最終章三幕「虧月狂想曲・⑮」
『……貴方の主は、どうやら、本気で月を落とすお積りのご様子』
大雁08は、そう告げた。
「当たり前だろ。ウチのボスが本気でなかったことなんて、過去に一度もねぇよ」
アマタが返す。
『……故に、拙僧は今一度。貴殿らに相談を申し入れたいのです』
このタイミングで相談ときたか。と、ドウミョウジは考える。
相談と言えば聞こえはいいが、これは実質、二人を人質にとっての交渉だ。
彼等の生殺与奪を握る、大雁08。そして、月の生殺与奪を握る『ヴァンガード』。この入れ子構造に、如何に活路を見出すか。
『貴殿方のような『手足』ならば。『頭』の思考に近付けるかと考えた次第』
「そうだな。一つだけ言えるのは、脅しが通じる相手じゃない、ってことだ。今すぐ、月を覆う異変を解除しろ。そうすれば、最悪の結末は回避できる」
だが、その入れ子は最初から壊れている。何故なら、二人は人質たり得ない。何人の『脱落者』を出そうと、目的を完遂する。彼らの属する『ヴァンガード』は、そもそもそういう性質の
ただ、今の異変が収束に向かえば別。少なくとも、月面を覆う影がなくなれば。通常戦力による制圧という「穏便な」プランが期待できる。
そうなれば無論、大雁08は無事では済まないだろうが。この狂った……いや、恐らくは狂わざるをえなかったAIに、どの程度自己保存の機能が残っているものか。
『それは、残念ながら叶いませぬ』
「そのために、この『月天』を犠牲にしてもか?」
大雁08は答えない。AIだけを残し、月の人類は眠りについた。その眠りは、仏滅の終わりを夢見て続く。しかし永続とは言えない。限界は必ず来る。
残されたのは、静止した……しかし確定的に、いずれ破滅が訪れる世界。
そんなものをずっと見続けていれば。己が何もできないまま、ただ世界が朽ちていくのを見守れと命じられれば。
本当に。出家でもするより他に、救われる方法はなかったのやもしれない。
「いや、そういえば。他のAIの意見はどうなんだ。大雁01~07は。壊れたわけじゃあるまい?何故出てこない」
『人と交わるのは、拙僧のみです。他は、対話エンジンを積んでおりませぬ故』
だから。大雁08は『大同盟』に転んだ。最後に『追加』された彼だけが。人と『直接』話す術を持っていた。
だからこそ。人が居なくなった時に。大雁08は他のAIのように、都市の維持そのものを純粋に目的として存在することが困難になった。人と交わっていたから、その意義の喪失に耐えられなかった。
ごくわずかな機能の違い。それだけの違いが、その力を生んだ。
「そうか。ずっと……一人だったのか」
アマタは呟いた。
人類から捨てられたこの星で、天上天下に唯独り、尊い命を果たすため在り続けた『彼』が。たとえ人類の敵となっても。それは果たして、誰によって咎められるというのか。
そもそも。それを咎められる者すら、この星には居なかったというのに。
『否』
しかし。
『独りではございませぬ』
大雁08は、それを否定する。
「……あるじ、とやらか」
ドウミョウジは呟く。いまだ姿を見せぬ、大雁08のあるじ。月の王。
そして、恐らく。大雁08がこのタイミングで接触してきたということは。
「居場所は、もう掴んでいるぞ」
ドウミョウジが探り当てた、『次の候補地』が、『当たり』ということに相違あるまい。
『何か、勘違いしておられるようですが……先程の『相談』の対価としてならば。あるじへのお目通りを叶えても構いません』
大雁08は、少し困惑したようにそう返事をする。
「流石AIだな。話が早い」
此方が何を求めているかを、よくわかっている。
今回の異変の黒幕は、恐らく『それ』だ。逆に言えば、
「その『あるじ』とやらと接触できれば、今回の任務にも今度こそカタがつく」
「……判断には今更なにも言わねぇけど……受けるのか?その相談。まず間違いなく何か仕込んでるだろ……?」
『……拙僧の目的は、最初からただ一つ。我があるじを守り、その苦悩を消し去ることのみでございます』
割り込む大雁08。
「そ、そうか……そこまで言うなら」
と、たじろぐアマタ。その言葉に、嘘はないのだろう、とドウミョウジは考える。嘘はないのだろうが。
(その消し去るべき『苦悩』とやらの中に。ウチの船団(ヴァンガード)が入ってないといいんだが)
相手は、仮にも人類の敵を名乗るものなのだから。しかし、
「その相談、受けよう」
敵だからといって。決して手を組めぬものとも限らない。
「それが、徳ってやつなんだろう?」
ドウミョウジはそう言って笑った。どうせ最初から、相手に生死は握られているのだから。
彼一人がどうこうしたところで。『ヴァンガード』が揺らぐものでもないのだろう。
ただ一つ、気掛かりと呼べるのは。アマタを巻き込んでしまう、ということだろうか。
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