最終章三幕「虧月狂想曲・⑪」

 功徳を転化した徳エネルギーとは、即ち功徳という名の己の行いの記憶である。故に、人間というものを思索と行動によって定義するのであれば。それを媒介にして行使される『奇跡』とは、畢竟、人の精神、内的世界の具現に他ならない。

 だが、人間の精神というものは、オリジナリティにはものだ。倫理。宗教。神話。創作。全くの別人の精神であっても、共通の要素コンポーネントを多数含んでいる、ということはままある。いや、そうでなければ、人の社会は立ち行かない。徳と言う概念も、いわばその一つだ。

 しかし、それがいわば無意識のうちに、無法である筈の奇跡を制約する。万能は、想像された時点で万能ではない。想像、或いは信仰という名の枷が。それ自身の論理ロジックによって、奇跡を形あるものとして駆動させる。否、そうでなければ、奇跡などというものを形にすることはできない。

しかし、しかしそれは。

「……人間の話だ」

 遥か地球のどこかで、対仏大同盟の盟主たる『ヤーマ』は呟く。

 そして、『彼等』をとっても、その制約から完全に逃れることはできていない。対仏大同盟の大半は、『ヤーマ』をベースに人間の遺産を加えて自我を確立させたもの。その成り立ち故に、人とは別の形で、彼等もまたその力に自由ではないところを抱えてしまっている。それは『個』であるが故の制約だ。

「だが、『あれ』は違う」

 人でも機械でもないものたち。

 人でも機械でもない何か。仏性を獲得したAI。ブッシャリオンの高みを知るものたち。それ以外の存在。

 誰でも、何でもいい。どれか、或いはだれかが。徳エネルギーでも疑似徳エネルギーでもないブッシャリオンに到達し、異界への扉を開いたのなら。

 それは、きっと証明になる。神仏のいない世界、彼等が目指す世界が存在するという、証明に。

 しかし、は同時に。閉じた行き止まりの世界に違いない。


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 月を、暗黒が覆っていく。表面の何かが、光を呑んでいく。

「……エネルギーの収支が釣り合ってない?」

「はい。結論から申し上げれば、太陽光のエネルギーが、どこかに消えている、としか」

 『ヴァンガード』の司令室で、千里は副長と共に、ザナバザルからの報告に頭を悩ませていた。

「この期に及んで、また謎現象が……」

「現段階の仮説としては、我々の知らない間に月表面に一種のナノマシン層が形成されていて、それがエネルギーを吸収している、というのが有力ですが」

「フォン・ノイマン・マシンですか。だからって、こんな綺麗に光だけ吸います?ちょっと有り得ませんよ」

 ザナバザルの観測した『影』。そして、その中に走る青白い光の筋。合理的な仮説を立てるには情報が足りていないが、この説は多分違う、と千里の直感は言っていた。

「目下の問題は、これが月都市の動力源と関係しているのか、ということですね」

 副長が指摘するのは、最悪の……想定しうる中で、一番考えたくない可能性。

「異種概念機関のトラブル、ですか……」

「手隙のメンバーに木星の事故記録を洗わせます」

 本当に考えたくもないことだが。このケースの場合、最悪、

 概念機関について分析するだけの人材は居る。しかし、『月天』が絡んでいる以上、徳エネルギーが絡んでいる可能性も高い。

の専門家を現地に送り込んだのは、失敗でしたかね……」

 嘆くべきは、持ち札の乏しさ。

 もしかすると、自分達は。パンドラの箱に手を掛けてしまったのかもしれない。などと、彼女はらしくないことも考えてしまう。

「現段階では、二名の生死はまだ不明ですが」

「……最悪のケースだけは想定します。PDD-002の使用準備を」

「002……といいますと、『ミラー』ですか?ええと……その、本気でアレを!?」

「関係各国の承認のも含めて、調整をお願いします」

 しかし、パンドラの箱が開いてしまったのだとしても。つまるところ、『中身』が飛び散る前に蓋を締め直してしまえばいいのだ。

 そして、移民船団の保有物の中には……幸か不幸か、それを可能とするものがある。PDD-002と呼ばれる、移住先の惑星を改造するための道具。そう口にすれば聞こえはいいが、言い換えれば「惑星環境を不可逆に破壊する兵器」としても使えてしまう。

 今起こっている現象は、月表面の冷却。なら理論上は、「その分のエネルギーを補充してやれば」元通りになる。

 それを可能とするPDD-002の原理は、古くは紀元前にすら遡る単純にして明快なものである。

 故事になぞらえるならば、「アルキメデスの鏡」。奇想の源に敬意を表するならば、「ダイソンの壁」。二の呼び名を持つそれは、人類史上、最大にして最強の破壊力を持つ兵器である。


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ブッシャリオンTips PDD-002『アルキメデスの鏡』(Lv1)

 移民船団の持つ最終兵器。その正体は、恒星軌道上に展開する巨大な鏡面人工天体である。その由来から『ダイソン球』と呼ばれることもあるが、展開時にはどう見ても球というよりは壁、フィルムであるため『ダイソンの壁』、或いは輪と呼ばれるのが一般化している。

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