第六節「払暁の光④」
「……まだ、戻らんでおじゃるか」
作戦開始、十分前。げっそりとやつれた『マロ』は呟いた。まだ、彼女は戻らない。
彼女が『何をしているのか』、は……実のところ、この数十分でおよそ見当がついていた。彼女の不死の方法を、彼は噂程度とはいえ知っているが故に。
「そろそろ船体を『縦』に回す時間でおじゃるが」
彼女が今している作業に、影響が出ないか、というのも僅かに気がかりだが。何より、此処から先は戦闘が始まる。日常的な『何をすればいいか』がはっきりしている書類業務は何とか捌けても。リアルタイムで戦略を練り、指示を下すような仕事は手に余る。
既に精神的にも限界が近い。逡巡は数秒、数十秒、それとも数分だったか。時間の感覚が、もうおかしくなってしまっている。
「……ローリング開始。で、おじゃる」
その末に、ようやく端末上の承認ボタンを押す。確かなことは、ただひとつ。やはり、出来るところまでは、やらねばならない。それだけだ。
そうして一瞬、『マロ』の身体を、上昇するエレベーターに乗ったような重さが襲った。
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機体のエンジンが咆哮を上げ、ゆっくりと巨大な翼が持ち上がる。同時に、反対側の翼が巨大な飛沫を上げて水面へと沈んでいく。普通の航空機ならば水面への翼の接触は避けるべきところだが、今回の場合は水面に接した翼が
「……し、沈むの!?」
通路の封鎖直前に機体のハッチへ滑り込んだヤオだったが……その後は、二進も三進も行かなくなっていた。『マロ』が居ると思われる中枢を目指すため、どうにか配管の中を進んでいたが、その最中に水が流れ込んできたのだ。
すわ沈没か、と思いながらも彼女は我武者羅に空気の残る上方を目指す。
その異変の原因が、彼女の探す当人にあるとは、露程も知らぬまま。
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「……やはり、時が足りぬか」
『第三位』は、微かな振動でそれを感じた。機体中枢区画は、加重方向に対し自動的に平行を保つよう設計されている。それでも、機体が先程までとは異なる回転を始めたことは察せられた。
彼女が行う作業は、「乗り換え」ではなく、謂わば「引き継ぎ」だ。新しい肉体に最新分までの記憶情報のバックアップを行い、その整合性を確認する作業。これで新しい体は彼女として動かせるようにはなるが……実際に乗り換えた後には、『慣らし運転』の期間が必要になる。
故に、実質的な乗り換えと継承には時間がかかる。だから、まだバトンは引き渡せない。そして……此処から先の出来事は。次の彼女自身には記録されない。
完全な不老不死には程遠い、乗り換えを行うたびにそう思う。それでもこれが、彼女達の今の限界だ。
「……もう少しだけ、時間をかけたかったが」
戦いは、もう始まる。次の自分が少しでも良い条件でスタートできるように。彼女は、『次の自分』に背を向け、命の終わりまで足掻き続ける。
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「……随分と、苦労をかけた」
「やっと戻ったでおじゃるか……」
『御簾の向こう側』へと戻った彼女の眼に映るのは。一時間前に比べて、随分とやつれた男の姿。そして、忠実な部下たちの姿。
Tマイナス、3分。
船団の避難状況。戦闘圏からの離脱は完了。但し、全船の退避安全圏到達まではあと3分。
機体の制御状況、確認。バンク角35度。エネルギーライン全段正常。敵の位置と侵攻速度……
「予定より、少し早いか」
現状確認を終了。
「オペレーション・イカロス、最終段階へ」
そうして彼女は、この作戦の名を告げた。
翼を捥がれるのは、果たして彼女か。それとも、まだ見ぬ『彼等』であるのか。
「……そういえば」
と、口にする間も。『マロ』の端末からは、次々と未処理のタスクが『引き抜かれて』いく。彼女が戻ったことには、もはや安堵しか感じなかった。
「報償についてでおじゃるが」
「……そうであったな。この作戦が終わったならば、この身は好きにして貰って構わない。辱めるなり殺すなり、好きにするがよい」
彼女は、こともなげにそう返した。
「……見損なわないでほしいでおじゃるな」
「それだけ恨まれる自覚はある、ということだ」
『照射開始まで、あと60秒』
「……要求は後にするでおじゃる」
「其れが良い」
『50』
カウントダウンが始まる。漆黒の機体の翼に、小さな光が灯る。
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