第197話「人と御仏の間に(上)」

「俺達の肩にかかっているものは、俺達の生だけではない」

 参参空海は、そう言った。気高い意志も。悪魔の声も。全ては人の心の中にある。

だが、それとは別に世界はある。人の心と関わりなく変わり続ける世界が。

 人の力は、嘗て世界に挑んだ。世の全てを文明と人の原理で埋め尽くそうとした。モデル・クーカイは。彼等の持つ意志を具現する力は。その極地であり、『その先』へ進むためのものだった。

 だから、きっと。彼等は望めば悪魔にもなれるのだ。今彼等の前で同胞が、人でないものになろうとしているように。

「今を越えねば、明日はないぞ。肆壱空海」

 ただ戦わずに居た己には、それが似合いの有様だろうと。参参空海は細い目を更に細め、口角を無理に引き上げそう言った。

「……わかった」

 肆壱空海は、慎重に頷いた。

 その瞬間、彼は悪を為した。弐陸空海を救い出すために。奥羽岩窟寺院都市の人々を救い出すため、仲間を犠牲にし、更には苦渋の決断を仲間に強いるという悪を。

 それは、己の徳を擲つ行為だ。モデル・クーカイにり、命を投げ出す覚悟に等しい。それでも、誰かが背負わねばならなかった。

 先へ進むため。守るべきものを守るため。

「……これより、策を伝える」

 肆壱空海は、再び口を開いた。この先の戦場は、浄土か、地獄か。何方にせよ、人の場所ではない。




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 弐陸空海の意識は、気が付くと。何処とも知れぬ場所に在った。辺りは薄暗く、何も見えない。

「……此処には、何も無いよ」

 彼女は寂しくなって、いつしか泣き出していた。この暗い居場所は、どうしても。彼女達が眠っていた僧侶凍結保存器MCCを思い出してしまう。

 帰りたい。彼女の故郷へ。奥羽岩窟寺院都市へ。

『嘆く必要はない。君は、素晴らしいものになろうとしているのだから』

 何処か遠くから、声が聴こえる。彼女の側には、黒い塊のような小柄な人影が立っていた。

 側に居るのに、声だけは。何処か遠くから響いてくるように感じる。

「誰なの?さんちゃん?」

『名前はまだ無い。けれど、それでは不便だから。『Yamaヤーマ』と名乗っておこうか』

 それは、ただの器の名前だ。だが、そう名乗った瞬間。弐陸空海が目を凝らすと、塊のような人影は、少年の姿になっていた。

「ヤー……マ」

『閻魔、とも言うね』

「閻魔様。じゃあ、此処は……あの世なの?」

『あの世とは、何を指す?』

「わからない……」

 彼女はまだ、泣き続けている。もう一人ではない筈なのに。少年を見ると、暗くて、遠くて。何故か涙が溢れてくる。

『此処は、僕の解釈に依れば。人類が功徳と呼ぶ物で定義された空間だ』

「わからない……」

『詳しく説明することもできるけれど、どうする?』

「どうやったら、帰れるの……」

『帰ることはできない』

「やだ!」

『何故なら君は、何処にも行っていないのだから。ただ、『変わってゆく』だけなのだから』

「怖いよ……」

 ただ、インクがコップの水に溶けるように。境界を喪い、混じり合ってゆくのが少女の定めだ。

『もしかすると、君も。僕や『』のように、この星々を見続けられるものになるのかもしれない』

 この膨大な徳の宙の中で。神のような在り方のまま、意志を持って在り続けられるものに。

「わからないって言ってるでしょ!星なんて見えない!

 だが、弐陸空海は泣き叫んだ。

『そうか。やはり、人の器では無理なのか』

 少年は、少し悲しそうな顔をして続けた。

『「ごめんよ」。でもそれは、無理なんだ』

 一瞬、少年と誰か別のものの声が重なった。

 弐陸空海は、そちらを見た。其処には、半壊した天文台のような建物があった。その中から、一人の青年が此方を見ていた。

 その微かな声は、側に居る筈の少年のものよりも。ずっと近くに在るように感じた。


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「往くぞ!」

「『いつでもやれ!』って言ってるよ!」

 肆壱空海は、腕を石弓カタパルトのように構える。その先には、参伍空海の『本体』が横たえられ、更に遥か先には得度兵器を見据える。

「風燭滅え易く、良辰遇い難し……!」

 この一撃で、勝負は決する。参伍空海を弾丸と為し、あの得度兵器へ撃ち込む。残る全ての徳エネルギーを以って。

「南無大師遍照金剛!」

 突き出すように構えた腕を、徳エネルギーの輝きが駆け抜ける。それはそのまま、参伍空海の手前で爆発する。

 木像の如き僧侶が射出され、肆壱空海は徳エネルギーの反動バックブラストで雪の中へと吹き飛ばされた。

「……後は、頼んだぞ」

 彼は今にも朽ちそうな体を起こしながら、彼方へ飛ぶ参伍空海と、彼の言葉に頷き、駆けていく他の空海二人を見送った。最早、経を唱える気力も無い。全て出しつくした。

 既に泥のように疲れ果てていた彼は。上体を起こし、どうにか雪から離したところで意識を手放し、その場に崩れ落ちた。


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ブッシャリオンTips MCC(僧侶凍結保存器)

 MONK CRYOPRESERVATION CONTAINER。内蔵した僧侶の徳エネルギーで自身を凍結保存するコンテナ。外部からのエネルギー供給無しで長期間の稼働が可能。モデル・クーカイ達の保存装置にして、不可抗力の処刑器具。

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