最終節「黄昏のブッシャリオン③」

 少女は、街を見渡す。

 崩壊した嘗てのこの国の首都。記録によれば、最盛期には1000万を超える人口を数えるも、『大災禍』の以前より人口減少で維持が怪しくなっていたメガロポリスは、既に人の住まう場所ではなく。環境維持用のドローンの一体すらも見当たらない。

 だが、その郊外の一区画にある実験用都市区画に近付くにつれ、人類の活動痕跡は増加する。

 街というのは、生き物だと。大昔の資料で見た覚えがある。彼女が暮らした人工の街並みでは、それを実感することはなかった。しかし、この街は。生き物と同じように。いや、生き物以上に乱雑だ。

 たとえそれが、とうに朽ちた組織の塊で。ここにあるのが生き残った僅かな部分であるとしても。そこには人が暮らし、生活がある。

『……ブッシャリオン崩壊放射、基準濃度の30倍』

 顔の見えないヘルメットの奥で、彼女は呟く。

 だがむしろ、人間が生活している場所ですら、これだ。徳カリプスなどというばかばかしい名前を使うつもりは無いが。徳エネルギーの欠片は、この世界に既に充満している。

 嘗ての世界と、何が変わったのか。どんなロジックエラーが起きるのか、見当もつかない。持ち込んだ『装備』も、一体どれだけが使えるやら。

 ……そう考えた矢先に、センサーが壁越しに人影を捉える。現地人、いや、この街の住民か。

『……この姿では、怪しまれるか』

 そう呟いて、彼女は宇宙服のような……否、実際、宇宙服そのものなのだが……ハードスーツのヘルメットを外した。

 埃っぽい空気を吸い込んでむせかえりながらも、翻訳機をONにする。母線との通信によるバックアップは今は使えないが、無いよりはマシだろう。

「あ……あー、翻訳、動作、確認。この街で一番偉い人はどこにおりますでしょうか?私は旅の商人です。主に情報の商材を扱っております。ご入用でしたら後ほど……」

 接触した際の、定型句を読み上げた後。

「…………」

 彼女はしばし沈黙する。翻訳機の精度が悪い。意味は通るし、文法も多分間違っていない。だが、まどろっこしい。

 『移民船団』の翻訳機は、本来は地球外文明との接触を想定した仕様で、細かいニュアンスやTPOに合わせた言葉遣いをコントロールできるようにはできていない。そもそも指導者層の人間は、大抵の言語なら圧縮学習で一週間もあれば覚えて使いこなす化け物揃いだ。だが、彼女のような『凡人』は、そうもいかない。

 これなら、無い方がマシか。そう判断した彼女は、翻訳機をOFFにした。

「……任務、は、果たす」

 そもそもが、僅か百年の差。なるべく口を開かないようにして、口調やアクセントに気を付ければ多分なんとかなる。きっと。

 そして意を決した彼女は、つい先程見つけたばかりの現地住民一号に、勇気を振り絞って声をかけた……


----------

 軌道上。

「……現地派遣要員の人選についてですが」

 と副長に問い掛けられて、千里はそちらに顔を向けた。

「まぁ、そもそもが危険地帯ですからねぇ……戦闘力優先の選出になるのは仕方ないんじゃないですか」

 今の彼女達にとって、地上の大半が『危険地帯』だ。本来なら機動兵器の類を分隊単位で降ろすところだが、それだけのリソースは無い。単独での偵察には『目立たず事を運べる』というメリットもあるが、デメリットも多い。

 必然、問題となるのは『メリット』を生かせる人材かどうかなのだが。

「では、地上拠点の『第一候補』近辺については、あれで適切だと?」

「うっかりが出るだけで、基本は優秀な子だと思いますよ……?」

「何故目を逸らすんです?」

「例えば、潜入任務だって言ってるのに、船外活動服を着て堂々と現地に乗り込むとか。まぁ、その種のうっかりさえなければ……」

「致命的では?」

「まぁ、そんなことより、『本題』の方です。人的、物質的なリソース欠乏を解消するには、情報的リソースに頼るしか」

「……『泉』、の件ですか」

 リソースが割けないのには、理由もある。

 南極地下にある、巨大演算施設。通称『ミーミルの泉』。本来は彼女達の持ち物であるその場所に、今は手が届かない。その演算資源を押さえれば、状況は或る程度は好転するだろうに。

「機械知性による完全掌握を免れているのは僥倖ですが、『誰か』に押さえられているのもまた厄介な事実です。だから、ちょっと、交渉しに行ってこようかと」

 手が届かないのは、何者かがアクセスを押さえているからだ。

 本来の持ち主である彼女達の手すらも跳ね除け、かといって自分が『それ』を使うわけでもない、いうなれば門番が。

 その何者かについては、ネットワーク上の座標はある程度わかれど、物理座標はまるで世界中を動き回っているかのように掴みきれていない。まして、此方からアクセスすることなど、果たしてできるのか。だからこそ、疑問は残る。

「あの、行くというのは、どこへ?」

「大丈夫、何処へも行きませんとも」

 だが、方法はある。

「折角回収した『炉心』のリソース、使わないと勿体ないですし」

 木星から回収した、『一番艦』の炉心になる筈だったもの。

 徳エネルギーとは別種の概念機関のコア。そこにあるだけで、無尽蔵のエネルギーを生み続ける『何か』。

 それは即ち、仏舎利/ブッシャリオンとは別の、疑似徳エネルギーからすらも離れた『法則』の核となるものだ。

 だから、それを使えば、理論上は『辿り着ける』、否、割って入ることは出来る筈なのだ。徳エネルギーという、因果によって形作られた世界。その高みにある視座に。それを通せば、物理ではなく仏理に因って、『何者か』のところへ辿り着けるのではないかと。

 そう、仮説を立てた者が船団の内にいた。彼等は本質的に、エキスパートの集まりだ。そして……だからこそ、地上でとうの昔に喪われた、概念機関イデアル・エンジンをも、欠片なりと知っている。

「……例の与太話ですか。仮に、本当に行けるとしても。その『誰か』は、本当にそこに居るんですか?」

「勿論ですよ」

 あの演算器を押さえることのできる程の情報を代謝する『何か』が、その場所に居ない筈は、無いのだから。

「それでも、危険は大きいと思いますが」

「……だからと言って、多分、他人に任せると、成功率下がりますし……」

「その、普通に通信で頼むわけにはいかないんですか……?居場所の特定にしても、もっと時間を割けば……」

「それだと多分、意味がありません。了承を取り付けても、幾らでもひっくり返せてしまう。相手は未知の存在です。演算結果への手出しも、必要ならしてくる可能性があります。まぁ、礼儀、というやつですよ」

 だから、徳エネルギーとは異なる、概念機関。それを『ブースター』にして、その『誰か』が居る場所に、殴り込みをかける必要がある。『礼儀』と彼女は口にしてはいるが、つまるところ演算能力で殴りつける、といった類の話だ。

 ……しかしこの星は、徳という『法則』に満ちている。其処へ、別の法則(ルール)に基づく無理を力づくで通すのだ。その結果、何が起きるかは予測の外にある。

「……それでも、やるのですね?」

「まぁ、そうですね」

 理屈は、幾らでも付けられる。しかし、結局のところ彼女達は。前に進むための存在なのだ。

 何故なら彼女は、『特別』なのだから。



ブッシャリオンTips 偵察要員(仮)

 船団に所属するサイボーグの一種。地上偵察任務に当たり、徳エネルギーが充満する環境に対する調整と専用装備を支給されている。複数人が世界各地に派遣され、現在のところは主に地上拠点候補地付近の実地調査や、現地勢力との利害調整等の地固めを目的としている。


 補足

  第七部/払暁のブッシャリオン・重要登場人物

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る