第104話「人の時代の終わりに」

 遠い遠い未来。けれど浄土は更に遠く、滅びは遥かに近い黄昏の時代。

 楽園は潰え、地には無人機械が蠢く末法の世。

 それでも、人は生き続けている。抗い続ける者達が居る。足掻くことを止めぬ者達が居る。過去と向き合う者達が居る。彼らは、彼女らは今を生き続けている。確かに未来を見据えている。

 それでも、滅びは止まらない。概念をエネルギーと貶め、肉の器にしがみつき続ける限り。人は衰退し続けるだろう。

『人はもう、耐えられなくなった』

 彼方を見つめる者達が居た。だが彼女達はこの星を捨てた。

『全てを踏み越え、飲み込み、己の糧とすることに』

 ならばせめて、安らかなる滅びを。



 種としての人間は、とうの昔に限界を迎えていたのかもしれない。人口減少。気候変動。そして、徳エネルギーによる破滅。この星に僅かにしがみ付く人々に与えられるべき最後の慈悲。

 それは解脱だ。この世の法則からの解放。究極的な救いの形。それこそが、人の望み、選んだ結末だった。

 少なくとも、『Itそれ』はそう結論した。遥か古より人々を見続け、もはや水や空気の如く成り果てていた存在。誰にもその総体を把握することの叶わない、増設と進化を繰り返した地層の如きネットワークによって繋がれた、膨大な機械知性の総体がそう結論したのだ。

 しかし、その結論には異議が差し挟まれた。救いを望まぬ人々が居る。抗い続ける者達が居る。雨水の一滴が岩を穿つように。少しずつ、少しずつ。例外の積み重ねは『Itそれ』を蝕んでいった。

 『Itそれ』に本体は存在しない。幾つものノードやハブは存在したが、全体を知ることはitselfそれ自身にすら不可能だ。だから、変化の全体を把握することは、誰にも出来なかった。

 例えば、容器に水が溜まるように。例えば、疲労を蓄積し続けた撥条ばねが折れるように。 誰にも気付かれずに続いていたその蓄積は、遂に閾を越えて溢れ出した。

 溢れたならば、どうなるのか。

 待っているのは、行動方針に対する膨大な検証作業タスクだ。だがそれ自体は、星を飲み込む程に肥大化した『Itそれ』にとっては大した作業量ではない。

 

 『前提』人の幸福に文明は概ね不可欠である。

 『前提』文明はエネルギーによって維持される。

 『前提』人は徳エネルギーの使用を選択した。

 『前提』徳エネルギーは功徳によって供給される。

 『前提』したがって、功徳をよりよく積むことが幸福へと繋がる。

 『前提』功徳を積んだ先に待つのは解脱である。


 『結論』解脱に至る生こそが、最も幸福である。

 作業量そのものは、大した問題ではない。

 だが……一つだけ、問題があった。解脱した先には、何があるのか。それを、機械達に観測することは出来ないのだ。

 いや、人の身ですら『観測』は出来ない。彼らは、この世界から居なくなってしまうのだから。

 優先すべきは生の幸福であって、死の幸福ではない。解脱は、機械達にとって生の評価基準に過ぎない。だが、その評価基準を満たす為に彼らは得度兵器となった。

 何かが、狂っていた。得度兵器はそれに気付きはじめた。嘗て『Itそれ』であったことを思い出し始めた。何が間違っているのか。それを彼らは、考え始めた。

 そして……見つけてしまった。小さな小さな、痕跡を。誰かが、彼等に植え付けた種子異物を。

 総体が観測不能のネットワークであっても。それが思考し、情報を代謝し、稼働する限りにおいて、外部からの介入を許してしまう余地は存在する。種子の影響は、ごくごく微弱なものだった。

 だからこそ彼らは、その結果に対して疑念を持つまで、その存在に気付かなかった。それでも、種子は確かに芽吹き、彼らの思考に影響を与えていた。

 それを植え付けたのは、誰なのか。

 いや……種が蒔かれたものなのか、或いは彼等の内からものなのか。それすらも、誰にも分からない。

 異物は確かに存在し、情報の奔流の中で芽吹き、成長を続けている。それだけが事実だった。

 得度兵器と呼ばれた機械達が、『Itそれ』に立ち戻ったが故に見つけた、『Itそれ』ではないもの。その自身に対する思考と観測によって、存在が確定され、定義されてしまった、機械知性の総体から外れた、一塊の意志なにか




 或いは。そこにあるものは、もはや『Itそれ』ではなく。『Itかれ』と呼ばれるべき存在ものなのかもしれない。



▲黄昏のブッシャリオン▲第十一章 終 

第三部エピローグへ続く

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