第四節「アームド・ヴァーチュー③」

 瀬戸内。危うい睨み合いを続ける人類と得度兵器のもう一つの最前線。

しかし、ただ日々を暮らす人々にとって。それとは無関係に一日は過ぎていく。

「……わたし、こんなことしてていいのかな」

 少女は呟く。この海上都市に来て、一年が過ぎる。嘗て暮らしていた村とは、何もかもが違う場所。

「よっと」

 彼女は、剥き出しのままの船の接続配管を軽々と飛び越え、家路を急ぐ。

 この『近道』の船からは、今は海上で羽を休める巨大な黒い翼……トリニティ・ユニオンの『本社』がよく見えた。だから彼女は、この場所を気に入っていた。

 あの中枢で、何が行われているのかを彼女は知らない。やがて訪れる人類存亡の危機も、また。彼女と、日々を生きる船団の人々の大半には預かり知らぬところだ。

 それでも、あの場所には。彼がいる。

 あの日。港から無理やり連れ出され、マサコの家に連れ帰られた後。彼女は彼女なりに、彼女にわかる範囲で、必死で今の状況を必死に必死に考えた。具体的には、考え過ぎて熱を出し、数日寝込んだ。

 そして、ひとまずこの海の上の街へ、留まろうと思い至ったのだ。

 故郷の村にはもう帰れない。帰りたくない。あの『マロ』の広大な屋敷を維持することも、彼女にはできはしない。何より、あそこには。思いでしかないのだ。

 だからせめて、できるだけ近くに居ようと思ったのだ。そうすれば、いずれまた。機会がやって来るかもしれないから。

 それとも、彼女があの中枢に入り込む方が或いは早いのか。

 とにかく、長期滞在するとなれば漫然と居候するわけにも行かず、この船の上にある教育機関に通いながらマサコの手伝いをすることになった。細かい扱いはよくわからないが、とにかく何かがどうにかなったらしい。体質がどうこう、助成がどうこう、という話も聞いたような気がするが。

 今の暮らしは、満ち足りている。あの村に居た時と比べてすら。満ち足りすぎている。

 それでも尚、彼女の心の内には燻り続けている炎がある。奪われたものを許すなと。ふとした瞬間に思うことがある。『このままではいけない』と。

「ただいま!」

 彼女は家の扉を開く。

「おかえりなさい」

 と迎えるマサコの声がする。

 本当は。これが、ごくありふれた幸せだった筈なのだ。

 大いなる破綻の前。人が望んだ世界。誰もが望んだ筈の世界。それを歪めたものは、果たして、人か、世界か。それとも。


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 『本社』の通路で。

「反対でおじゃる」

 と、『マロ』は言う。

「……これは、『第三位』の決定です。今の我々には時間がない」

「なら、直接会わせるでおじゃる!ついこの間まで顔を合わせていたのは、理屈が通らんでおじゃる」

 ユニオンの社員に、尚も『マロ』は食ってかかる。

「今までの面会が特例ということです。許されよ」

「だからとて……人体実験をするなんて、聞いておらんでおじゃるよ!!」

 ここ数日、急に『第三位』に会えなくなった。それだけなら、いい。此れまでにも度々あったことだ。単なる多忙と納得もできよう。だが、同時に指示された仕事(タスク)が問題だ。

 人間を使った、徳エネルギーのデータ収集。解脱臨界ギリギリでのブッシャリオン挙動観測。

 つまるところ。『京都』の再現実験。

「人体実験と言っても、必要範囲のごく穏便なものです。加えて既に、『強い』人間を選抜済みです」

「解脱耐性については、データ不足でおじゃる。まだ実験の段階にすら、ないでおじゃる」

「しかし、データは要る筈です。他の手段があるならば考慮しますが」

 有用であることは、わかっている。研究を進める上では、どうしても。『そういうデータ』が要る局面ということはあるものだ。平穏な時代のみに生きるであろう人間には、思い浮かびすらしないであろう選択肢。それを、不死者の彼は

 元はと言えば、進捗を問われた彼がふとそれを零したこと。それを可能とする権力が今の時代にはあることを忘れていたこと。

 つまり、身から出た錆であるが。

「……ぐぬぬ」

 それを割り引いて尚、ここ最近の『ユニオン』には、焦りが見える。第三位との音信不通と関係があるのかまでは判らぬが。

 この実験も、彼がやらずとも、きっと間違いなく誰かが代わりにやるのだろう。ならば、最低限、己で手綱を取った方がマシというものか。

「……被験者は、誰に頼むでおじゃる?」

「殆どが、『外』の人間です」

「データをよこすでおじゃる」

「……こちらのメモリにあります」

 『マロ』は引っ手繰るようにメモリを奪い取り、新型の笏型端末に突き刺す。ネットワーク上にログを残さぬ程度の『良心』はあるのか、と内心毒づきながら。

 個人データが画面上に表示される。何か不備があれば難癖をつけてやろうと、情報を手繰る『マロ』の、

「……おじゃ」

 手が、ある一箇所で止まった。

 その名前。何かの間違いであろうと、願った名前が。其処には確かに表示されていた。

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