第151話「無畏施」

『……この放送を聞く、全てのに問う』

 集まった人々の前で、最初に沈黙を破ったのは。大僧正の声ではなかった。

『世界を、変えたくはないか?』

 それは雑音に塗れていたが、女の声だった。幾らかの人間は気付いた。その女は、嘗てこの都市に居た旅人であると。

『我々には、その用意がある』

 小さな、どよめきがあった。空海達は沈黙を守っていた。

『我々は既に得度兵器を十体以上破壊し、現在、拠点攻略のための準備を進めている』

 再び、ざわつく。誰もが、その一言一句を聞き漏らさぬよう、耳を傍立てている。

『もしも、この世界を変えたいのなら』

 だがそこで、唐突に言葉は途切れた。事務方の僧侶の一人が、前に進み出て言った。

「以降の通信は、得度兵器陣地からの撹乱によって遮断されました」

 部屋の中は静まり返っていた。地の果てに、助けを求める者が居る。その僅かな望みが今、形となって現れた。

「ぐすっ……ひっぐ……」

「おい、泣くなよ」

「だって……だって。生きてる、かも」

 弐陸空海は、泣いていた。2人の出奔以来、いや、それよりも遥かに前から。彼女が背負い込んでいたものが。溶け出していくような心持ちがした。

「せめて顔を拭け!」

「ちーん!」

「コラ!袈裟で鼻をかむな!」

「……それに、まだ。喜ぶには早い」

「左様。この件を如何にするか、決めるは大僧正」

「え……」

 空海達の、そして全ての人々の視線が、ミイラめいた老人へと集う。

これ以上の戦力を割けば。奥羽岩窟寺院都市の防衛体制自体が崩壊しかねない。だが。だが……

『……』

 それでも。救いを求める者が彼方に居るのであれば。

 その身を炎の中へ差し出そうとも、救いの手を差し伸べるべきだと。そう考える硬い意志こそが、この都市を存続させてきたことも事実なのだ。

『…………』

 大僧正は、沈黙している。死に瀕した老人が、もはや只の屍と化してしまったのかと思える程に、長い沈黙の中で。大僧正は空海達を見据えていた。

 本来ならば、大僧正は誘いを受ける積りは無かった。都市を守り抜くことが彼の使命だ。どれ程非情に思えようと。他人の命を不確かな天秤に乗せることは、彼のすべきことではない。

 ……だが。悟りを開いて長い彼の中にも。「世界を救いたい」という『欲』は残されていたのだろう。そして、何よりも。

 毎日のように。顔を腫らして、彼の前に頭を下げに来る少女の姿は。老人の心の隅に確かに刻まれていた。

『……手を、差し伸べよ』

「大僧正!」

「大僧正!」

「大僧正殿!!」

 その瞬間から、様々なしきを持った声が飛び交う。歓喜の声。糾弾の声。不安を表す声。

「……よろしいの、ですか」

 最前列に並ぶ弐陸空海が、思わずそう溢した。老人は何も応えず。ただ、彼女らを見守っている。この選択は、彼女のみならず。空海達全てを死地に追い遣ることもまた、彼は知っているからだ。

『……よきように、せよ』

 最後にそう結び、大僧正の声は止んだ。

 この時より、奥羽岩窟寺院都市は人類最初の反攻作戦の列に加わるため、動き始めた。だが、それが今までとはまた違う、果無き道のりの第一歩であることを……彼等はまだ、知らない。



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「……風が、動いている」

 その彼方で。肆捌空海は雪の荒野の彼方を見据える。何かが変わった。徳エネルギーを扱う者にしか感じ取れぬ風向きが。

 得度兵器の動きに小さな変化が生じ始めたことは、既に幾度かの斥候によって判明していた。だが、その因果は判然とはしない。

 確かなのは、救いを求める声があったこと。抗う者達が居ること。

それが良きことなのかは、分からない。如何にすべきかの答えも、彼は持ち合わせていない。

「……なぁ、坊さん。冷えっぞ」

「いや、暫くはこのままでいい」

 同道する少年の声に、空海は応える。

「もう少し……見ていよう」


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哈哈ハハ……哈哈哈哈哈!」

何処とも知れぬ空の上で。男は誰はばかること無く笑い声を上げていた。

「そうか……そう来るか!!」

朽ちかけの衛星網が傍受した通信は、彼のもとへも届いていた。

「だが、これは、とても面白い」

 彼…‥否、にとって。世界を手に入れるのが人類であるか、機械であるか。そんなことは、些細な問題だ。

 ただ、何方かが勝てばいい。だが、負けそうな側に肩入れする義理は無い。このでもまだ、人類の不利は覆らない。1を10にするのは、彼等のする商売ではない。弱者に肩入れすることもだ。

 100の元手を千にも万にも変えるのが、彼等の『商売』だ。だが、それでは退屈だ。退屈なのだ。完成されたシステムとは、『人間』には退屈に過ぎるものだ。

「ならば血縁の好で、少々手助けするのも良かろう」

 そう言って、『第二位』は笑みを浮かべる。何方が勝とうと、彼等は揺るがない。彼等の視線は、地平の彼方よりも先に注がれている。

 あの裏切り者の徳科学者は、人は存外に手強いと言っていた。

「だから、我々は君臨し続けている」

 嘗ての世界より在り続けて来た彼等ほど、それを知る者は居ない。

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