第81話 三章 準備

質素な家だった。


家具も必要最低限のものしかなく、壁は傷んで剥がれかけている。


テーブルには椅子が二脚しかなく、エマとクララは入り口近くの箪笥に腰掛けた。


あたりを見回すラファエルにシモーヌは言った。


「何もなくてごめんなさい。

 紅茶で良いからしら?」


シモーヌは杖を器用に操りながら、台所へ行って戸棚を漁り始めた。


「すみません。

 マリアンヌさんの安否はわかりませんか?」


「マリアンヌ?」


「白鳥の半獣人(デパエワール)です。

 最後に支配人(ミステル)に連れ去れてから行方がわからないままなんです」


「ごめんなさいね。

 私、いまサーカスがどうなっているのか全然わからないの。

 私が知っているのはラファエル、あなたのことだけよ」


「どうして僕だけ?」


シモーヌが入り口近くに座る二人にも声を掛ける。


「あなたたちもサーカスの団員なの?」


「……」


答えようとしない二人にシモーヌは続ける。


「私も昔はサーカスで踊り子をやっていたのよ。

 小さな芝居小屋でね。

 夫、ガーナムとはそこで知り合ったの。

 当時、彼は綱渡りの芸人だった。

 サーカスをもっと誰もが観に来るスペクタクルにしてみせるって、いつもきらきらした目で野心を語っていたわ。

 あの頃の彼はいまみたいにお金の亡者なんかじゃなかった。

 年月は人を変える。

 私もたっぷりお肉を蓄えちゃって、いまじゃとても踊れないわ」


シモーヌは自分の脇腹をつまんで悲しげに笑った。


「お母さんのことって何ですか?」


ラファエルは待ちきれずに訊いた。


シモーヌは戸棚からパイを見つけ出してきて、切り分けながら言った。


「お茶の準備ができたらすぐに話すわ。

 私にも心の準備をさせてちょうだい」


テーブルに形の違うカップが並んだ。


紅茶が芳しい香りを含ませて湯気をあげている。


シモーヌが大きく息をついて椅子に腰掛けラファエルの手を握る。


「最初に約束して。

 私がすべて話し終えるまで決して席を立たないこと。

 これから話すことはきっとあなたをひどく傷つけるわ。

 だけども最後まで我慢して聞いて。

 私がすべてを話し終えたら、あなたの好きにしていいから。

 わかった?」


「わかりました」


その言葉で、母に良くないことが起こったということは、ラファエルにも容易に想像がついた。

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