第6話 彼女が一等クジになったと言う件
自宅に帰る清夏(さやか)を電車の駅まで送っていく途中で駅前のコンビニに寄った。毎週木曜日、清夏はこのコンビニで何らかの雑誌を買って帰るのが習慣になっている。ファッション誌や情報誌であることが多かったが、漫画雑誌やゲーム雑誌のこともあった。
しかし今日はいつものようにまっすぐ雑誌コーナーへは行かずに、なぜかレジ前の特設コーナーに引き寄せられていった。くるりと振り返って言ってきた。
「ファジーの一等クジがあるよ」
「まじで?」
雑誌コーナーに行きかけていた俺は慌ててレジ前に走った。
夢の世界が聳えていた。棚一つを「魔法少姫(プリンセス)ファジー」のグッズが占領している。一番上の段には「一等クジ」という大きなポップが付けられており、その横には特賞の巨大フィギュアが飾られていた。
一等クジとは、主にコンビニで販売されているはずれ無しのくじ引きである。その景品はアニメや漫画に関連する物が多い。始まった頃は誰でも知っているようなメジャー作品が対象だったが、最近では世間一般にはあまり知られていない、アニメオタク達の間だけで流行っているような作品の景品も作られるようになってきた。商品サイクルが短く、次から次へと新しいくじが発売になっており、更にはコンビニチェーンによって取り扱う作品が違っていたりして、実に多種多様な一等クジが世に送り出されている。
普段アニメに興味が無い人でも、コンビニに行けば嫌でも目に付くようなディスプレイがなされており、アニメオタクしか観ていないような萌えアニメを知ることになってしまう。考えてみれば凄い話だ。
なお、昨年秋に放映されて大人気を博した「魔法少姫ファジー」が一等クジになるのは今回で二回目である。一回目は今年の春であり、俺がファジーにはまる前だ。コンビニで売っているのを見たような気もするが、はまった時には別の一等クジが始まっていた。
もう少し早くはまっていれば!と思いもしたが、良い面もあった。タイミングが合っていれば、ご縁のある皆々様からいただいたありがたい入学祝い金を全てつぎ込んでいた可能性があるからだ。いや、つぎ込んでいただろう!
入学早々アニメグッズにお金をつぎ込むなど、苦しい家計の中から学費を出してくれ、一人暮らしまでさせてくれている親にあまりにも申し訳ない。
今はバイトをしているので、入学当初に比べれば多少は金銭的な余裕がある。店内のクジ買占めなどと言う暴挙は出来ないが、大人買い程度ならできなくもない。
しかしだ……
「その大きいの買うの?」
清夏に問われて気がつくと、特賞の巨大フィギュアを手に取って凝視している自分がいた。一度しか登場していないタイドモードという渋いチョイスだが、実はデザインが秀逸である(主に性的な部分で)ことを気づかせてくれるメリハリのついた素晴らしい造詣だ。
「い、いや。これはクジだから当たらないと買えないけど」
冷静に答えようとしたが、我ながら支離滅裂だ。
「分かってるわよ。だから、クジを買うの?」
「買っていいの?」
清夏は俺がこの手のグッズを買うのは嫌なのだと思っていた。
「良いわよ」
首をすくめながら答える。
しかし、その「なんで私にそんなことを聞くの?自分のお金なんだから好きに使えばいいじゃない」という顔の裏に「部屋をアニメグッズで埋め尽くすとは勘弁して欲しいけど」という顔が隠れているのは見逃さなかった。
「ごゆっくり」と雑誌コーナーへ去っていく。
残された俺は、必死で頭を回転させる。
クジを引くのは決定だ!
問題はいくつ引くのか?
大袈裟に思われるかもしれないが、今を逃せばもう巡り合うチャンスは無いかもしれないのだ!
人気作品の一等クジは瞬殺される。販売開始と同時に猛者共が買い尽くすのだ。発売当日になると店並ぶのを待って猛者共がコンビニ内をうろうろするらしく、最近は時間を決めて販売するらしい。ただその時間が、発売日の零時なのか、午前中のキリが良い時間なのかは店によって異なる。
今回のファジーの一等クジの発売日は明日である。つまりこの店はフライング販売しているのだ。ルール違反ではあるが、偶然このラッキーに巡り合った俺は、それを非難するつもりは全く無い。ラッキーの神に感謝を捧げつつ、謹んで恩恵を享受する所存だ。
しかし有り金を全て突っ込むには問題があった。
そもそも俺は一等クジを買うつもりは無かった。我慢するつもりだった。だから、買うのであれば第一候補になるこのコンビニの発売開始時間も調べていなかった。
年甲斐も無くどっぷりとはまっている魔法少女アニメの一等クジを買わないつもりだったのは、清夏がアニメグッズが嫌いだと思っていたからだけではない。
清夏の誕生日が近かったからだ。
「僕と一緒に、愉悦と快楽と萌え燃えのオタクライフを楽しもうではないか」
との興梠の申し出を断って、俺はテニスサークルに入った。
ちなみに興梠は大学生活最初のオリエンテーションでたまたま隣の席に座った男だが、初対面の相手にいきなり魔法少姫ファジーの素晴らしさを滔滔と語り、俺をファジーに嵌めた張本人である。アニメオタクのくせにイケメンで女の子に優しいという嫌な奴だ。
そういえば奴にこの店のフライング販売のことを連絡したやらねば。嫌な奴だが恩は山のようにある。
別の県から入学した俺には、大学にも下宿の近所にも知り合いはいなかった。早く友人を作りたかった。バカをできる男友達も重要だが女の子の知り合いだって欲しいし、彼女なんかができちゃえば万々歳だ。仲間内で遊ぶのが目的のサークルは他にもあったが、高二までやっていたテニスであれば、多少のアドバンテージが取れるだろうと考えた。いくつかあるテニスサークルの中で、縦関係の力がゆるそうなところにした。体育会系のノリはもうこりごりだった。
入部してすぐ、ゴールデンウィークの前に、新入生歓迎コンパが開かれた。
そこで始めて清夏を見た。背が低いわりに胸が大きい子だな、という以上の印象は無かった。大学生活で始めてのコンパというものに緊張して、他人に気を遣う余裕など無かったのだ。
コンパでは嵐のような勢いで様々なことが過ぎ去り、あっという間にお開きとなった。
酒を無理に進めてくる先輩はいなかったが、止められもしなかった。良い気分だったので、無理をせず二次会は断って帰ることにした。
ほろ酔い加減でふらふらと夜道を下宿へと向かう。調子に乗っていつもとは違う道を通ってみると、小さな公園があった。酔いを少し冷やしてから帰ろうと、公園に入りベンチに座った。
冷たい風がここちよかった。
しばらく和んでいると、ふらふらと小さな人影が公園に入ってきた。見覚えがある。清夏だった。
なんでこんなところに?自己紹介では電車通学だと言っていたような気がするが、駅は反対方向だ。
不思議に思っている間に清夏はまっすぐと水飲み場まで行きーーー吐いた。
盛大に吐いた。女子が吐くところを見るのも初めてなのに、ドン引きするぐらいの盛大な吐き方だった。だからと言って黙って見ているわけにもいかない。近寄っていった。
「大丈夫?えっと……曾根山さん」
清夏は胡乱な目で見上げてくる。コンパでは全く話さなかったと思う。
「北薗って言うんだけど、さっきコンパに出てた」
「ああ……」
少しは記憶に残っていたのか、低い声で答えた後、再び項垂れる。そっと背中をさすってやった。
「大丈夫か?酒飲むの初めてだった?」
「うう…、大丈夫じゃない」
確かにそれは見れば分かる。
さすってやったり、水を飲ませてやったりするとなんとか落ち着いてきた。ベンチに座らせると、一人で水飲み場に戻り、水で吐瀉物を排水溝に流し込む。全部は流せなかったが、なんとか誤魔化せただろう。
「少しは気分良くなってきたか?どうする?家の人を呼ぶか?電車はもうないだろうから、タクシーにする?」
「車は無理……」
「じゃあどうする?」
「もう大丈夫だから、北薗君は帰って。色々とありがとう」
そう返してくるがとても大丈夫そうな顔色ではないし、いくら閑静な住宅地とは言え、女の子を一人で夜中の公園に残してはおけない。
「じゃあ、俺の下宿に行く?すぐそこなんだけど」
言ってやった!言うべきか言わざるべきかをずっと考えていたのだが、酔いの勢いで言ってやった。吐瀉物を片付けている時点で酔いなんか完全に覚めてしまっていたが、始めて会った女の子のためにここまでしてやっているのだから、それぐらい言う資格はあるだろうと自分に言い聞かせて言ってやった!
「……お願いしていいかな」
清夏はたっぷり一分間考えてから答えた。
それから清夏を下宿に連れて行ったのだが、天地天命にかけて、仕送りをしてくれている両親にかけて何も無かった。後々は色々とあることになったが、その晩はなにも無かった。
それよりも、始めて女の子を部屋に泊めると言うシチュエーションにドキドキしていた。
魔法少姫ファジーの第一話。始めての変身、そして戦闘を行ったファジーは魔法に身体がついていかず、戦闘後に夜の公園で吐く。一話でいきなり小学生を吐かせるという演出に、オタク界は騒然となったと言う。今でもそのシーンだけで神アニメだと崇めている奴もいるらしい。
その場に偶然居合わせた男子大学生、竹中昇のぼるは、ファジーを自分の下宿に連れて行き、介抱する。行き場所の無いファジーはそのまま昇の下宿に居つくことになる。
ファジーと同じシチュエーションだ!
ファジーにはまり始めたばかりだった当時の俺は、そんなことに興奮していた。
これ以上ないってぐらい興奮した。
さて、その後の清夏はファジーと同じように俺の下宿に居つくようになった。とは言っても、泊まったのは最初の一回だけだし、お互いにバイトや課題があるので毎日ではない。時間があれば来る感じだ。合鍵を渡たしてみたら、素直に受け取って、最近は俺がいなくても上がりこんでいる。
今となってはどうでもいい話だが、出会いのきっかけとなったサークルは清夏が辞めると言い出したので俺も辞めることにした。
つまり、なんとなく付き合い始めたのだ。よって、俺から告白していなければ、清夏からもされていない。それでなにも問題は起きていないのだから、それでも別に良いのだけれど、俺としては一応のケジメをつけたかった。それには、清夏の誕生日は絶好の機会だと思えていた。
その日のために、バイトの量も増やしたしファジーグッズも我慢した、友人経由で指輪のサイズも聞き出した。
そんな苦労を積み重ねているところで、この「魔法少姫ファジー一等クジ」に遭遇!である。
「まだ買ってないの?」
清夏が雑誌を手に戻ってきた。
「今から買う」
俺は毅然とレジに向い、三枚クジを引くことを宣言した。一枚のクジが六百円。三枚で千八百円。熟考の末に導き出した、今の俺が出せるギリギリだった。
店員が差し出す箱から万感の思いをこめてクジを三枚引く。
清夏に苦い顔をされるかもしれないが、引く以上は特賞のフィギュアを狙う!
結果は、五等のグラス、六等のクリアファイル三枚セット、七等のストラップだった。
たった三枚で特等が当たるほど世の中は甘くなかった。ストラップが三つにならなかっただけでも上々だと納得するしかない。
クジを引けたにも関わらず、少々の喪失感を抱えながらコンビニを出て駅へ向かう。
「ありがとう、じゃあね」清夏はいつもならそう言って改札を通って行く。
でも今日は、俺の顔を見ながらこんなことを言った。
「私は一等クジになりました」
あ、今回はそう来ますか。
清夏の「なんとかになりましたシリーズ」にも少し慣れてきた。
「さぁ、引いて」
俺の顔の前に大きく開いた手が差し出された。顔はけっこうな大まじだ。
しばらく悩む振りをしてから中指を選んだ。
「何等だった?」
すぐに訊かれた。
「え、俺が決めるの?」
てっきり清夏が教えてくれるものだと思っていたから驚いた。しかし大きく頷かれれば、決めなくてはならない。しかも即座にだ。
「やった!特等だ!」
俺は喜んで見せながら答えた。
三等と無難に答えてみるだとか、指を全部掴みなおしてみるとか考えたけれど、清夏が言ったことをよく思い出してみた。清夏が一等クジになったのだ。
どの指を選んだところで清夏の指、つまりは清夏なのだ。
だったら、特等に決まってるだろ。
自信満々だったが、予想外の答えが返ってきた。
「ドーン」
清夏は手で拳銃の形を作ると撃ってきた。とても拳銃とは思えない音だ。
そのままくるりと反転すると駆け足で自動改札を通っていき、振り返りもせずに階段を上っていった。
「……どっちなんだよ」
俺の答えが当たりだったのか外れだったのか全く分からない。
頭を捻りながら歩き始めた俺の顔が帰り道の間中にやけっぱなしだったのは、思わずファジーグッズを入手したからであって、魔法をかけられたからでは決して無い。
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