クラン.02
カジノの喧騒から離れ――ホールの奥。
その更に奥の、豪華な内装を施された一室。
そこでは、黒いタキシードに身を包んだ肥満体の男が、笑みを浮かべて前日までの売上表に目を通していた。
「素晴らしい! 実に素晴らしい! 数字が増える――しかも倍どころではない! この世にこれ以上の素晴らしいことがありますか? いいえ、ありません! フホホホッ! 貴方がたもそう思うでしょう?」
男の名前はブルマン・モロー。
このモローズホテル&カジノの総支配人にして、オールセル内部で急速に発言力を増している新進気鋭の商人だ。
モローはじっとりと汗ばんだ広い額を、はちきれんばかりのタキシードから取り出した紫色のハンカチーフで何度も拭きながら、室内に同席する二人に同意を求めた。
「あーはいはい。いいね。商売繁盛。ちゃんと金をクランに渡してる間はな」
「……」
二人の同席者のうちの一人――。
口元を奇妙なマスクで覆った短髪の男は、豪勢な椅子に腰掛けながら頷いた。
そしてもう一人――。
翡翠色の長髪を一つに纏めた長い耳を持つ長身の男は、出入り口のドア横の壁に背をもたれさせ、俯いたまま目を閉じている。
「わかっていますとも。ここの人間をあっという間に追い出せたのも、そのあとすぐに商売を始められたのも、全ては貴方がたのおかげ! しっかりと利益は還元させていただきます!」
「まあ、金はいいよ。それよりもレースだ。準備の方はどうなってんの?」
マスクの男はふらふらとモローに向かって手を振ると、部屋の壁にかかった高速艇のタペストリーに向かって顎を動かす。
「はいはい、そちらも確認していますとも。今年レースに招かれているのは第七使徒のオルガ様ですねえ。あの美しい顔! 完璧なスタイル! 思い浮かべるだけで天にも昇ってしまいそうですよ!」
モローは丸々とした腕で自身の体を抱くと、ぶるぶると震えて天を見上げた。
「――死ね。気持ち悪いんだよ豚が。オルガより先にお前を殺してやろうか?誰が来ようが死ぬ。ユニオンは俺達が殺す。そうだよなあ? ベリル」
マスクの男が背後の長身の男――ベリルと呼ぶその男に声をかける。
ベリルは目を閉じたまま暫く黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「――同意する」
「そうそう。同意する――って、バカか? もう少し何か喋れよ根暗」
マスクの男は呆れたように言うと、もう一度モローへと顔を向け、肩を竦めて席を立つ。
「俺は超越者だ。この根暗野郎がしくじっても、あの女はこのミストフロア様が消す。あんたは機体の準備――あと空だ。わかったな?」
その言葉を最後に、ミストフロアはそのまま退室。
壁にもたれたままだったベリルもまた、そのまま無言で部屋を出る――。
閉じられた扉を見つめるモロー、その丸々とした顔があっというまに赤く染まり、幾つもの青筋が浮かび上がる。
「――テロリスト風情が! いつまでも調子にのっていられると思ったら大間違い……フホッ!フホホホッ!」
そう言って、ギラギラと血走った目を室内に彷徨わせるモロー。
三年前、小さな工場の作業員に過ぎなかった彼は、工場で廃棄されるスクラップに僅かに残る貴金属をコツコツとかき集め、それを売った金を元手に事業を起こした。
しかし――いつ頃からだろうか。
彼の謳歌する栄光の影には、ある集団の影が見え隠れするようになっていく――。
それこそが、先程の二人『クラン』と呼ばれる過激勢力との繋がりであった。
クラン――。
ユニオンの急速な勢力拡大によって生まれた負の側面――。
反ユニオンを掲げる、テロリスト集団である。
彼らが抱くユニオンへの恨みは尋常ではない。ユニオンに不利益となることであれば、例えどんな手段でも実行に移す。
危険極まりない集団であるクランと、オールセルの中枢にすら食い込み始めたブルマン・モローの繋がりは、このオールセルにとって、大きな禍根となる可能性を秘めていたのであった――。
◆ ◆ ◆
「あー、酸素。酸素うめー。さっきまで防毒オンにしてた。決めた。あの豚野郎、終わったら殺そう。そうしよう」
「……」
モローの執務室から赤い絨毯の敷かれたホテルの通路へと出たミストフロアが、なにやら辟易した顔でマスクを操作しながら大きく息を吐く。
隣を歩くベリルは何も言わない。
だが、彼の視線ははっきりと、カジノ内のギラギラとしたライトや、いかにもといった風の派手な騒音を撒き散らす遊戯器具へと向けられていた。
――その視線に浮かぶのは、侮蔑だ。
「カジノね。俺達も遊んでくか?」
「……堕落した文明に、興味などない」
「根暗野郎には眩しすぎますか? ギャハハハ!」
ミストフロアは大げさに腹を抱え、眉を八の字に寄せて嘲るように笑った。
ベリルはミストフロアを無視。というよりも、一刻も早くカジノから外に出たいというように、足早に赤いカーペットの上を歩いて行く。
「おーい? その長い耳は飾りですか? 無視すんなよ」
「――オルガ。ユニオンの第七使徒・最愛のオルガ――」
ベリルの背後から、気の抜けた声で呼びかけるミストフロア。
その声に、ベリルはミストフロアに対してなのかも定かではない口調で呟く。
「最愛――ね。ギャハハ」
「お前が本当に超越者だったとして――それだけであの女を仕留められるのか?」
「ああ。殺せる。俺。無敵なので」
歩きながら、横に立つミストフロアへと視線を向けるベリル。ミストフロアはその視線を見返して断言したあと、再度その場で大声を上げて笑い出す。
「ギャハハ! 嘘なんだよ! あー、勘違いするなよ? 俺様が無敵なのは本当。嘘なのは、あの女が超越者だってことだ。この前、ユニオンに潜り込んでる仲間から聞いた。そいつの話が確かなら――あの女。超越者どころか、下手したら適応者でもねえ」
「――そうか」
ミストフロアのその話を聞いたベリルは、僅かに表情を変える。だが、その表情の変化が何を意味しているのかは窺い知れない。ただ、僅かに視線を動かしただけだ。
「よりによって、一番人前に出る使徒が適応者でもないクソ雑魚……ユニオンのボス猿の考えは、俺達高等生命体にはわかりません! ギャハハハ!」
「――確かに、な」
最愛のオルガ――。
絶世という言葉すら霞むような美貌を持つ、七人の使徒の中で最も一般市民の前に姿を現す存在。
控えめだが、愛くるしいその物言いは、ユニオン内外でも高い人気を得ている。端的に言えば彼女はユニオンの広告塔だ。それだけに世間の認知度は高く、盟父と並び、ユニオンの象徴的存在となっている。
オルガに関するその情報がいささか不確かだろうが、彼女の暗殺に成功すればユニオンによる支配に大きな楔を打ち込むことになるだろう。
「あの女が死ねば、ユニオンはボロを出す。なら次はどうする? 奴らのボス猿も殺せる。俺なら殺れる」
「……」
僅かに上ずった声で語るミストフロア――彼が興奮するのも無理はない。
使徒の一柱が暗殺されたとなれば、ユニオンと交戦状態にある周辺国家や、もう一つの覇権勢力である『ギルド』も一斉にユニオン殲滅に動くだろう。彼の計画は、十分に予測可能、かつ現実的なユニオン打倒の計画といえた。
「……俺は行く。次に会うのは、予定の場所だ」
「あ? おい待てよ。俺を一人にするのか?なんて薄情――」
カジノ裏口から出た二人。
ベリルはミストフロアにそれだけ告げると、一度も振り返ることなく、そのまま工業区の雑踏の中に消えた――。
「あー……寂しいな……オイ」
一人残されたミストフロアは、裏口の前で気怠げに呟いた。
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