㉚
〈バグワーム〉を射出しラブホテルの建物の壁に固定。民家の屋根から振り子運動で居並ぶ男たちの最後尾を襲撃する。ひとりの襟首を掴んで勢いのままに連れ去り、五メートルほどの高さから落とす。両脚骨折するその男を見送る間もなくワイヤーを巻き取らせ、壁へと着地する。
無線制御でワイヤー先端の鉤爪が閉じ、コンクリートから抜ける。
壁を蹴って落下。対岸の建物に向け再射出し、巻き取りで高度を調整しつつ一方通行の標識へ着地。ポールを蹴って空中から黒ずくめにフードの男が〈ファンタズマ〉構成員へ襲いかかる。
ブギーマン・ザ・フェイスレス、憂井道哉――雨の中縦横無尽に暴れる黒い影。
顔面に膝を入れられた男と、その男を支点に腹を蹴られた女がその場で仰向けに倒れた。残り七人。
たたらを踏んで着地。足場を確かめる間に右腕の〈バグワーム〉ユニットを外す。
走りながら前方上へ投擲。すると下部にネットを装備した大型の全天候型ドローンが羽音を鳴らしながら飛来する。完璧なタイミングで軌道を合わせ、回収。そのまま上空へと退避していく。そしてその背後から小型の静音型ドローンが飛来。懸架していた右腕用鉄甲を投下する。
手を出せば吸い寄せられるよう。完璧な位置、完璧なタイミング。勢いを殺しながら受け取り、前転しつつ装着。ワンタッチで収まる機構は葛西翔平と羽原紅子の力作だった。
敵へ肉薄。武器か何かを取り出そうともたつく男の膝を前蹴りで潰す。続いて別の男がナイフで突きを入れてくる。
刃の軌道を見切る。榑林一真との繰り返される訓練で身につけた角度で、左前腕の鉄甲にナイフの刃を滑らせる。止まるはずのナイフは向きを逸らされながらもかえって勢いを増す。そこで腕を外へ開く。すると、まるでナイフが鉄甲に吸いついているかのように男の身体が引っ張られてよろめく。
榑林流滑刀術の真髄――ナイフが流れる。ブギーマンの身体が男の懐にある。肩を取り、勢いを使ってその男の身体を周りの三人へと叩きつける。道路側へと倒れた男四人。
背後の駐車場奥側で銃を構えた男。その発砲の一瞬前に黒いブーツの蹴りが飛び、拳銃が停められた車の下へと滑り込む。続けざまの蹴りが側頭部を捉える。残り六人。
姿勢を低くしての突進――蹴りを受けた男が倒れるとその影からブギーマン。一瞬で距離がなくなったように錯覚した男が銃を構えて伸ばした腕に、黒い腕が、地面から伸びた影の触手のように絡まる。
肘を折る。拳銃が落ちる。顔面に拳を叩き込む。残り五人。
ややあって駐車場側の最後のひとりがナイフを抜き、背後の佐竹と怜奈へと歩み寄る。
ある意味その男が最も不幸――ナイフを構える間もなく、ブギーマンではなく佐竹純次から繰り出されたローキックの連発で足元を乱す。そして間髪入れずに繰り出された後ろ回し蹴りを腹にまともに受けて男の身体は吹き飛び、駐車されていたコンパクトカーのドアに背中から叩きつけられて昏倒する。
佐竹純次――テコンドー遣いとしての腕前は一切衰えず。
残り四人。そのひとりが拳銃を構えようとする。その所作に入ったと同時にブギーマンの手から勾玉を合わせたような形の金属片が飛ぶ。空中で発火。降り注ぐ雨を切り裂く火の玉となって男の右手に突き刺さる。
ブギーマンは手から火の玉を出すという噂の真相を目にして愕然とする四人の男。ただでさえ亡霊が空を飛ぶ姿を目撃した彼らはもはや冷静ではいられなかった。
ひと息の間に接近したブギーマン。ひとりは鳩尾を正面から殴られ、ひとりは上段蹴りで顎を打たれて倒れる。
すると路地に激しい走行音が響く。直後、二台のライトバンが激しいブレーキ音を鳴らしながら駐車場入口を塞ぐように停車し、残っていたふたりを撥ねる。
先行車のスライドドアが開き、ライフルで武装した男たちが出現――その刹那。
拉致、人員回収用のため空席を作っている後続車の運転手は、バックミラーに映る新たな黒い影を見る。
その速さ、疾風の如く。降り頻る雨を置き去りにし、植え込みを足場に後続のライトバンの天井を滑るように飛び越える。先行車から降車し今や発砲するところだった武装集団に横から殴り込む、頭巾にマント、覆面の男――ブギーマン・ザ・タンブラー、灰村禎一郎である。
最初のひとりの頭部を掴んでふたりの顔面に蹴りを入れ、最初のひとりを車の扉に叩きつけ、そして屋根に手をかけて鉄棒運動のように車内に残っていた二名に両脚での平蹴りを見舞う。車内へ突入。運転手と助手席の男が慌てて拳銃を抜く。だがそれよりも、黒マントの下から電磁警棒が躍り出し、リストバンド代わりの黒い布が巻かれた腕の一部となる方が早い。
突き入れ、容赦なく通電。思い切り手を叩いたような破裂音が鳴り、一〇〇万ボルトの高電圧の激痛に男たちは身動きができないほど悶絶する。
最初の一〇人の男たちがようやく起き上がり、身体のどこかしらかを抑えてよろめきながら雨の降りしきる街へと散っていく。
数人は後方のバンの扉を開けて転がり込む――「出せ! バケモンだ! 早く!」
駐車場側の三名は
結局一度の発砲もなし。束の間の乱闘が終わり、辺りに元の静寂が戻る。
滑りやすい足元を気にしながら車の上に飛び乗るザ・タンブラー=灰村禎一郎。
佐竹に庇われていた怜奈は手の届く範囲から抜け出し、ザ・フェイスレス=憂井道哉の背後へ。
互いに歩み寄る。感情の浮かばない蛇の顔と、マスクで覆いフードで隠した顔が正対する。
黒いグローブの手がフードを取り、マスクを外す。現れた憂井道哉の顔――佐竹純次を真正面から睨む。
佐竹の手が道哉の胸倉を掴む。その直後、佐竹の身体が崩され、水溜りを跳ね上げてその場に倒れる。佐竹を上回る早業だった。
佐竹は絞り出すように言った。
「やっぱりお前かよ、憂井道哉」
後ろ手に縛り目隠しと猿轡を噛ませて佐竹を連行――非人道的な扱いにも誰も反対せず。
行き先は、チーム・ブギーマン拠点である憂井邸地下空洞。敵を連れ込むのはブラック・ネイルズのリーダー、野上善一を尋問した時以来だった。
円筒形の尋問室に連れ込み、猿轡を解いてパイプ椅子に座らせ、手足を縛り付け、目隠しを取る。羽原紅子は手当たり次第に鈍器や爆発物を持ち込もうとしたが、ブギーマンのスーツから私服に着替えた道哉がそれを制した。
「俺とあいつだけにしてくれ」と言うと、不承不承という様子ではあったが全員引き下がった。
尋問室の扉を閉める。学校の体育館ほどはありそうな高さの空間に音が反響した。
その音が止んだ頃、道哉の方から口を開いた。
「久し振りだな」
「地下の秘密基地とかさ。マジでスーパーヒーローじゃねえか」
「お前には訊きたいことが山ほどある」
「へえ。何が訊きたい? 〈ファンタズマ〉のこと。お前にボコされてからの俺のこと。それとも、俺がお前の女と一緒にいたことが気になって仕方ねえか?」
「彼女は彼女自身のものだ。俺のものじゃない」
「突っかかんなよ。言葉の綾だろ」
「お前は前から、言葉の端々で他人を人間扱いしないで、人の自尊心を傷つけていく男だった。俺の前では、そういう物言いは許さない。被差別から差別的発言を身に着けたのか?」
「上から目線で俺を分析すんじゃねえよ。屋敷持ちで昭和の文豪のお孫様がよ」
「下からなら何を言っても許されると思うな」
「冷てえなあ。もっと旧交を温めようぜ」
椅子を蹴倒す道哉。佐竹ごと倒れる。仰向けになって後頭部をコンクリートの床に強かに打ちつけ、呻き声を上げる佐竹を、道哉はじっと見下ろす。首の自由は奪っていないから、佐竹なら最低限の受け身を取れたはずだった。
「やっぱり、と言ったな。最初から気づいていたのか?」
悪態を吐きつつ佐竹は応じた。「生身のお前とも、顔を隠したお前ともやりあったのは、多分この地上で俺だけだ。なんとなく気づいてた」
「お前だけじゃない」
ドバト男の筋肉の方とも、生身と覆面の両方で戦った。
「そうか? ……でも確信したのは、つい最近だ」
「最近?」
「島田だよ。友達してやってんだろ、お前」
「島田? お前、まさかまだ切れてないのか」
「向こうから来たんだよ」薄ら笑いで応じる佐竹。「わざわざ俺のバイト先に。どこで聞きつけたんだか知らねえが」
「何を話した」
「いきなり殴りかかってきたんだよ。笑うだろ? それで一緒にいた彼女に一瞬で止められてんの。クソ笑ったわ」
道哉は応じる言葉を失くした。
島田雅也は全くの善人だ。佐竹を中心に起こった諍いのことは忘れたつもりだったし、特に蒸し返すこともなく、道哉はこれまで一年近く彼に接してきた。だが、島田の方はそうではなかったのだ。
島田は、佐竹に命じられて道哉を角材で殴った日のことを、ずっと後悔していたのだ。
だから、佐竹に従ってしまった自分へのけじめをつけようとした。
「あいつよぉー、松井に借りパクされた漫画が返ってきたんだってよ」仰向けのまま佐竹は言った。「俺らがブギーマンにやられた夜に。それで、ブギーマンはお前なんじゃないかって思ったらしいぜ。そういや松井って今お前とツルんでるんだって? ウケんわ」
「その話を聞いた時にお前も確信した?」
「お前が覆面を外すまでは、半信半疑だったけどな」
「一緒にいた彼女ってのは」
「一年の……お前の従妹ちゃんだよ。つーかあいつに彼女って俺マジでビビったわ」せせら笑う佐竹。「従妹ちゃんにもバレたかもなー、お前がブギーマンってこと。動揺してたなー。島田に掴みかかったりして」
道哉は舌打ちし、椅子を蹴り飛ばす。サイコロのように椅子と、縛りつけた佐竹が転がる。佐竹の笑い声が、天井の高い空間に絶え間なく反響する。
自分が知らない一花のことを、よりによって佐竹が知っていることに無性に腹が立った。
一度深呼吸して、倒した佐竹の椅子を起こす。
次の質問を考えあぐねていると、佐竹の方が言った。
「お前さー、なんで俺を助けたりした?」
「さあな」
「誰であろうと助けるのが正義ってか?」
「質問するのは、俺だ」
「おーおー、何も見逃さないスーパーヒーロー。変わってねえなあ。俺に喧嘩売ってきた時から」
「質問するな。答えろ」椅子を蹴る。滑り、壁に背もたれがぶつかって止まる。歩み寄り、続ける。「なぜ怜奈と一緒だった」
「さあな」口角を吊り上げて佐竹は笑う。
「痛みが足りないか?」
脅しつける――だが佐竹は人を見下すような笑顔を崩さない。
「もしもさ」蛇の顔が舌なめずりする。「もしも、俺がお前の女を脅迫していたとしたら、お前どうするよ」
「何……?」
「ヘイヘイお嬢さァん! こっそりスーパーヒーローとかやってる彼氏の秘密、バラされたくなかったら? どーすればいいかわかるよねぇー……って感じ?」
「佐竹、お前」
「ブギーマンの正体は憂井道哉って知れたらどうなっかねえ。生まれた時から関わった人間ひとりひとり、ぜーんぶ調べられたぜ、俺の場合は。親のことも。お前の場合はどうなっかなー。怜奈ちゃん賢いからそういうことわかっちゃうんだよなー。あ、あいつも似たような境遇だっけ。ブギーマンに助けられた女子高生だぜ? 時の人だぜ。もしも俺がバラしたらどうなるか、片瀬は身を以て知ってんだよ」
「お前まさか本当に、あいつを脅したのか」
「俺さー、他人の血の気が引いた顔って大好きなんだよ」首だけで身を乗り出し、佐竹は言った。「片瀬の血の気の引いた顔、まーじで最高だ……」
最後まで言い切られることはなかった。
道哉の中段蹴りが佐竹の顔面をまともに打った。椅子ごと倒れ、受け身を取る間もなく、佐竹の側頭部は床に叩きつけられる。
手足の拘束を引きちぎって椅子を放り捨て、道哉は佐竹の胸倉を掴む。
「あー痛え。ダナーで蹴んなよ、反則だろ」
「彼女に何をした」
「え、もしかしてお前、片瀬から何も聞いてねーの? うわ、大丈夫っすか、ふたりのカンケイ」
頭に血が昇った。血液が身体の中で位置を変える音が聞こえた気がした。
左手で胸倉を掴んだまま、拳を振り被る。その所作の迂闊さに気づくのが遅れた。
佐竹の右腕が動く。組手を切る模範的な動き。胸倉を掴んだ道哉の手が解かれる。
ジャブのような浅い突きが道哉の顎を打つ。舌打ち――道哉の即座の反撃。巨大な球を掴むように構えた右手で顔面を抉るように突く。目潰し。瞼の中へ指が入るわけではないが、確実に相手を怯ませ戦いへの集中力を奪う。続けざまに足を払い仰向けに倒し、再び拳を振り被る。
佐竹は組み敷かれたまま言った。
「その顔だよ。俺だけが、本気で人を殴るお前の顔を知ってんだよ」
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