第107話「許容限度」

「……君は、今の人類を見てどう思った」

 墓参りを終えた田中ブッダは、手を合わせたままノイラへと語りかける。彼女には、その真意を解することはできない。

「酷い有様です」

 だから彼女は、ありのままを答えた。嘗ての高度な文明は見る影もなく。人は徳無き荒野で、残されたリソースを奪い合う。

 純粋に、客観的に見て。人類にはもう、最盛期の力はおろか、文明を維持するだけの余力があるかすら怪しい。

「それだけかね」

 田中ブッダは、続けて問う。

「……けれど、力強い」

 ノイラは応える。滅びる世界を、見続けてきた。だが、そこで芽吹く種もあった。今の彼女は、それを知っている。

 最初は、気紛れだった。それでも、いつしか。彼女もまた、期待していたのかもしれない。残された人類の可能性に。

「……そうか」

「はい」

 田中ブッダの、人の側の表情が緩んだ。それは安堵のようにも、失望のようにも見えた。

「私は、そうは思わん」

 そして。告げられたのは、否定の言葉。ノイラは、その真意を掴みかねた。

「人は、救いを求めている」

 言葉は続く。それはあたかも、呪詛のように。

「救いと滅びは、もはや同じものだ。滅びという名の救いこそが、人に許された唯一の道だ」

「私の師が、旅立ったように」

「そうだ」

 二人はそれ以上、何も続けようとはしなかった。

 これ以上、何かを口に出せば。決裂は決定的なものとなるという予感を、二人共が抱いていた。

「……そろそろ、戻りましょう。今日は、お祭りらしいですよ」

 沈黙を破ったのは、ノイラだった。彼女はそう言って、微笑んだ。

 焚きしめた線香の煙が、夕焼けの空へと立ち昇っていく。


--------------

 街は、一言で表すならば盆踊りが如き喧騒で満ち溢れていた。安定供給されるようになった電力。切り開かれたルートによる交易と採掘によって齎された潤沢な資源。そして、勝利と帰還の余韻が口実を与えた今、最早祭騒ぎを止めるものなど無かった。それは長く続いた滅びの時代からの解放の宴でもあった。

 道端には急造の屋台が立ち並び、イルミネーションが普段は仄暗い街路を照らす。何処から持ちだしたのか、ホロ大仏までもが街の中心の公園に建立されていた。

レーザー光線が空間スクリーンに描く大仏は、日没後の昏い空に柔和な表情を浮かべている。街の子供達が時折それを指差し、親に咎められる。

 嘗て。十五年前。失われた日常は、確かに再生を始めていた。人々の暮らしは息づいていた。

 田中ブッダとノイラは、祭りの人混みの中を足早に進む。

「おいガンジー!ガンジー!くそっ、だから羽目を外すなと!」

「大丈夫だクーカイ……だからもう一杯、」

「マスター勘定だ!こいつを連れて帰る!」

 通りの店の奥から、聞き慣れた声がする。ガンジーとクーカイだ。

 田中ブッダはその有様に眉を潜める。ノイラがそちらの方へ足を向けたので、彼も仕方無さげに付いて行く。街の喧騒よりは、店の中の方がまだ良い、と思ったのかもしれない。

「……また、飲んでいるのか」

「こいつの場合、もう酒を呑んでいるのか、酒に呑まれているのか……」

 クーカイはノイラの方を向き、隣の男に気付いた。

「そちらの御方は」

「げっ」

 ワンテンポ遅れてガンジーがノイラに気付き、居住まいを正そうとする。

「……田中ブッダ教授だ」

「もう教授ではない、と言った筈だ」

「すみません、癖で」

「生きていたとは……」

 クーカイは驚く。彼も、田中ブッダの名前は知っている。ブッシャリオンの挙動をモデル化し、徳ジェネレータの基礎を作った偉人。

「よく言われる。何、歳は取らん身体でね」

 田中ブッダは、クーカイの顔を見、そして一瞬、何事か考え込んだ。

「クーカイです。こいつは、ガンジー」

「君は……そうか。君も、『クーカイ』か」

 クーカイは何かを察した。この老人は、決して外見だけの数奇者ではない。徳エネルギーを普及させた偉人というだけではなく……内に何かを秘めている、と。

「……珍しくも無い名前です」

 だが、クーカイはそれを隠した。腹を探られて痛むのは、自分だけではあるまい。それに事実として、徳エネルギー全盛の時代。この手の高僧に因んだ名前は、決して少なくはなかった。

 徳ネームの中でも高僧に因んだものは取り分け多く、人口の数割を占めるに至った世代もあるという。

「そういうことに、しておこう」

 田中ブッダは思考する。彼もまた、モデル・クーカイの一人に違いあるまい。だが、本人が隠している以上、藪をつついて蛇を出す必要は何処にもない。

 この街にはまだ、彼の弟子の作った『結界』が効いている。得度兵器の基本律へ干渉し、侵入を忌避させる信号を発するビーコンで作られた結界が。

 得度兵器の支援を欠いた状態でモデル・クーカイ、そして……場合によっては、あの馬鹿げたスペックの重舎利ボーグの女と戦う事態となれば。彼に勝ち目は無い。

 彼自身が出向いたのは、ある種の博打だ。彼女をスカウトするか、彼女に打ち倒されるかの駆け引きでもある。

 今、眼前に居るのは、この時代に得難い同胞であると同時に、数多の得度兵器を屠った、機械仕掛けの肉体を持つ修羅でもあるのだから。



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ブッシャリオンTips ブッシャリオン(Lv.1)

 ボース統計にもフェルミ統計にも従わない粒子。その予想は、月面大加速器の比較実験における、未知の大いなる誤差グレート・エラー検証の時代に遡る。

 大いなる誤差の正体を探るため、数多の理論と仮説が打ち立てられ、覆された。最終的に、仏舎利とされる遺物から発見された未知の粒子がブッシャリオンと名付けられ、その挙動解析によって「大いなる誤差」も説明可能であることが明らかとなった。これが、言わば徳エネルギーの前史である。

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