“ダークアイ”2
「た、助かった……」
途端に、俺は金縛りから解放された。
力を入れ過ぎていたらしく、思い切りよろけてビルの壁に背を寄りかかった。
ぐったりだ。全身から滝のように嫌な汗が噴き出ている。拭っても拭っても汗は止めどなく出てくるし、息も一向に落ち着かない。
美桜も道の真ん中で腕をだらんと下げ、両肩で息をしている。
真っ黒だった空はいつもの曇天に戻り、あの妙な気配はすっかりなくなっていた。
翼竜の一頭が、ゆっくりと地面に降りてくる。大きな羽は辺りのほこりを舞い上がらせ、俺は思わず腕で顔を覆い隠した。
竜は間近で見ると、巨大で雄々しい。普段は空の随分高いところを飛んでいるのかものすごく小さく映っていたが、体長は何メートルだろう。広げた羽としっぽの先まで合わせると、二階建ての民家一軒分かそれより少し大きいようにも見える。
手綱を付けられた翼竜は、驚くほど慎重に着地した。かなり飼い慣らされている。
竜はおもむろに足を折り、首を低くして、背中に乗っていた男を丁寧に降ろしていた。
美桜は握りっぱなしだった両手剣を手の中から消し去り武装を解くと、足早に竜と男のそばに駆け寄っていった。
「ライル! フューも、ありがとう。助かった」
長い翼竜の首に腕を回し、頬ずりしながら優しく頭を撫ぜる美桜。
ふと、ついこの間自分も美桜にああやって無理やり首に腕を回されていたのだと思うと、何だか妙な気分になってくる。
もしかしたらあの行動は、美桜にとって竜を手懐けるのと同等程度だったのかもしれない。扱いづらい男を無理やり自分のペースに巻き込むための、調教行為だったのかも。
美桜は“この世界”で誰かに会うと、とても機嫌がいい。“あっちの世界”では、本当に笑うことがないというのに。ライルとかいう男とも、随分楽しそうに話している。何を話しているのだろうか。自分の呼吸がうるさくて、ほとんど会話が聞こえてこない。
そう思っていると、美桜がライルに何か話しかけながらこっちに近づいてきた。
褐色の肌に黒い短髪。筋肉質の上半身に羽織ったシルバーのジャケットは、他の翼竜に乗っている男たちと揃いである所を見ると、制服みたいなモノなのだろうか。胸に何かのエンブレムがついている。
「やっと会わせることができたわね。凌、彼が市民部隊のリーダー、ライルよ。ライル、彼が新たな“干渉者”凌」
声を弾ませながら、美桜は互いを紹介した。
市民部隊、か。確かに何度か美桜から話は聞いていた。
ここぞというときに意識が“あっちの世界”に戻って、なかなか会うことができなかったんだ。
「よろしく。ミオから話は聞いている。何度か、君の活躍を遠目に見たことがあるよ」
ライルはそう言って、ゴツゴツした右手をスッと俺の前に差し出した。
ジークとは違って、しっかりした如何にも大人らしい大人だ。俺たちの親世代と同じか、少し若いくらいの中年男は、ニコッと笑うと顔中に年季の入ったシワができた。
俺は壁によりかかっていた背中を引きはがし、背筋を伸ばしてこちらこそと手を差し出した。
ライルといいジークといい、こっちのヤツらは背が高い。小柄な美桜が並ぶと、まるで小人みたいに見えてしまう。俺も決して背が低い方ではないのだが、ここでは特に自分の存在そのものまで小さく見えてしまうのだ。
「アレが、今朝話した“魔物”よ」
ライルとの握手が終わるなり、美桜は間髪入れず話題を振る。
「見ての通り、“ダークアイ”は追い払うくらいしかできない、やっかいな“魔物”でね。原因を絶ち切らなきゃ、いくらでも溢れてくる。恐らく“表”の何かが影響してるのではと思ってるんだがね」
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