#93.03

 雪――。


 降り積もる雪が、傷ついた大地を静かに埋めていく。


 抉れた地面――。

 崩落した氷河――。


 強固な防寒装備に身を包んだアマネは、じっとりと水を含んだ湿り気のある雪をかき分けながら、声を枯らし、必死に呼びかけ続けていた。


 この半年、共に過ごした我が子ともいえる少年の名を――。


「カタナ! どこなの? お願いだから、返事をして……!」


 その声は、粛々と降り積もる雪の中に溶けていく。


 見渡す限り白一色の大地、その先――。

 辺りを見回すアマネの目に、雪の中に倒れ伏す、無数の人影が飛び込んでくる。

 

「ニンジャ……死んでる……?」


 コロニーを襲った恐るべき侵略者達。その体から漏れ出るように、赤い光が灰色の空に向かって昇っていく。


「どうして……」


 雪の中、両膝をついて嗚咽を漏すアマネ。彼女の周囲には、半ば雪に埋もれた、数え切れない程のニンジャの亡骸――。


 俺が倒す。

 俺が止めてくる。


 そう言って、一目散に駆けだしていった蒼髪の少年。アマネの脳裏に、その少年の笑顔が浮かび、雪の上に涙が溢れる。だが、その時――。


(泣いてるのか――アマネ――)

「――カタナ!?」


 アマネの耳に、聞き慣れた少年の――カタナの声が届く。顔を上げ、周囲に目をこらすアマネ。だが、そこで彼女の目に映ったものは、少年ではなかった。アマネを心配するように、彼女の周りを舞い踊る、緑色の光――。


「ミドリ、ムシ……? カタナ……貴方、今どこにいるの……?」


 気付けば、緑光は彼女の周囲だけで無く、雪の中に倒れ伏した無数のニンジャ達すら覆い隠さんばかりに溢れていた。その光景はまるで、降り積もる雪がそのまま輝いているかのよう――。

 全てが終わった戦場で輝くその光は、幻想的で、美しく。そして、儚かった。


(泣くなよ――。こいつら、俺がみんなやっつけてやった。えらいだろ?)

「違うっ! 違うのよカタナ……私は、そんなことで泣いてるわけじゃっ!」


 アマネは、涙を流しながら周囲の緑光に向かって語りかけた。

 まるで、その光の中に、探していた少年がいると信じているかのように。


(俺、戻れないかもしれない――。どっちに行けばいいのか、わかんなくなっちまった)

「そんなっ! ここよ! 貴方の家はここ! お願いだから、帰ってきて! カタナ!」


 両手を広げ、光に手を伸ばすアマネ。だが、その手が光に触れることは無かった。


(――ちょっと遅くなるかもしれないけど、帰ってくる。サツキを、助けるって――約束、したもんな――)

「カタナっ!」


 その声を最後に、少年の声は小さくなっていく。それと同時、周囲を覆う緑光が天へ昇る。見れば、他のニンジャ達もまた、いつの間にかその姿を消していた――。


「待ってるわ! 私はここで待ってるから! 絶対に、絶対に帰ってきて!」

(――ああ――やく――そく――……)


 それが、彼女の耳に届いた少年の最後の声だった。

 アマネは、凍りつき始めた涙を拭い、いつまでも降り続く雪空を見上げた。もう、赤い光も、緑の光もない。ただ、白い雪があるだけだった。


「ありがとう……カタナ。私も、私に出来ることを――」

 

 ――緑光の少年、カタナと。ニンジャ達との決着がついたこの時――すでに93番コロニーの指導者はコロニーの放棄を決定。移住を開始していた。

 カタナがたった一人でニンジャ達に勝利するなど、誰も思ってはいなかったのだ。

 そして、二度にわたってニンジャの脅威に脅かされた住民達は、アマネがカタナの勝利を報告したあとも、コロニー放棄の方針を覆そうとはしなかった――。


 その後、百年――。

 放棄されたコロニーに残ったのは、サツキという一人の少女と、戻ってくると約束した少年を待ち続ける、一人の母親。そして、彼女と共にあえて残ることを選んだ老人達。ただそれだけとなったのである。


  ◆     ◆     ◆


 ――二人は、アマネの話を黙って聞いていた。

 

 それは、リーゼにとっては胸を締め付けられるような話――。

 カタナにとっては、決して忘れることのない、彼が帰ってきた理由――。


「あのとき、あんな果たされるかわからない約束を貴方としたのは――。きっと、私のわがままだったんだと思う。貴方に生きて欲しいって願った、私のわがまま――」


 アマネは、穏やかな声でそう言うと、リーゼとカタナ。二人の手に、自らの透過する手を重ねた。


「……博士?」

「カタナがこうして大きくなって、当たり前みたいに誰かと仲良くなって戻ってきてくれるなんて――驚いたし、とても嬉しかった」


 そう言って、アマネは両手を広げ、二人の肩に透過する自身の腕を回す。


「お帰りなさい。カタナ。そして、ありがとう」

「ああ。ただいま。アマネ――」


 アマネの抱擁を、カタナは噛みしめるように受け止めた。

 同じように抱擁を受けながら、リーゼもまた、二人の再会と、その過程を思い、目を閉じた。


「――このコロニー最後のお客さんが、あんたら二人で、本当に良かった」


 三人の様子をずっと見ていた一人の老人が言う。


「あとは、サツキちゃんを送り出せれば、もう思い残すことはなにもないねえ……」

「長かったな……」


 その時、居住区に響く衝撃――。

 居住区の壁面に亀裂が入り、老人達の姿が僅かにぼやける。


「この揺れ……最後ってどういうことなんですか!?」

「このコロニーが稼働し続けていたのは、今日この日のため。カタナ。私達の準備はもう出来てる。サツキのこと――お願いね」

「……わかった」


 アマネが椅子から立ち上がり、リーゼとカタナを見て言う。


「サツキさんを外に? でも、さっきサツキさんはシステムに――」

「どうしても、これだけの時間がかかったのよ。複雑な生命体の固有時間を、完全に遡らせるためにはね」


 アマネは力強い眼差しで二人に説明する。


「じゃあ、今サツキさんは!?」

「ええ、生きてるわ。生身の人間として」



 声を上げ、リーゼがアマネに詰め寄る。アマネはリーゼに頷くと、説明を続けた。


「サツキはもう、システムに組み込まれる前――あの最後の日と全く同じ状態に遡っている。あとは、サツキの自我を肉体に返すために、このコロニーの時空間制御システムを切るだけ――」

「システムを……そうしたら、このコロニーはどうなるんですか?」


 リーゼはすぐにその可能性に思い当たる。それは、技術者の端くれであるリーゼにとって、すでに答えがわかりきっている問いだった。


「時空間制御システムは、そのままこのコロニーの動力としても働いている。それが落ちれば……私達も、このコロニーも、全て消えるでしょうね」


「晴れて、我らじじばばドローン部隊もお役御免というわけだ」

「随分長いゲートボールだったってわけだ」

「これでやっと、孫や息子のところにいけるというもんですよ」 


 自らの消滅。だがその事実にも笑い合う老人達。恐らく、彼らはそうなることを知っていたのだろう。


「そんな――本当に、本当にそれでいいんですか!? サツキさんだって、今度こそ本当に、一人ぼっちになっちゃうんじゃ……」


 そう言うリーゼの肩に、カタナがそっと手を置いた。


「っ、カタナは平気なの? 皆、消えちゃうなんて……アマネ博士だって……」


 カタナはリーゼの瞳をじっと見る。そして、アマネに向かって笑みを向けた。


「俺はアマネに会うまで、ありがとうも、おはようも知らなかった――」

「カタナ……」

「ありがとな。アマネ。俺は、約束は絶対に守る。アマネが俺に教えてくれた、一番大切なことだから」


 そう言って、カタナはその蒼い瞳をリーゼに向けた。


「サツキは絶対にひとりぼっちになんてさせやしねえさ! そんでもって、俺達でいっぱい話してやろうぜ。サツキのこと、アマネや他のみんながどれだけ大事にしてたのかってことをさ!」


 その言葉に、リーゼは顔を上げ、ゆっくりと周囲を見渡す――。


 彼女の視界には、今まで多くの人が生きてきたのであろう、93番コロニーの美しい町並みが見えた。彼女はそのまま老人達を見回し、アマネを見、最後にカタナの目を見て――。

 一呼吸のあと、深く頷いた――。


  ◆     ◆     ◆


「さあ! このコロニー最後の歓送迎会と、儂らへのお別れ会じゃあ!皆、なんとしてもサツキちゃんを送り出すぞい!」

「「「おおおおおおー!」」」


 とても映像とは思えない、割れんばかりの大声。リーゼはその光景を、自分の目にしっかりと焼き付けようとする。


 これが、このコロニーに生きていた人達の姿。決して誰にも知られることのない、93番コロニー最後の住人達の姿。

 

 彼らの生きた意義を知り、伝える者はカタナとリーゼしかいない。このコロニーが遺した全てのものを、伝えてみせる。形にしてみせる――。

 そのために必要となる知識と技術が今の自分にはあるという事実が、リーゼの鼓動を熱くさせた。


「よーっし。リーゼ、行けるか?」

「当然でしょ!カタナこそ、途中でやられたりしないでよ!」

「ああ!」


 二人は顔を見合わせて笑う。そして握った拳を突き合わせると、共に頷いた。


「さあ、行くわよ! ヒンメル!」


 リーゼは待機していたヒンメルに拳銃型のリモコンを向け、トリガーを引く。指示を受信したヒンメルはリーゼをその右手で掴むと、そのまま自らのコクピットへと放り込み、その単眼を煌々と光らせた。


『こっちはいつでも行けるわ!』


 ヒンメルのコクピットで、ヘルメットと光学ゴーグルを身につけたリーゼが叫ぶ。


「準備は良いみたいね。今からサツキのところに案内するわ!」

『わかりました!』


 リーゼは声高に応じると、勢い良くヒンメルのエンジンに火を入れる。ここからは時間との勝負だ。先の衝撃から察するに、ユニオンは防衛ラインを突破している可能性が高い。リーゼははやる心を抑え、モニターを確認。カタナへと声をかける。だが――。


『ほら、行くわよカタナ! ――って、カタナ?』


 リーゼはヒンメルの単眼を背後に居るはずのカタナへと向けた。当然、カタナはそこに居る。ヒンメルに背を向けて。しかし、彼の気配は、今までに見たこともない程の緊張感を感じさせた。


 ――カタナは気付いていた。

 今ここに出現しようとしている相手が、恐るべき超越者であることに。カタナは虚空を見つめ、大きく息を吐く。そして、無言で腰のブレードを引き抜いた――。

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