第111話「スタンダード・プロダクト」
この世に存在するありとあらゆる工業製品には、無数の規格が存在する。例えばマニ車一つ取っても、寸法、軸径、回転数、材質、軸加工、マニ加工する経文の種類といった、無数の
今や野生化した得度兵器といえど、例外ではない。
その一つに。モジュールに対しマニ加工の如く刻み組み込まれた基本律がある。ドローンの黎明期に生まれた法的規制。例えば、特定の地域…・・・例えば重要施設への侵入制限。
それらに端を発する、言わばある種のリミッタは、機械達のファームウェアの奥底に誰にも気付かれぬまま眠り続けている。
田中ブッダは混乱の街を抜け、その外周部へと歩を進めていた。
祭りの混乱と、停電によって齎された夜の闇の中で、今や彼を見咎める者など誰も居はしない。この数日の間、密かに進めていた作業も大詰めだ。
この街は、得度兵器に襲われたことがない。だからこそ、停電程度でこれ程に混乱する。『特別』なのだ。この街には得度兵器の侵入を阻む、見えない壁がある。
街の外れに作られた、小さな
程なくして、フィルム状の……札めいた物体が土中から顔を出す。不織布のような質感の表面には、複雑なパターンが編み込まれている。
この模様はアンテナだ。布そのものが電子的
これこそが、街を守る『壁』の正体だ。得度兵器の部品に組み込まれた基本律。それに組み込まれたリミッタを利用し、本能的にこの場所を忌避させる信号を放つ装置。
仕掛けたのは、彼の弟子と見て間違いあるまい。徳カリプス以前の時代ならば、この手の欺瞞は完全な違法行為だ。徳の高い、けれど愚かだったあの弟子は、己の徳を擲ってまでこの町の人々を守ろうとしたのだろうか?
「……くだらん」
田中ブッダはフィルム状の反射器を握りつぶす。弟子の行いを、彼には理解することはできなかった。これで・・・・・・この街を守る壁には、穴が開いた。
優先度は高くない目標だった。この街を攻め落とす方法など、わざわざ彼自身が動かずとも幾らでもある。
だから、強いて理由を見出すならば、これは下らない感傷だろう。己の弟子が為したことを。守ろうとしたものを、己の目で見届けようとした。
ただ、それだけのことだ。
「…・・・戻るか」
そしてそれは、今、失われた。
「何処へ、戻る気だ?」
その彼を、誰かが呼び止めた。
「……そうか。よりによって、君か」
彼はそちらを振り返り、嘆息した。
「田中教授。否、田中ブッダ」
闇夜に佇む、一つの人影。
その背中から溢れ出す、徳エネルギーの粒子。舞い散る徳の輝きと月明かりを浴び、銀色に輝く髪。彼女は纏ったぼろ布を、宙へと脱ぎ去る。
徳エネルギー世界の影の一つ、舎利バネティクス技術の到達点たる規格外品。
今の人類の持ちうる、最強の戦力。それを、只一人の肉体として彼女は具現する。
美しい、とさえ彼は思った。嘗ての人類は、これ程までに美しいものを作り出せたのだ、と。
「伝言は、解けただろうか」
「そうでなければ、ここには居まい」
「私と共に、来て欲しい」
男は、機械の腕を差し伸べる。
「口説き文句としては陳腐だな……生憎、先約がある」
だが、彼女はそれに決して応じはしない。
「田中ブッダ。何を願う」
「新たな時代の到来を。人に安らかなる滅びを」
彼女は、知っていた。否、彼によって知らされた。
目の前の、半仏の男の目的を。彼が、この十五年の間。何をしてこなかったか、ではなく。何をしてきたのかを。
「新たな時代。そんなものは、来なかった。人は次の階梯へ進み損なった。お前の未来も、きっと同じ道を辿る」
「今度は上手くやる、と。そう言えぬ者に、時代を背負う資格などありはしまい。先を歩むことなど出来はしまい」
ノイラが、一歩踏み出す。
「お前の歩みは、今日ここで止まる」
その言葉に答えるように、田中ブッダの目に桃色の光が灯る。彼女はどうやら、本気のようだ。
真っ当に遣り合えば勝ち目はあるまい。
同じ舎利バネティクスの系譜を継ぐ肉体。しかし、彼と、ノイラ……美齡のものには、大きな違いがある。数十年単位の技術格差。そして、仏舎利の有無。
だが、
「止まるわけには、いかんのだ」
己を曲げるだけことは、それでも彼には出来そうになかった。
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ブッシャリオンTips マニ加工(Lv.1)
功徳を増強する目的であらゆる回転機械に施されていた経文刻印加工。マニ車そのものからベアリングや回転翼に至るまで、その範囲は実に幅広い。多くは設計レベルで組み込まれているため、アフター徳カリプス世界でも殆どがそのまま用いられているどころか、加工の存在自体がほぼ忘れ去られている。
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