悪意の片鱗2
校門を抜け、昇降口へ向かう頃になると、いい加減シャッキリしなくてはという思いに駆られ、一度大きく首を振った。眠気とも倦怠感とも付かぬ身体の気怠さで、周囲のことは殆ど視界に入らなかった。だから、まさかそこで俺自身が好奇の目に晒されていたなんて、美桜の一言がなければきっと気が付くことすらなかっただろう。
思い返せば、今日は不思議なくらい俺の周囲に誰も近づいてこなかった。普段から、滅多に声をかけてくるヤツなど居ないが、それ以上に意識的に距離を置いているような違和感はあった。遠くでコソコソと何やら呟くような声がしていたし、クスクスとこっちを見て笑っているヤツもいた。
だが、それらを含めていつものことだと変化に気付かなかった俺を、美桜は一喝した。
「噂に、余計なヒレが付いたみたいよ。気付かなかったの?」
昼休み、俺はまたしても屋上に呼ばれた。
この日は風もあり、校庭の木々がサワサワと爽やかな音を立てていた。
「ヒレ?」
「……呆れた。本当に、気が付かなかったのね」
とりあえず、前に呼ばれたときとは違って一緒に弁当を広げてくれてはいるようだが、その表情はかなり険しかった。
「やっぱり、一昨日公園で待ち合わせていたところを誰かに見られてたのよ」
それがどうしたんだと、俺は唐揚げをつまみつつ首を傾げた。
「その後、マンションに入るところまで目撃されていた。最悪ね。あそこしか、二人で話せる場所を思いつかなかった私も悪いんだけど」
ハァとため息をつきながら、美桜も自分の弁当に箸を伸ばした。
家政婦の飯田さん作だろう、綺麗な焦げ目のない卵焼き、ほうれん草ともやしおひたし、魚の佃煮が目に入った。作り手の性格を思わせるような弁当に、飯田さんの無償の愛を感じる。
「凌は知らないだろうけど、私たちの写真が、加工されて回されてるみたいよ」
「加工?」
「写真の加工なんて、ちょっと知識があれば、すぐに出来る時代じゃない。私たちがあらぬことをしているような画像が、学校中で回ってるみたい」
「ハァ」
あらぬ、こと。
全く覚えがない。
それどころか、他人の連絡先を全く知らない俺には、何の情報も入ってこない。噂なんかに気付くわけがないのだ。
「……って、美桜は何で知ってるんだよ。まさか、誰かからその画像見せて貰ったりとか」
「まさか」
美桜は、鼻で笑う。
“干渉能力”のなせる技とかいうヤツか?
俺がそんなことを思いながら、いぶかしげに美桜の顔を覗き込んでいると、彼女はスカートのポケットから、スッと一台の白いスマホを取り出した。薄い花の模様が描かれたケースに、キラキラした花飾りの付いたストラップ。どこまでも少女趣味な部屋の内装を思い出す。
「コレに送られてきたの。SNSアプリのタイムラインに貼られてたそうよ。酷い話」
弁当を膝に置いたまま、美桜は左手にスマホを持ち、右手の人差し指で操作する。こう見るとどこにでもいる普通の女子高生なのだが、どうも何かが間違っているような気がしてならない。
そんな俺の視線に気が付いたのか、美桜はピタッと話をやめた。
「どうしたの、変な顔して」
スマホの画面には、男女の顔が異常に迫っている様子が映し出されている。それどころか、しっかりと身体が絡まっているようにも見える。
「その画像、誰が美桜に」
確かに、俺と美桜に見えた。俺が変な角度で美桜の唇を奪っているような、妙な画像だ。場所は美桜のマンションの前。あそこでそんなことをした覚えは、もちろん全くない。
「もう一枚あるわよ。こっちの画像は、『絶倫の芳野美桜に迫られ、来澄がすっかりくたびれた様子でマンションを出てきたところ』だそうよ」
スライドさせて、もう一つの画像を呼び出す。確かにそっちは何となく覚えがあった。美桜の部屋からレグルノーラに飛んで、数時間分をあっちで過ごし、グッタリして出てきたところだ。別にやましいことをしていたわけじゃないのに、そういうセリフを入れられると、確かにそう見えてしまう。そのくらい俺の顔は疲れ切っていて、呆けていた。
「あんまりだな」
第一俺と美桜はそういう関係じゃないし、望んだとしてもそうはならないっていうのに。周囲は勝手に変なヒレを付けて喜んでるってわけか。
「美桜は、気分悪くならないの」
俺はともかく、美桜のプライドはかなり傷ついているはずだ。
だのに彼女は、
「日常茶飯事よ、こんなの」
と、小さく笑う。
「裸の写真や、AV画像と合成されることもしばしばだもの。汚い男に股を広げているような卑猥な画像もかなり飛び交っているらしいし。SM女王みたいな格好のコラージュもあったわね。結構傑作よ。私、そういう風に見られているのねって、笑ってやったわ」
目を細める美桜。
またその顔か。
胸が押しつぶされる。何でコイツは、辛いことをサラッと口にするんだろう。全てを悟っているような背伸びしたような顔は、飯時にはキツかった。
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