Episode 201「余録」

 空海戦線よりも、少し前の出来事。

 どれ程、判断を過たぬ者であろうと。どれだけ、過去を振り返らぬ人間であろうとも。嘗ての『もしもif』を考える一瞬はあるのだろう。しかしその多くは空費に過ぎず。謂わばそれは、本題から抜け落ちた余録のようなものだ。

 だがもし、一瞬の過去の亡霊が。形を持って襲い来るのだとすれば。それは今を生きる者の悪夢に他ならぬ。


 そして、それでも、悪夢はやって来るのだ。


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 南極大伽藍。最果ての地。

 機械の大陸の上に広がる極光オーロラの煌めく空は、今日は静かに晴れ渡っている。

 広がる平原の只中には。堅固なドームで覆われた複合構造物が、今も空の彼方を指向している。

 そしてそれは、大伽藍本来の姿を留める一部分でもあるのだ。

 南極大伽藍は、その嘗ての名を『星の揺り篭』という。

恒星間移民計画のために建造された、地球最後の研究拠点。徳エネルギー文明によって満ち足りた世界で、最後まで果なき彼方を目指し続けた異端者達の砦。

この場所が得度兵器の根拠地となったのは決して偶然ではない。

「……やはり、と見るべきか」

 田中ブッダは、広大な研究施設の中に区切られた、僅かな畳敷きの居室で呟く。その空間上は無数のホロウィンドウで埋め尽くされている。彼が行っていたのは、少し前に動き出した『モデル・ヤーマ』に関する分析だ。

 しかし、どうにも思わしくはない。昨晩もまた、夢を見た。古い古い、昔の夢だ。まるで何かの前兆のように、最近は頻度が増えている。それは機械の身体であっても逃れ得ぬ老いのせいなのかもしれぬが。

 より実際的な問題は、動き出した躯体が未だ発見されてはいないことだ。そして、システムのサルベージや再現実験によって、一定の蓋然性の範囲ではあるが、『それ以外』の可能性は除去し終えた。

 消去法的に残された可能性。それはやはり、動き出した何かが、人に近い性質を持ってしまったモノであることを示唆している。

 『生まれてしまった』ものに関して、次に考えるべきは決まっている。

「生かすべきか、殺すべきか」

 一個体ならば、まだ問題は僅かだ。だが、それが増殖・波及した場合。得度兵器のネットワークそのものに対して影響を及ぼす恐れがある。

 更に。業腹ながら、人類の駆逐は完了してはいない。地上には未だ根強い抵抗勢力が存在し続けている。

「早すぎた芽というのは、悩ましいものだ」

 そう、まだ早すぎるのだ。次のこの星の支配者が現れるには、まだ時は満ちてはいない。あの個体が人類と接触すれば、何を考え始めるものか知れたものではない。

 だが、この機を見逃せば。『次』が何時になるのか予想がつかぬ。

 リスクと速度、どちらを取るか。しかしその思考は、極大の警報音によって遮られた。

「何事だ!!」

 答える者が居ないことを承知しながら、彼は叫んだ。即座に、南極大伽藍のシステム情報を開いていたウィンドウが警報の『原因』を突き止める。

「施設内の異変が原因ではない……」

 この施設本来の機能によるもの。そして、何らかの『外の異変』に起因するものだ。

「通信セクション……外宇宙観測網だと?」

 仏舎利衛星で構築された、太陽系外縁を見張る無人監視システムが明らかな異変を訴えている。だが、今更何故。

 田中ブッダは外套を羽織り、居室を後にする。

 最初に頭を過ぎったのは、機械故障の可能性だ。得度兵器は、人類圏の外側……即ち現在はこの星の外側……に対しては極端に興味を示さない。

 つまり、彼が対処するまで、この異常は放置され続ける公算が大きい。

「堪ったものではないぞ……」

 施設全体の監視室へ彼は足を運ぶ。

 古びた端末から観測網の情報を引き摺り出すのには骨が折れたが。観測データは確かに、人工物が太陽系内へと侵入した形跡を捉えている。

「……何だ、これは」

 田中ブッダは、震えながら、その画面を見つめていた。

「馬鹿な……そんな、馬鹿な!」

 物体は、幾つもの光点に分裂していく。軌道諸元が異常に過ぎる。物体の速度は、目まぐるしく変動している。明らかに人工物。それも、尋常ならざる推進機関を持つ何か。

 誤報などではない。だが、

「あっていいのか、こんな馬鹿なことが」

 そう叫びながら、彼は崩折れる。仏像を模した仮面の眼から、一筋の涙が伝う。

 光点のサイズは、最大のもので全長百km超。その全てが、人工物だ。

 見紛えようもない。見紛えよう筈がない。如何な最盛期の人類と言えど、あのサイズの構造物は……

「移民船団旗艦……アルファ級『ヴァンガード』」

 人類最大最後の宇宙船。

 そして、徳エネルギーから逃げ出した者達の船だ。

「何故、戻ってきた」

 田中ブッダは、そう呟いた。其処に込められた想いは。言葉では現しようのないものだった。



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「……どうやら、『勝ち』の目が見えてきた様子」

 『エリュシオン』の調整槽の中で、第三位は報せを受け取り。耐用年数の近い肉体で、久々の笑みを浮かべた。この分なら、間に合いそうだと。

 彼女は、賭けに勝利した。それも、恐らくはこの星で唯一人の勝利者だ。田中ブッダも。第二位も。茨姫ですらも出し抜けた。

 この目に賭け続けたのは、彼女だけだった。忌々しい先代の道楽が作り出した遺産。『欧州』の権威を失墜させる程の、浪費と放蕩の産物。それでも、今は命綱となりうる。

 そして、何より。この星の誰であっても。あの『彼女』だけは読みきれなかったに違いない。だから其処にだけは、第三位の。エミリアの勝つ目があった。

 頼みの綱の船はまだ彼方にある。連絡を取る術も既に無い。到着には年単位の時間を要するだろう。

 出来るのは、待つこと。そして、耐え凌ぐことだ。いささか以上に予定外の部分が多いことも気になる。それに、今の窮状が改善したわけではない。

 ただ、確かなのは。終わりなき戦いが、終わりを迎えはじめているということだけだった。


▲黄昏のブッシャリオン▲第六部へ続く

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ブッシャリオンTips 『ヴァンガード』

 一番艦の爆発四散により、急遽建造された恒星間移民船(当初から二隻建造予定との説あり)。船名は『先導者』の意。初期の宇宙計画に由来すると思われる。移民船団全体の名称としても用いられる。

 余談だが、カードとかファイトとかとは微塵も関係ない。

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