第124話「空海の力」

 通路の壁に刻まれた無数の仏像が、彼を見つめている。

「……まるで、誂えたような舞台だ」

 ここには大量の水がある。そして今、彼を見るのは無数の御仏の眼差しのみ。

「生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く」

 クーカイは合掌状態のまま、その言葉を唱える。

 嘗て、オリジナルの空海が遺したとされる言葉。初期型モデル・クーカイの持つ、無法に近い奇跡を制御コントロールするための符牒プロトコルだ。

「死に死に死に死んで、死の終りに冥し」

 クーカイの肉体から、光の粒と化した功徳の断片、ブッシャリオン・コロイドが放たれる。本来は現象へと変換されるべきが、不完全な形で漏れ出てしまっているのだ。

「ーー生滅流転」

 構わず、クーカイは詠唱を完了する。

 体から漏れ出た功徳の断片は、クーカイの周囲の水に溶け出している。仄かな徳の明かりが、水路を照らす。

 端から予測できていたことだ。失敗作である彼に、まともな奇跡など扱えよう筈がない。奇跡とは、功徳から精製した徳エネルギーを介し、世界に影響を与える力だ。

 彼には、それを完全な形で扱うことは出来ない。だが……その言わば中間状態である徳エネルギーならば、扱うことができる。

 つまり、直接『水を操作する』奇跡は扱えずとも、

「……少しの間だ。持ってくれよ」

 

 光を湛える水面が、微かにうねり、川の流れの中に渦が生まれる。小さな渦が寄り集まり、水面が盛り上がり始める。

 徳エネルギーを浸透させた水が流れ去るまで、僅かな時しかない。只でさえ、この方法の効率は最悪に近いのだ。言わばこれは、穴だらけの笊に、無理矢理水を貯めるが如き行いなのだから。

 クーカイは合掌を解き、印を結ぶ。周囲のごく一部の水を圧縮し、解き放つイメージ。無駄遣いは出来ない。最小の力で、最大の効率で。

「破!」

 印を起点に、うねる水面に一筋の波、水の壁が生まれる。線状の波は一直線の軌跡を描き、肉塊を通り抜ける


 一拍遅れて、肉塊は呆気無く二つに

 綺麗な断面には、ポリマー製の白い人工筋や金属のフレームが露わになる。

両断されて尚、肉塊は蠢いているが……その動きは以前と比べて遥かに弱々しい。

「……中身は、そのまま機械の様子だな」

 生物相手でないのは幸いだ。徳の減少を最小限に抑えられる。

 クーカイは徳エネルギーを浸透させた周囲の水を操作し、一点に圧縮された水流ウォータージェットを作り出した。

 起こった出来事だけを見れば、他のモデル・クーカイと然程変わらない。だが、原理が異なる。効率が異なる仮に流体操作系の奇跡を用いる空海ならば、コップ一杯程度の水で同じ現象を引き起こせるだろう。

 対して彼は、直接水を操るのではなく、放出した徳エネルギーを介して僅かな力を水に与えることを繰り返し、水圧を得ている。十分な圧力を得るには、大量の水を操作しなければならなかった。

 クーカイの鼻から、一筋の血が垂れる。急激な功徳の喪失に伴うリバウンドだ。

「……少し、徳が減り過ぎたか」

 彼は血を拭い、割れた肉塊の中央へと歩みを進める。リバウンドが想像以上に強い。もしかすると、この肉塊は何らかの崇高な、徳の高い目的のために作られたのだったのやもしれない。

 ガンジーを追うことの方が大事だが、功徳を消費し過ぎれば彼の……モデル・クーカイの肉体は、荼毘に付されたが如き灰燼へと帰す。

 クーカイは一度足を止め、略式の供養を開始する。己の功徳のための弔いという極めて徳の低い行いだが、一時凌ぎ程度にはなる。

(無事で居てくれ、ガンジー)

 心の中でそう願いながら、彼は経文を読み上げる。


----------

「これが……その、作品、ってやつか?」

「はい、そうです」

 ガンジーは水路の奥の開けた空間で、テクノ仏師の男の巨大な『作品』とやらと対面していた。

 あの水路に放置されていた蠢く肉塊は、失敗作ということだったが……

「これも肉塊じゃねぇか!」

 ガンジーには正直なところ、今目の前にある『作品』とやらとの違いが分からなかった。

 地下空間に吊り下げられた肉の塊は製作中らしく、所々に内部が露出し、そこから何本ものケーブルが垂れ下がっている。肉塊は不規則に艶めかしく蠢き、脈動している。

「そう、肉塊だ!この世界にある生きとし生けるものは全て!」

「だから、これのどこが仏像なんだよ!」

 その動きは、生きているのと変わらない。恐らくは高度な技術の産物なのだろうが、目的が全く分からない。

「全てを救うものの姿は、如何に在るべきか。生の苦痛を解し、人の姿を越え、仏の痕跡、即ち救済の証を示す。それこそが、仏像というものだ!」

「ダメだイっちまってる……」

 ガンジーは理解を放棄した。この男は何処かおかしくなってしまっているのだろう。ただ、その技術だけは本物だ。

「取り敢えずな、俺達はここから先に進みたいだけなんだ」

 話題を逸らそう、とガンジーは考え、己の目的を告げた。

「あの偽りの仏を破壊しに行かれるのですね」

「まぁ、そうっちゃそうなんだが……ひとまず、海に出る手段を探してる」

 得度兵器の拠点を攻める、などと口にすれば、面倒なことになるだろう。

「海ならば……この先ですが。その先は何方に?」

「海から、北へ向かう」

 それは、まだ先のことだが。

「ならば、港が入り用ですね」

 テクノ仏師の男は、水路へ向けて歩き始める。

「おい、作品はもういいのか?」

「良くはありませんが……用のある人間をお引き留めする訳にも行かないでしょう。仏像は人を救ってこそ」

 そう言って、テクノ仏師はガンジーに満面の笑顔を投げかける。

「僅かな時間でも、語り合えて楽しかった」

 と言っても、実際には殆ど男が勝手に喋り倒していただけなのだが。

「なら、いいんだがよ……」

 ガンジーは、男の後に付いて行く。このテクノ仏師も、悪い人間ではないのかもしれない、と。そう思いながら。

「これが、港への地下通路です」

 男が立ち止まった通路の入り口には、行き先を示す粗末なプレートが打ち付けられている。百年は昔のものだろう。刻まれた漢字は擦り切れかけているが、まだ辛うじて読み取れないこともない。

「これ、なんて読むんだ?」

 ガンジーは男に尋ねた。漢字は、使われなくなって久しい文字だ。彼には完全には読み解けない。

「ああ、これは……」


 その、プレートには。『東京湾宇宙港 作業通路』の文字が刻まれていた。



▲▲▲▲▲▲▲

ブッシャリオンTips クーカイ(Lv 2)

 彼の正体は、初期型モデル・クーカイのプロトタイプ、或いは失敗作である。

 徳エネルギーそのものに干渉する能力は辛うじて持つものの、己の功徳を物理現象へ変換することは叶わない。状況次第では物体(特に流体)を間接的に操作することは出来るが、功徳の消費が激しく、本来の形の奇跡には及ぶべくもない。


▲黄昏のブッシャリオン▲第十四章へ続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る