第六節「払暁の光②」
神があるから人があるのか。人があるから神があるのか。それはつまり、鶏と卵だ。しかし鶏以外の何かからから卵が産まれたならば。答えに一つ、近付ける。
それは、彼にとっては重要ではない事柄であるのだが。『恩人』が気にする以上は、義理程度の気掛かりはある。
「弥勒は兜率にいまし、地の巷は遍く末法なり」
『レイノルズ』は呟く。
そして、自分が生きていることを。己と他とに知らしめたい。それ以上は、望まない。神仏の存在も。それに救いを求める人の心も。彼には、推測は出来ても理解は及ばない。
口髭と裾が風にはためく。地面から遠く離れたこの場所でも、炎の匂いが届く。悪鬼の形相に成り果てた得度兵器が、障害を薙ぎ払ってゆく。
彼は、仏の掌の上で。優しげに、手に持った仕込み刀を撫で、土を払い、頬ずりした。
刀の鎬地のような部分には明滅する擬装被膜が張られ、今は『CASCADE』の銘が表示されている。これもこれで、中々特別な武装(もの)なのだが。命の遣り取りの興奮の前には、忽ちどうでもよくなった。
嗚呼、あの『続き』が楽しみだ、と。彼は期待に胸を膨らませる。
戦場まで、あと一時間程。
それまでに、まだ『人類』は何か手を打って来るのか。それとも、何事も起こらないのか。どちらでも構わない。ただ、この待っている時間が。彼にとっては堪らなく愛おしかった。
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「あと50分……」
膨大な作業量の波間から、辛うじて『これから何が起こるのか』が見えてきた。基本は、全徳エネルギー備蓄を注いだ狙撃。その照準をつけるために船体を『回す』必要がある。
但しそれは、水面上だけではなく、『縦の方向』にもだ。そのために機体のエンジンを使って、翼の片側を持ち上げることになる。他にも、幾らか関連性のわからない決裁事項はあるが。骨子は間違いあるまい
喩えるなら、シーソーの両側にジェットエンジンを逆向きに付けて吹かし、無理矢理釣り合わせるようなものだ。こんな真似をすれば、機体に設計外の負荷がかかって翼が折れかねない。少なくとも……二度と飛ぶことは、叶わなくなるだろう。
「……覚悟、でおじゃるか」
僅かに十数分、欠片を負っただけで、彼の胃壁は悲鳴を上げはじめているというのに。選び、切り捨て、繰り返し。その何倍もの重責を、百年以上に渡って背負い続けるのは。果たして人間に出来ることなのか。
「……まったく、敵わんでおじゃるな」
200年分と言ったが、きっとそれでもまだ足りない。もしかすると。これは、彼が今まで生きてきた中で。一番長い、一時間かもしれないのだから。
『残り45分』
『マロ』自身、気づかぬまま。巨大な機体はゆっくりと、水の上を滑り角度を変えていた。左翼に搭載された砲が、静かに海の向こうの巨仏を指向する。
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「……これ、どう思われます?」
「どうって、大仏が動いているとしか」
「そうではなく。瀬戸内の『ユーロ』が、南極と戦端を開いたようです。先に仕掛けたのが何方かまでは判断できませんが」
「まぁ、そうなると……わたし達の敵味方設定に、少し問題がある、ということになるのでは?」
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『残り40分』
『Cクラス以下の社員、並びに一般居住者は速やかに退避予定の船舶へ移乗し……』
「……逃げないと、いけないのかな」
ヤオは小さく呟く。今からここは、戦場になる。彼女は、無力だ。少しずつ、できることは増えている。それでも、今は、まだ。
そうして、つい昨日まで不動に見えた黒い城が。今はゆっくりと動いている。それは、彼女達この場所に暮らす人々にとっては天変地異のような出来事だった。それでも辺りを見回せば、誰もが混乱しながら、自分の役割を果たそうとしている。
彼女は何かを決意したように、胸元から一枚の封筒を取り出した。ぐしゃぐしゃになった封筒の中には、『ご協力のお願い』という文字が皺の間に踊っている。
少し前に彼女の下に届き、中身を知ったマサコが破り捨てたもの。そして、それを彼女がこっそりとゴミ箱から回収したものだ。
悪いことをしているとは思っていたが。どうしても、捨てられなかった。
これが、彼と再会するための、一筋の蜘蛛の糸と思えばこそ。
封筒の中には、一枚のカードが入っていた。彼女が協力を依頼された『実験』に参加するための、通行証(ID)。
実験場は、あの黒い機体の中。彼に会える機会と思えば。どんなものであっても、無碍にはできなかった。
まだこのカードが使えるのか。それはわからない。それでも、ようやく訪れた唯一かもしれない機会を。確かめもせずに手放すことは、彼女にはできなかった。
時間は、もう残り少ない。ヤオは自室へ戻り、村を飛び出した時に持ち出したものを掻き集めた。『マロ』の着物。そして、刀。少し考えたが、結局持って行くことにした。
そうして、全ての準備を整えたあと。彼女は、大きく深呼吸をして。海の中へと飛び込んだ。
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