第232話「二重(デュアル)」

『全てのものが、悟りへとたどりつくことができる』

 僅かに二千年前。ある僧侶が広めた、ともすれば夢想的な教えは。テクノロジーの力によって実現された。機械知性はそれを原理に据え、万人に悟りと解脱を配給せんとした。理想は達成された。

 これは、それからあぶれたものの話だ。


 モデル・クーカイ。人の身に異能を宿した者達。生きながら仏に辿り着こうとした試作品ミュータント。その道行きは決して平坦ではなかった。最初に齎された「偶然の成功」に前後して。計画は幾人もの実験体を作り出し。そして、失敗を繰り返した。

 その中に、『クーカイ』も居た。彼は、ナンバーすら与えられぬ失敗作だ。しかし、様々な研究に協力する対価として。一定の自由と知識を得てきた。

 クーカイが持っているのは、モデル・クーカイとして持つ徳エネルギーを制御するための根本、謂わば回路、或いはの欠陥だ。故に理論上、それを外から補えば、その能力は完全なものとなる。

 彼自身にもわかっては居た。だが、その方法は見当もつかなかった。

 彼は徳エネルギーを垂れ流し、だましだましに不完全な異能と付き合っていくしかないはずだった。

 モデル・サイチョーを手に入れるその時までは。

 ゼロから異能の器を作り出すモデル・サイチョーであれば、確かに不完全なモデル・クーカイとて異能を扱える。しかしそれは、体内にもう一つ。別の系統の器官を設けることだ。

 例えば。モーターを二つに増やした自動車は、正常に走るだろうか?翼を二倍に増やした飛行機は飛ぶだろうか?

 答えは、未知だ。走るやもしれぬ。飛ぶやもしれぬ。動かぬやもしれぬ。或いは、明後日へ向かって奇怪な挙動を繰り返す可能性が最も高いのかもしれぬ。二系統の回路サーキットがどう干渉するかは、試さねば、わからない。

 しかし、徳の枯渇は死だ。それだけは動かぬことだ。そして、何処かが短絡ショートすれば、それは瞬くまに現実のものとなる。

 それでも、崇高な意思と。その行動によって人はそれを達成する。その神話もまた、真実だ。否、『真実になった』。

 生は明けの暗がりから生まれ、そして死の際に黄昏の暗がりへと還る。

 ただ、それだけだ。


(しかしこれは……不味い予感がする)

 走馬灯のように、クーカイの中を過去が流れていく。

 恐れた通りに、系統が短絡ショートしているのか。それとも、薬剤そのものに何らかの幻覚トリップ効果があるのか。彼の主観からは推し量れぬことだった。


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▲▲▲▲▲▲▲▲


「今日の実験は、徳エネルギーの人体への影響を調べるものだ。嫌なら拒否して構わない」

 研究所の中には自由があった。研究員はきちんと実験の目的やリスクを説明してくれたし、彼にもそれを理解することができた。

 徳の枯渇と云う名の縛りがあるにせよ。不満は然程抱かなかったと記憶する。

 無論、抱いたところで、何もできなかっただろうが。研究所の内側だけが彼の世界だった。己が生きるのは、ただ漠然と、人類のためだと思っていた。

 やがて彼は長い眠りに就いた。最後に辛うじて記憶しているのは。微睡みの中で、研究所が崩壊する音と。他のモデル・クーカイ達のカプセルが慌ただしく航空機に積み込まれ、運び出されていく光景。


 次に目覚めた時。そこは、花の咲き乱れる場所だった。

 辺りには何もなく、誰も居なかった。地面に突き刺さったカプセルからゆっくり体を起こすと、あちこちが軋みを上げた。

「クー……ケ」

 長く眠り過ぎたか。自分の名前を音で確かめようとして。声の出し方がわからなくなっていることに気付いた。

 どうにか体を動かし、カプセルの時計を見ると。ずいぶんと長い時が過ぎていることがわかった。

 よくもこれほどの間、己の徳が持ったものだ、と我が事ながらに感心した。この冷凍カプセルの動力は、己の徳エネルギーだ。眠りながら功徳を吸い上げ、中の人間を半凍結状態で眠らせ続ける。そして、最後には。徳を吸い尽くし、ソクシンブツですらない木乃伊へと変えてしまう。そういう、一種の処刑装置でもある。

 自分をそこへ押し込めた者達を、不思議と憎みはしなかった。それほどに、自分の中身は空っぽだった。

「イキて、いる」

 そのことに、不思議と今気づいた。

 寝転んだまま、じっと自分の手を見つめた。最初に抱いた感心は、徐々に生の驚きへと変わっていった。思わず漏れ出た声が、微かに形になった。世界の中で、音になった。

 今まで居た研究所せかいが既に壊れてしまったことは、極めて容易に想像がついた。なら、この先で生きたところで、何になるというのか。

 己の役割は、もう終わった。自分は失敗作だ。

 生きている意味など無い。

 このまま、眠るように死ぬ筈だった。

 ……ならば何故、終わらなかったのか、何が彼を生かすのか。それを知りたいと、彼は思った。己の生に二重の意義を見出だした。

 起き抜けの体は思うように動かない。徳が尽きかけているのだ。慣れ親しんだ経文を唱えながら歩くと、少しばかり楽になった。

 微かに宿る奇跡も、この分ではとても使えまい。

 彼は花を踏み荒らし、歩み始めた。その手に何も握られていなくとも。否、握られてはいないからこそ。そこが、彼の生れた場所だった。

 進む彼方に、動く巨大な仏像が在った。それが、彼の次に為すべきことを静かに告げていた。

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