第35話 赤鬼
筋肉という名の肉がついた強靱な体。
女性の胴ほどもある太い腕。
体重を支える強靱な足。
そして厳つい顔。
その顔が真っ赤に染まっていた。
赤鬼。
それが今のローズ伯爵を言い表す言葉だろう。
角も生えているに違いない。
実際、ローズ伯爵は室内戦向きではない木製の棍棒を持っていた。
トゲも何もない。だがその大きさは人を威圧するのに充分だった。
これで虎のパンツを履いてたら完全に赤鬼だ。
対して傷だらけの姿を晒すのはギュンター。
俺の噛みつきの跡からは血が流れ出る。
ギュンターはメリル母さんによって肩に刺さったナイフを引き抜き、放り投げた。
お前らのつけた傷などたいしたものではないと言いたげだった。
「ギュンター! レオン殿下、ランスロット殿下、正妃シェリル様、寵姫メリル様に手を出すとは貴様狂ったのか!」
わざわざローズ伯爵は被害者全員の名前を出した。
全員の名前を出したのは各人に恩を売るためだ。
さすがローズ伯爵。ところどころセコイ。だがそこが大好きだ。
実際、そのセコさがギュンターを追い込んでいる。
棍棒の重量は10キロ以上あるかもしれない。
たしかにギュンターの武器は早い。
棍棒を1回振り下ろす前に3回は斬ることができるだろう。
だが同時にローズ伯爵の棍棒を受けることはできないのだ。
いなすことだって難しい。
はじき飛ばすのは絶対に無理だ。
例えばギュンターの剣が腹に突き刺さるのを確認してから頭に棍棒を振り下ろせば一撃でギュンターを殺すことができるだろう。
つまり両者とも苦手な武器での対戦なのだ。
相手への嫌がらせを忘れない。
それが喧嘩屋なのだろう。
やっぱローズ伯爵ってすげえな!
「来ぬのか。では私から参ろう!」
ローズ伯爵は格好つけると棍棒を下からカチ上げた。
棍棒の先には椅子が転がっていた。
その椅子に棍棒が当りギュンターへ椅子が飛んでいく。
本当に人間業か?
「ふんッ!!!」
ギュンターは拳で椅子を打ち落とす。
椅子は粉々になりながら床に散らばる。
……こいつら本当に人間か?
化け物過ぎる!
ギュンターはそのまま一歩踏み出す。
なぜだ。届かないだろ?
と俺は思ったが、その一歩がとんでもなく長かった。
ギュンターはフェンシング選手のように飛び込み突きを放つ。
ローズ伯爵は最初の突きは体の体軸をずらし避けた。
突きは空を切ったはずだった。
だがギュンターはそこから猛烈なラッシュをかける。
独特の足捌きと時折フェイントを混ぜたラッシュ。
剣が変化しながらローズ伯爵の皮膚を削る。
血が飛びローズ伯爵の腕や頬に傷ができていく。
今は致命傷はない。
だがもしあの鋭い剣がローズ伯爵の胸に突き刺さったら……
このままではローズ伯爵は危ない!
俺が焦ったその時だった。
ガツリという音がした。
ローズ伯爵が斬られた音ではない。
ローズ伯爵は棍棒で剣を防いでいた。
剣は木製の棍棒に深々と突き刺さり抜けなくなっていた。
「つーかーまーえーた♪」
ぞくり。
なぜか味方の発言なのに俺の背筋が寒くなった。
そうか!
あの棍棒は武器ではない。
剣を封じるためにわざわざ選んだのだ。
それにしてもあのエグい笑顔は明らかに悪役のものである。
「くッ!」
ギュンターも恐ろしい使い手だ。躊躇することなく武器を手放す。
なかなかできない選択だ。
ローズ伯爵は追いかけることもなく棍棒を投げ捨てた。
「レオンちゃん。逃げるよ!」
メリル母さんが俺をつかんだ。ランスロットを抱いたシェリルも俺を心配そうに見ている。
ズタボロの俺の姿を見たせいか少し涙を流している。
心配をかけてしまった。
本当のことを言うと心配してくれるのは嬉しい。
でも俺は逃げることはできないのだ。
「母さん、母上、俺は最後まで残ります」
ローズ伯爵の活躍をを最後まで見届けなければならない。
それが俺の義務なのだ。
それに……ローズ伯爵とギュンターはまだ互角。
だから俺にはローズ伯爵を勝利に導くアイデアがあった。
「母さん。これ……」
俺は持っていた卵を差し出す。
そうだ。これには俺がはじめて自分で調合した毒が入っているのだ。
メリルはこくんと頷いた。
「レオンちゃん……」
「俺は……今日、王の手の平から抜け出す!」
ローズ伯爵がギュンターに殴りかかる。
ギュンターはその手をはじき飛ばしジャブを二回ローズの顔へお見舞いする。
「パンッパンッ!」という気持ちのいい音が響く。
ローズ伯爵はジャブを食らいながらも突進。
猛烈な勢いのボディーブローを繰り出す。
ヒザの力を使ったアッパーだ。
慌ててギュンターはブロックするがあまりの威力に体が浮く。
ギュンターはパンチを食らいながらも後方にステップし威力を殺す。
このやりとりで俺は理解した。
パワーではローズ伯爵に軍配は上がるが、技術はギュンターの方が上だ。
一発当ればローズ伯爵が勝つだろうが、その前にギュンターが少しずつローズ伯爵を削っていく。
ローズ伯爵がフックを繰り出す。
ギュンターはローズ伯爵の拳の下に潜り込む。
ローズ伯爵の拳が空を切る。
「ぬう!」
ローズ伯爵はカウンターを取られまいと体勢を立て直そうとした。
だがギュンターはそれを許さない。
「喰らえ!」
ギュンターがカウンターで肘を繰り出した。
危ない!
だがその時、俺の仕掛けた罠が発動した。
「ぐうッ!!!」
俺の噛みついた足。
そのせいでギュンターは踏ん張りが利かず肘の威力が死んだ。
ローズ伯爵はこの機を逃さない。
「ふんッ!」
だがローズ伯爵は喧嘩屋だ。
ギュンターの肘が威力を失ったことを瞬時に感じ取り、が繰り出した肘に頭突きをかます。
半分は弱ったところを突くという喧嘩屋の発想。
もう半分はただの嫌がらせだろう。
「ぐうッ!」
べきッという音が響いた。
どちらかの骨が折れたのかもしれない。
いや折れたのはギュンターの肘だ。
今だ!!!
「ローズ! 投げ飛ばせ!」
俺は怒鳴った。
「御意!!!」
ローズ伯爵はギュンターをつかむ。
そのまま身長190センチはあろう大男を持ち上げた。
「ふん!」
ローズ伯爵は投げるためにギュンターの太ももをつかむと容赦なく放り投げた。
投げた先にあった机がギュンターに潰されてバラバラになる。
俺はシェリルを部屋から逃がす。
あとは俺たちの仕事だ!!!
満身創痍の俺に代わってメリルが俺の作った毒を投げつける。
「行っけー!!!」
俺の作った卵。
そこには灰、砂と鉄粉、唐辛子、そして
成人男性が吸い込んでもすぐには死なない。
だがしばらくは動けなくなる。
だがあのギュンターに効果があるだろうか?
それは疑問だった。
だけどもう一つ俺には腹案があるのだ。
仕掛けてる罠が一つだなんて思わないことだ!!!
卵はギュンターの胸にぶち当たった。
割れた瞬間、まるで灰が煙のように巻き上がった。
煙がギュンターを包む。
「ローズ逃げて!」
ローズ伯爵が逃げギュンターは煙の中で動いていた。
「ぐう! げほ! げほ! げほ!」
ギュンターが咳き込む。
唐辛子が目に入り激痛を起こしているだろうにそれでもギュンターは倒れない。
「げほ! くくくくく。子供だましか! 俺にはこんな目つぶしなど通じないぞ!」
「そうだろうな! 俺もそう思ってたぜ!」
本当はそのとき俺は息を吸うだけで激痛がしていた。
実はこの時、アバラの骨が折れていたのだ。
蟹挟みでギュンターの体が当ったせいだと思う。
ガキの体はすぐに壊れやがる!
あまりの痛さに気を失いかけていたのだ。
でも勝つためには激痛など隠し通してみせる!
「知ってるか? 罠ってのは……奇道ってのはな、幾重にも仕掛けておくもんなんだぜ!!!」
俺はにやあっと笑った。
それを見たのかギュンターは慌てて周りを確認した。
もう遅い。
影が現れた。
そしてその影はその腕をギュンターの首に巻き付かせる。
マスクをしたゲイルだ。
ゲイルはスリーパーでギュンターの首を締め上げる。
「ぐ、ぐう、貴様は……斬られたはず……」
ギュンターがゲイルの手をつかんで暴れる。
半分は間違ってない。
ゲイルは重傷だった。
実際、俺が殴られていた間も気絶していたのだ。
だがつい先ほど目が覚めたらしく、俺にわかるようにビクビクと不審な動きをしていたのだ。
まったく我が父ながら緊張感がねえな! ネタを仕込むなよ!
「俺には守るものがあるからな!」
ゲイルはそう言った。
もちろん俺とメリルのことだ。
ゲイルはそのままギュンターを締め上げる。
「な、なぜだ……私の……忠誠心は……間違っていたのか……」
ギュンターはつぶやいた。
そうだ。お前の忠誠心は間違っていた。
あの男はお前を道具としか思っていない。
「ギュンター。お前の忠誠心は誰に向けるものだ? 国か? 王個人か?」
俺は偉そうなことを言った。
生意気なんだよてめえと言わないで欲しい。
これは俺のその後のプランに必要なのだ。
「……わからない」
「じゃあ俺の子分になれ! 俺はお前の前で王を超える! わかったな!」
俺は胸を張った。
「……御意」
そしてゲイルがギュンターを落とした。
「それで殿下……どうなさるんですか?」
ローズ伯爵が俺に聞いた。
全身傷だらけで血だらけだが軽傷だ。
ホントこの人化け物だな!
俺はツッコミながらも真剣に答える。
「第二軍はこの国には必要です。そのトップが事件を起こしたというのは非常にまずい。国を分断する騒ぎになってしまいます。ですので、全力で隠蔽します。まずローズ卿!」
「は、はい」
「貴公は正妃シェリルを害せんとした偽ギュンターを討ち取った! 偉い! 褒めて遣わす! あとで勲章やら副賞やら期待してくれ」
「へ?」
「いやだからみんなで倒したのは偽ギュンターね。ギュンターは偽ギュンターを捕らえられなかった罪でしばらく謹慎。以後は俺の子分。全部陛下に承諾を得るから安心しろ。文句のあるヤツはいるか!」
俺は勢いに任せて言った。
ローズ伯爵すら意義を唱えなかった。
なぜならこの作戦の総指揮は俺なのだ!
事件の報酬は一旦俺の元に入ってそれから作戦に参加した諸侯に分配されるのだ。
それは人質や犯人も同じだ。
ギュンターは俺のものなのだ。
だがゲイルは文句があるらしい。
「大丈夫なんですか? いつ寝首掻かれるか……」
「気にすんな。俺は気にしないぞ。やるならやってみろ!」
だいたいギュンターは王の命令でやったのだ。
忠信ではないか。
まあアバラ骨の借りはおいおい返して貰うがな。
さてそこまで言った俺はここで気が緩んだ。
気が緩んでしまったのだ。
最後まで格好つかないのが俺なのだ。
ぐにゃりと世界が歪んだ。
「……あれ?」
かっくんとヒザから力が抜ける。
あっれー?
俺は背中から落ちた。
あれれー?
もしかして……俺……気絶しそう?
そうだった。
俺はとっくに限界を迎えていたのだ。
死ぬほど走って、殴られて、骨折したのだ。
気が緩んだ瞬間、俺の意識がぷつりと切れてしまったのだ。
俺の頭が重力に負けて床に激突しようとした。
ゲイル父さんが手を差し込む。
俺はなんとか頭を打たないですんだようだ。
「レオン!」
「レオン殿下!」
「レオンちゃん!」
「殿下!」
みんなの声が聞こえたような気がした。
シェリルが泣いて、メリルが慰める。
ローズ伯爵は男泣きをした。
絶対演出効果狙ってるよな……ローズ伯爵……でも大好きだ。
俺はゲイルの手を枕にしていた。
大きくてゴツゴツした手。
俺はその手に安心してしまった。
そして完全に意識を手放したのだ。
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