Chapter 9

使徒

 辺り一帯全てを覆い尽くす、白い世界。

 凍てつく吹雪は全てを飲み込む。


 その極寒の吹雪の中、浮かび上がる小さな影が二つ。

 そのうちの一つ、まだ幼い少年の耳に、ごうごうと激しい風の音が響く。


「お父さん――」


 少年は、父の身を案じる。


 いかに自分達が強大な力を持っていようと、この寒さの中、無防備に身を晒し続ければ、長くは保たないだろう。


 少年は、目の前でうずくまる背に手を伸ばす。


 その背は、普段少年が羨望と憧憬の眼差しで見上げる父の背だ。

 だがいま、その背は小さく震えていた。


 ――寒いのかな?


 一瞬よぎったその考えを、少年はすぐに否定する。


 わかっている。

 父は、泣いている――。


「お父さん……泣いてるの?」


 少年は、うずくまる背にそっと手を添える。


「ありがとう……お前は、優しい子だね」


 父はそう言うと、少年の方を振り返る。


 一寸先すら見えぬ雪と風の嵐。

 その中で、父は少年を抱きしめながら、静かに泣いた――。


「お父さん……泣かないで、僕がずっと傍にいます」


 少年は、父が自分にするのと同じように、強く、父の大きな体に精一杯手を回して抱きしめる。

 

 強い風が舞い、吹雪が割れ、一瞬だけ二人の背後の景色が明らかになる。

 そこには、全ての、徹底的に破壊された灰褐色の廃墟。

 破壊された巨大なコロニーの残骸が、無残に横たわっていた――。


  ◆     ◆     ◆


「――メダリオン。 大丈夫?」


 ――ごうごうと、激しい風の音。美しい金色の長髪を靡かせてその風の中に立つメダリオンの耳に、銀髪の少女、スピカの声が届く。


「少しだけ――昔のことを思い出していました」

「――昔のこと?」


 ガラス球のような瞳で、不思議そうにメダリオンを見上げるスピカ。


「ええ――まだ、私と父が二人きりだった頃のことを」

「お父さん――」

「ううあー?」


 スピカとカルマに微笑んだあと、メダリオンは周囲を見渡す。遥か彼方まで続く青空と水平線。そしてその中に浮かぶ白雲――。

 ここはユニオン艦隊、旗艦の直上。船の外だ。

 未だ眼下で行われている激しい戦闘。間もなく発動される作戦のため、三人の周囲を無数の巨大な艦艇が後方へと過ぎ去っていく。後退する艦隊の背後へと目をやれば、艦艇を追って、未だ健在なドローンが迫ってくるのが確認できた。

 追いすがるドローン目掛け、後退するユニオン艦隊から一斉に艦砲射撃が行われる。轟く爆音と、相当な距離からも体を震わせる圧倒的な衝撃。そして、一拍遅れで射線の先に爆裂する無数の閃光。


『猊下! こちらの作戦発動まであと百八十秒! もう暫く、お待ち下さい!』


 メダリオンの耳に、通信士の声が響く。


「ご報告ありがとうございます。しかし見たところ、このままではドローンのいくらかは、殿の艦艇まで追いすがって来そうですね」


 メダリオンの視線の先。無数の爆炎から黒煙の尾を引いて、ドローンの生き残りが現れる。


「私があのドローンを食い止めましょう。その後、私達はそのままコロニーへと向かうことにします。キアラン提督には、コロニーで会いましょうと、お伝え下さい」

『え? げ、猊下! お待ち下さい! 猊下!』


 通信士のその言葉には最早答えない。船外に立っていた姿勢のまま、三人はふわりと浮かび上がる。


 付き従う二人と共に、滑るように眼前に広がるドローン群へと接近するメダリオン。急速接近する獲物をその無数の複眼レンズで捉えたドローン達。ドローンは即座にターゲットを後退する艦隊から変更すると、自身の体格よりも遥かに小さなメダリオン達に一斉に群がる。

 メダリオン達を押し潰さんと、無数のドローンが折り重なる。金属同士がこすれ合う音。ドローンは空中に浮かぶ黒い鉄塊を形成し――。


「――メダリオン。いまから行く場所って……楽しいところ?」


 少しうしろに立つスピカが、メダリオンに声をかける。


「ええ。もしかしたら、遊園地などもあるかもしれませんよ?」

「遊園地……」


 スピカは呟くと、僅かにその表情に笑みを浮かべる。


「カルマ……遊園地、あるって」

「あうあー?」


 カルマはそんなスピカの様子を不思議そうに、どこか楽しそうに見つめている。


「もちろん、行ってみなくてはわかりません。ですが、久しぶりの三人での外出です。少し羽を伸ばすのも、いいかもしれませんね」

「三人でお出かけするの……好き」

「うあー!」


 嬉しそうに言うスピカに、カルマも必死に頷いて同意を示す――傍目から見れば、三人のその様子は、たまの休日を楽しむ家族のように見えたかもしれない。

 彼らの周囲に迫る無数のドローンが、触れる間もなく、音も立てず、残骸すら残さずに、消滅し続けてさえいなければの話だが――。


「なるほど……提督の言うように、何度消し飛ばしても意味は無いようですね」


 眼前で早くも無限再生と思わしき挙動を見せるドローン。その様子を興味深げに眺めながら、メダリオンが言う。


「メダリオン……これ、持って帰りたい。いい?」

「ううー!ううー!」


 二人は少しだけ期待するような目でメダリオンを見る。


「それもいいですね――ただ、私達が帰るまで、残っているでしょうかね?」


 メダリオンはそう言って笑う。二人の少年と少女の様子は、動物園や水族館の生き物を見て喜ぶ子供と何も変わらない。二人にはわかっている。こんなドローンでは、メダリオンの領域を侵すことが出来ないということを――。


「さて――そろそろ私達もコロニーへと向かいましょうか」


 極光――。

 メダリオンから発せられたその光は、極天を覆う光の輝きに似ていた。


 無数の色の濃淡を示す極光は、群がるドローンの隙間から一瞬だけ漏れ、すぐに消える。だが、消えたのはその光だけではない。その場にいたはずのメダリオン達三人も、その場から消える。否――正確に言えば、彼らは消えてはいない。それどころか、その場から移動すらしていない。彼らはまだにいる。


「さあ、行きましょう」


 巨大なドローンを透過するメダリオン。まるで、実際にはそこに存在していないホログラフィックのように、お互いがお互いを透過してすれ違っていく。

 獲物の姿を見失い、周辺領域のサーチを繰り返すドローンの群れ。最早ドローンはメダリオンを見ることは出来ない。彼は既に、他のあらゆる存在とは別の座標に自らを置いた。

 三人はゆっくりと巨大な塔、その近傍を目指して降下していく――。


(ニンジャですか――。まさかこのようなタイミングで再び出会うとは。つくづく、運命とは面白いものです)


 かつて、幾度となくその目で見た、ニンジャによる暴虐をメダリオンは想起する。


(あれほど恐ろしいと思っていたニンジャの力すら、いまの私にとっては取るに足らない矮小な力でしかない。だが――)


 メダリオンの金色の瞳が僅かに覗く。


(神子が命を落とす理由を、ニンジャとの交戦で説明できるというのは、私にとっては好都合、ですね――)


 より深い笑みを浮かべ、メダリオンの瞳に極光の光がくすぶる。遙かなる高位次元から、万の光を纏って光臨するメダリオンの姿。その姿は、正に偉大なる神から遣わされた、光の使徒そのものであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る