、キッチリと言っておかねば』


「美桜のこと、知ってるのか」


 俺を“この世界”に引きずり込んだ張本人の名に、思わず振り返った。


『当然』と、竜は笑う。


『彼女の母親が、私の前のあるじだったのだから』


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