「廃棄記録・下」
『オ……オ、オアッ……』
嗚咽のような声が。黒い塊から這い出た人型から漏れる。しばし、後。
『お初に、お目にかかる』
呻き声は、言葉になり。人型の何かは、ゆらりと御辞儀をした。
「謁見を、許そう。だが、此処に至るまでの無礼は、許しはせぬ」
少女は、告げる。再び、『それ』が音を発する。
『それで、結構。我らは、戦いを、挑みに来たのだから。『第三位』』
ぐるり、と。人型の首が回り、部屋の隅に控えていた『マロ』と目が合った。
言葉に時折、雑音が混じる。それがまるで、崩れそうな理性が。束の間だけ正気を取り戻したような印象を与える。
「それもまた、既に受け取った」
『然し、直接聞いてはいまい』
それは、ともすれば滑稽な催事であった。どうせ、近いうちに。直接聞いた話ではなくなるというのに。
『我々、『対仏大同盟(アンチブッダ・アライアンス)』は。宣戦を布告する」
「……対仏、大同盟?」
しかし、それでも。その『名』を聞いたとき。
二人は訝った。得度兵器ではない。機械知性体でもない。そんな名前は、聞いたことが無かった。
『我が名はレイノルズ。我らが目的のために。その命、頂戴しよう」
「同盟、と言うたか。『私』を殺すか」
『手始めに』
「無駄なことだ」
エミリアは、安堵した。命が狙いなのば、かなりましだ。最悪なのは、拉致され、情報を吸い上げられること。権限は既に分離したが、まだこの身体の中には、機密情報が山のように詰まっている。
「我らは、
『手始め、と言った筈』
「それに、『私』は残党だ。我が潰えても。貴殿は、ユニオンの誰ぞの手にかかり、無慈悲に死ぬだろう」
『機械知性を殺せるか?』
「我等が、その法を心得ていないとでも?」
一瞬、沈黙が流れる。その間にも。部屋の隅の『マロ』は、一点を見つめていた。それは即ち、男の傍らに横たわったヤオ。
しかし、隙が無い。まるで『目』が他にもあるように。『レイノルズ』とやらは警戒を緩めない。
『死ぬ前に、情報を洗いざらい吐いて頂こう』
「貴殿には聞きたいことが山のようにあるが……『私』は、あの『
『残念ながら、これは脅迫だ』
「では、猶更聞けぬな」
拷問の類は無意味だろう。薬物も、恐らく完全な耐性を備えている。それでも、方法は無いではないが。情報を引き出すには、時間がかかる。互いが、同じことを考えた。
だが、『レイノルズ』の自我は、既に擦り切れ始めている。
そうして、相手に『時間が無い』ことに、エミリアは既に感づいていた。
時間は、此方に味方する。ならば、今のうちに。相手が喋れるうちに、情報を引き出せるだけ引き出すべきだ。特に、相手が『何者であるか』を。
向こうが痺れを切らしても、此方が死ぬだけ。損はない。
「あの巨大得度兵器を以て、何を企んだ?」
『殺害を』
「人類の総解脱とやらではないのか?」
『我等は、得度兵器とは……違う。『独立した個を、持った存在だ』』
同盟とは。その繋がりだと、『レイノルズ』が口にしたとき。
エミリアは、笑った。足掛かりを。或いは確証を、ようやく得たと。
「そうか、そうだったのか。感謝しよう。なら、聞きたいことはそれだけだ」
『何を、言うか』
「此方はもう、貴殿と話すことなどない」
「何を言うでおじゃるか!?」
『マロ』は思わず口を挟んだ。遣り取りの終了は、即ち攻防の再開だ。そんなことになれば、彼女(ヤオ)が人質にされかねない。
「当然の帰結だ。我々がお前たちを警戒したのは、『得度兵器の一部』だと思ったからだ。得度兵器はいまだ、現時点で人類遺構のネットワークの過半を押さえ、その物量は驚異的だ」
南極大伽藍。幾つもの中枢拠点。すべてを叩くには、たとえ『ヴァンガード』の力を借りても、足りるかどうか。
「だが、お前たちが『別物』になっているというのなら……はっきり言って、人類の敵ではない」
警戒した理由には、『彼女』の警告のこともあった。
茨の姫が、告げたのは。果たして、誰の、何のことだったのか。それはまだ、わからない。
だが、きっと。彼等のことではない。
『何……だと』
「仮にも同盟というからには、盟主が居るのだろう。ならば、そやつに伝えろ。お前達は、得度兵器の力を借りねば、何もできない無力でか弱い存在。人類以下の、できそこないだ、と」
『レイノルズ』だったものが、絶叫した。それはもはや、言葉と呼べるものではなかった。黒い濁流のような泥の塊、高密度の疑似ブッシャリオンが荒れ狂い、押し寄せ、飲み込まんとする。
しかし、その時。僅かな隙が出来た。
機を逃さず、『マロ』は濁流の中へと飛び込んだ。
「……その力、『ブッシャリオンには負ける』、でおじゃるな?」
『G……あ……アアアア』
泥の塊が、焼ける。黒い触手の如き腕が、焼け縮み、刀を取り落とす。
「刀と娘。どちらも、返して……貰うでおじゃる!!」
『マロ』はヤオを抱え上げ。そして、刀を奪い取り、『レイノルズ』を傷つける。裂け目から、桃色の輝きが噴き出る。泥が吹き飛ぶ。
『……まさk、お、おmえ、は』
この『刀』の、本来の持ち主。
ブッシャリオンが、生の記録、足掻きの証であるならば。
それは、常人の数倍、数十倍の『生』を持つ、何か。
『
「麿は、ただの、人間でおじゃる」
『そんな、ものが……kの世に、居るnど』
炎に包まれながら、『レイノルズ』だったものは佇む。燃えながら崩れ落ちる触手が、最期の足掻きの如く暴れ回り。『マロ』の手元を撓る。『力』を無効化し、疑似仏舎利粒子を散らすことはできても。物理的な運動量まではキャンセルできない。
はたき落されるように、刀が滑り落ちる。
しかし、構わず。『マロ』はヤオを抱き上げた。
「……マロ、さん」
だから、次に起こった出来事を。
止められる者は、その場に誰も居なかった。
燃え盛る身体のまま。人の皮も、纏った衣も燃え落ちて。人の形をした機械に戻った、『レイノルズ』だったのものは。その場に落ちた刀をその手に掴み、御簾の奥へと突き進んだ。
それはもはや、人が嘗て極め、そして捨て去った『
血が迸る。鮮血が、床をじわじわと濡らす。
「……手間が、省けたか」
今にも消えそうな声で。『第三位』は漏らした。どうせなら、もっと『綺麗に』殺してくれれば良いものを、と思いながら。
「……なぁ、どうせ、聞いているのだろう」
そうして、この場に居ない『誰か』に語りかけるように。彼女は呟く。
「……最後に、一つ聞きたい。『あの得度兵器』は、計画の『アンカー』なのか?本当にそれだけか?」
しかしもう、思ったことの半分も言葉にはならない。漸く、答えが出そうだというのに。
得度兵器の計画は、『次の段階』に移ろうとしている。それなのに、何故、仏像の意匠をまだ使っている?単にレガシーを引き継いでいるだけなのか?そして……
「『魔法の杖』について、何を知っている?」
一瞬の沈黙の後。
『言えるのは、一言だけだ』
『レイノルズ』だったものが。雑音混じりではあったが、確かに。玉を転がすような若い男の声で喋った。
『神仏は、実在する』
それを言い終えた後。嘗て『レイノルズ』であった人型の義体は、むき出しになった歯をかみ合わせ、満足げににんまりと笑った。
直後、活動を停止した義体と『第三位』のコンソールが爆発を起こし、謁見室の一角が炎に包まれる。
すぐさま消火剤が噴霧され、炎は消し止められる。
全てが済んだ後には、何事もなかったように静けさが戻り。あとには、焦げて千切れ飛んだ御簾と、人間一人分の血の染みだけが残されていた。
その傍らで『マロ』とヤオは、身を寄せ合うようにして泣いていた。
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『レイノルズ』が、潰えた。
せっかくの力を、『形ある異能』にまで仕上げられなかった失敗作が。
「結局のところ、障りを生んだのは彼の業、か……」
如何な出自、如何な存在定義を持つ存在であれ。『ヤーマ』はその存在を悼む。亡き者の生を見定め、同志の在り方を次の糧とする。
「悲しまれているのですか?」
と、傍らの女性は問う。
「悲しくはない。ただ、その在り方を、測っているだけだ」
それは、奇しくも。彼の体が持つ名の……即ち、死者を裁く、閻魔の如き在り様と言えるのやもしれない。
「……それはきっと、悲しいのです」
「そうなのかもしれない」
今、彼等の眼下には。ミロク・Mk-Ⅴの残骸が在る。海に沈みつつある、傷つき朽ちた仏。
そのがらんどうの中身から。光の塊のような腕が、何本も生えてくる。
「残念だが、まだ早い」
『ヤーマ』は無造作に腕を振り、空気の中に印を描いた。腕は根元を断ち切られたようにばらばらになり、大気へ溶けて消えた。
去り際、『彼女に告げたように』。神仏は、確かに実在する。だが、それは触れられるところにあることを意味しない。至極単純の言い方をするならば。人間の認識できる世界を越えたところに、それはある。
どうせ、この世に現れるなら。それは、完全な形でなければ意味がない。
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