Chapter 6

 カタナは最後に一度、先程まで自分達が乗っていた船を振り返った。


 海面で揺れるクレーン。

 一瞬で遠ざかる景色。

 体中の血液が置き去りにされる感覚。 


 ローダーは凄まじい加速と共に海上を抜け、金属が露出した塔周辺の人工島上空へと突入。カタナは加速を続けるローダーにしがみつきながら、空いた手で額からゴーグルを下ろした。 


『――どう、カタナ? 特等席の乗り心地は!』


 カタナの耳に、誇らしげなリーゼの声が届く。その声の出処は、彼女から渡された小型の通信機器からだ。


「酷すぎて吐きそうだ! さっさと下ろしてくれると助かるぜ!」


 風圧でその顔を盛大に歪めながらカタナが叫ぶ。


『やっぱり? 喜んでもらえたみたいで良かった!』

「……? やべえな。この機械壊れてやがる」


 そのリーゼの返答に、カタナは眉間に皺を寄せて耳元の機器をトントンと叩く。


『失礼ね! ちゃんと聞こえてるわよ!』

「今のでどこがどうなったら喜んでるってことになるんだよ!!」

『悪いわねカタナ。このヒンメル、一人乗りなのよ!』


 首元のボロ布で口を覆いながらカタナが叫び、リーゼが答える。ヒンメルと呼ばれた黄銅色のローダーは、その声に同期するように立てた右手の指で自身の鋼鉄の胸板を叩いた。


「――ま、すげえ風のおかげで服は乾いたけどな」


 ヒンメルのその仕草を見てカタナは笑う。そしてそのままヒンメルの肩口から頭部に備えられた取手へと手を伸ばし、やっとのことで体を固定できる足場を確保した。 

 周囲にそびえ立つ廃ビル群。その間を縫うように飛行するヒンメル。

 お世辞にもスマートとは言えないヒンメルの機体形状は、とても空力などを考慮されているようには見えない。だが、その飛行速度や加速力、機動能力には目を見張るものがある。

 カタナはどこか愛嬌すら感じさせるヒンメルの形状を気に入ったのか、その頭頂部をコンコンと軽く叩き、小さく「よろしくな」と呟いた。


『でも助かったわ。ユニオンの送信帯域、大当たりだったみたい!』

「そいつは良かった! 調べたのはカーヤで、俺じゃねえんだけどな!」


 ひとまずユニオンとドローンの戦闘領域を抜け、リーゼは安堵の声を漏した。若干速度を落としつつ、人工島の地面すぐ上を滑るように飛翔するヒンメル。上空の戦闘に巻き込まれでもしたら、たまったものではない。


『――カーヤさんって、カタナの相棒だっけ?』

「あいつもリーゼと同じで、すげえ頭がいいんだ。すぐ怒るけどな!」

『カーヤさんはこのコロニーには来てないの?』


 降下したヒンメルの各部スラスターから炎輪が発生。姿勢を安定させる。周囲をわたる潮風がビルの隙間によって圧を増し、金切り声のような風の音を響かせた。


「後で会おうって言ってたんだけど、俺がやられちまったからなぁ――」

『あんな馬鹿なことするからよ。カーヤさんも今頃心配してるんじゃない?』

「そ、そうだな。後で謝っとくぜ……」

『素直でよろしい!』


 気まずそうなカタナの声に、リーゼも頷く。 


 リーゼには、カーヤという人物がカタナに振り回される様子が容易に想像できた。毎回毎回こんな無茶なことをされていては、傍に居る人間は堪ったものではないだろう。もし自分がカーヤと同じ立場なら、夜を徹してカタナに説教しているところだ。


(でも――そういえば私。カタナのことなんにも知らないのね)


 昨晩は殆どミドリムシの話で時間が過ぎてしまった。もう少しカタナのことも聞いておけばよかったかな、と。リーゼは心の中で思う。


(まあ、別に悪いやつじゃないし。後で色々聞かせてもらえばいいか――)


 リーゼは、まだこの少年を完全に信用したわけではない。そもそも、彼のことを何も知らないのだから。だが、今までのことを思い出してみても、カタナから身の危険――恐怖を感じたことは一度も無かった。


 勿論、普段の彼女は、ここまで人に容易に心を許したりはしない。事実、リーゼはカタナが目覚める前。自衛のためとはいえ容赦なく止めを刺そうとしている。

 それは彼女がどうという話ではない。今のこの世界で、一人の少女が生き残るために必要な当然の判断だ。


(悪いやつじゃ無い、なんて。カタナが馬鹿っぽいから安心してるのかな?)


 彼女の思考は、実際の時間にすれば数秒のことだっただろう。そのことに気付き、リーゼはすぐに集中を取り戻す。今はそんなことを考えている場合ではない。モニター横にある、危険を告げる赤いランプだって点滅しているではないか。


「……え? ランプ? ちょ、ちょっと! 警告音鳴ってるじゃない! カタナ、後ろ!」

「わかってる!」


 カタナはすでにその警告の正体を捉えていた。先程まで影も形も見えなかった三発のミサイルが、ヒンメルの後方に追いすがる。


「どうしてっ! こんなに接近されてるのよ!?」


 リーゼは即座にヒンメルの操縦桿を目一杯横倒す。地上数メートルの位置を安定飛行していたヒンメルが、ほぼ水平に倒れながら滑るように粉塵を巻き上げて加速。

 そこから高度を上げつつ、廃ビル側面ギリギリを、滑るように加速していく。


(どこから飛んできたの?)


 いくら気付きが遅かったとはいえ、ここまで無防備に接近を許すものだろうか。リーゼは操縦桿の操作と同時に、左足のペダルを踏み抜いて更にヒンメルを加速。

 同時に手元のコンソールを片手で素早く操作。周囲の状況を側面の小型モニターに映し出す。


『解析結果はっと……なにこれ、次元潜行弾じゃない!』

「そんなに厄介なもんなのか? 何回も飛んできたから、いい加減飽きてきた!」


 加速するヒンメル。 それと共に強まる凄まじい風圧に晒されながらカタナが言う。


『何回もって……カタナ、このミサイルがどれだけ高価か知ってるの?』

「知らねえ!」

『――あなた、よっぽどユニオンから嫌われてるのね』


 ミサイルの正体。リーゼはユニオン艦隊がどれだけカタナを危険視しているかを悟る。

 次元潜行弾。その名の通り一度別次元へと潜行し、そこを経由して目標の三次元座標に復帰する特性を持つ。凡百のコロニー国家では所持することすらできない最新兵器である。なるほど。確かにこの次元潜行弾であれば、無数のドローンの防衛ラインを素通りし、その向こう側に居るヒンメルを狙い撃つ事が出来るだろう。  


「どうする? 俺がやるか?」


 風圧に髪とボロ布を後方へとはためかせたカタナが、折り畳まれた腰のブレードを引き抜く。その視線の先。三発のミサイルは、ヒンメルのやや後方の距離にぴったりと張り付いて離れない。白煙の尾を引いたその軌道は、まるで獲物を狙う蛇のようにのたうつ。

 ヒンメルは何度かビルの壁面を舐めるような飛行から、急上昇と急降下を行ってミサイルの壁面への激突を誘う。だが、三発のミサイルはまるでそれ自体に意思があるかのように的確に壁面を回避、ヒンメルへの距離を徐々に詰めていく。


『――大丈夫。解析は終わったわ!』


 カタナの耳にリーゼの声が届くのと同時。ヒンメルの周囲に先程海上で発生させたものと同じ、放射状のエネルギーフィールドが形成される。

 高速で飛翔するヒンメルは三発のミサイルを引き連れて眼前に迫ったビル壁面を鋭角に急上昇。ミサイルもまた、ヒンメルの機動をなぞるように上昇。追尾機動を取る。


「うおおおぃ! 俺がいること忘れてんじゃねえのか!」


 あまりにも激しいヒンメルの機動。最早上下左右すらわからぬ中でカタナが目を回す。ヒンメルはあっという間に高層ビルの上方終端へと到達。そして空中で高速旋回。追尾するミサイルへと向き直り、その鋼鉄製の片腕を突き出す。

 突き出されたヒンメルの腕からエネルギーフィールドの放射が起こり、ガタガタガタと固定の甘い金属板が揺れ、唸るような低い音が響き――ミサイルは止まる。

 ――正確には、ミサイルは止まってはいない。後方のノズルからは未だに白煙と炎輪が巻き起こっている。だが、まるで見えない何かに押しとどめられたかのように、ミサイルは小刻みに震え、ターゲットに到達することが出来ない。


「さあ、見なさい! これがヒンメルの力よ!」

 

 リーゼが高らかに叫び、ヒンメルが突き出した腕の手のひらを閉じる。その場に押しとどめられていたミサイルが飴細工のようにひしゃげ、爆散。炸裂する。


『どう? 私も結構やるでしょ?』

「凄え!」


 ヒンメルの肩口からその光景を見ていたカタナが驚嘆の声を上げる。


『ヒンメルがどれだけ凄いのか、後でカタナにもちゃんと教えてあげるからね』


 そう言うと、リーゼは再びヒンメルを塔へと向けて加速を再開させた。塔はすでに目と鼻の先に迫っている。これなら、艦隊よりも先にコロニーにたどり着けるはず……。

 リーゼの思考が、次の行動へと流れ――。


「あ、待てリーゼ! このパターンは!」

『え? な……何よこれ!?』


 リーゼの悲鳴。再び加速を開始したヒンメルが、空中で急停止する。


「いち、にい、さん――にじゅっ、二十発!? うそでしょ!」


 モニターに映し出されるヒンメルの周囲。そこに浮かび上がる光点。それは一瞬で数を増し、上下左右、全ての方向からヒンメルを取り囲む。その正体は、ヒンメルの超至近で再出現を完了した、無数の次元潜行弾――。


(お、終わったわ……さよなら……私の人生)


 リーゼの目の前が真っ白になり、走馬灯のように記憶がフラッシュバック――。


「はっ! 来ると思ってたぜ!」


 その時である。空中を飛翔するヒンメルの背から、緑光を纏ったカタナが弾丸のように飛び出す。先程まで黒一色だったカタナのブレード。そこにはすでに幾何学的な緑光のラインが幾重にも奔っている。その緑光のラインの正体は、ブレードの内部機構に充填された彼の力。ミドリムシの光だ。


「吹っ飛べ!」


 緑光の光跡を残し、カタナのブレードが空中で振り払われる。閃光は一瞬。カタナとヒンメル。そして二人を囲むミサイルの全てを、円状に拡散した緑光の波が透過。次の瞬間、二十発のミサイルは一つ残らず爆散、消滅。


「――な、何が起こったの?」


 ヒンメルに伝わる震動と、モニター越しの閃光。リーゼは必死に操縦桿を握ると、眼前に広がる爆炎に強行突入。炎を抜けた先に出現したビルの壁面を間一髪で回避する。


「これ……カタナのミドリムシ?」


 黒煙と炎の尾を引いて飛び退ったヒンメル。リーゼはヒンメルの片腕を単眼で捉えると、緑光を纏った鋼鉄の手のひらを、不思議そうに何度か開閉させた。


「あ、そうだ! カタナは!?」

「――うまくいった!」


 加速を緩めたヒンメルの背に、カタナが上空から軽快に着地する。


『こっちは大丈夫……今の、カタナがやったの?』

「ああ。あいつらのやり方は、嫌ってほど食らったからな!」

『そうだったんだ――そっちこそ大丈夫だった? ミドリムシ、減っちゃった?』


 リーゼは心配そうにカタナに尋ねる。ミサイルを全弾撃ち落としただけでなく、その後の爆炎からヒンメルを守ってくれたのもカタナの力だろう。初めて目にしたその力に、リーゼは驚きを隠せなかった。


「気にすんな! このくらいなら大丈夫だ!」


 再びヒンメルの頭部にしがみつきながらカタナが言う。


「ただ、何度もこられたら流石に凌ぎきれねえ。急ごうぜ!」

『うん、わかった!』


 カタナの言葉にリーゼは頷くと、再びヒンメルを飛翔させた――。

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