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「調子はどうだった?」と葛西翔平が言った。「まだ自分を吊り下げるのには使うなって言ったでしょうに。試作品なんだから」
「実地試験ができたでしょ」と道哉は応じた。「あなたと羽原の作ったものだ。信用してます」
「信じられてもモノは作れない。僕らが危ないと言ったら危ないんだ。以後、気をつけてくれ」
気をつけますよ、と道哉は言った。
憂井邸地下空洞。家頭を尋問した直後。装備の点検と今後の相談を兼ねてチーム・ブギーマン一同が集結していた。
改造された道哉のスーツの右腕に固定された、ティッシュ箱を一回り大きくしたくらいの装置が、ここ最近葛西翔平と羽原紅子が共同で開発していた新装備だった。その名も〈
刺突機構にワイヤーを繋いだものをコンクリートに突き刺さるほどの高速で射出し、ワイヤーで振り子運動するか、あるいは内蔵されている巻取り機構を用いて都市内の三次元的な移動を可能にする、次世代型の移動デバイスである。ミノムシ、という名前は羽原紅子の発案だった。
「やはり最新の小型超電導モータを調達できたのが幸運だったな」羽原紅子も出来には満足そうだった。「大体、あの大学院生のモータ選定がおかしいんだ。バラしてみたら価格は安いが技術営業力のないメーカーのものでな。ああいうのの価格ってのはモノの品質だけじゃないんだ。自分で選べないなら大人しく高いのを買って確かな技術営業の提案を受けておけばいいのさ」
「電池の交換頻度はなんとかならないのか?」
「ならん。バッテリと言え」即座に応じた紅子は、ここ最近の憂鬱が少しだけ晴れた様子だった。
モータの電力消費が非常に大きいのみならず電磁投射式を採用したため、〈バグワーム〉のバッテリは家頭の尋問の間だけで三回の交換を要した。
それでも旧版より小型化され、装着したままでの戦闘もある程度なら可能だ。
「でも、
しばし一同沈黙してから、紅子が応じた。
「どうだかな。真実は含まれているのかもしれないが、嘘もある、そして家頭の語った内容だけが全てではない。そう考えるな、私は」
「もっと具体的に」ずっと黙っていた片瀬怜奈が口を挟んだ。
「君は怒るかもしれないが」道哉を一瞥して紅子は言った。「我が国にとって損がない内容だからだ」
「損はあるだろ。生活を破壊される人々が……」
「私は家頭の言っていることは正しいと思う。そしてそれが外乱によって達成されるなら、運がいいとも思う。故にだ。〈ファンタズマ〉が、そんな長い目で見たら我が国にとって利益となってしまうような戦いを仕掛けてくるとは思えない。利根と家頭は担がれているんじゃないのか。実際に利根と張本……あるいは入江
「約束を破れば、過去を清算して、難民として新たな身分を得ることもできなくなるだろう」
「どうだかな。……怜奈くん」
「何?」怜奈は目線だけを上げて応じた。
「塚原教授が言っていただろう。〈ファンタズマ〉は、まるで家臣が主君に忠誠を誓っているような組織だと。私は彼らが、即物的な……功利主義に基づく目的を持つ、ということに違和感を覚えるんだ。君はどう思う?」
怜奈は顔を上げずに言った。「原理のない、原理主義。……違うな。あるんだけど、うちらには見えないか、すっかり忘れている、何かの大切な、犯すべからざる神聖な原理に従っている。そんな気がする。確かに、過去を清算して日本で衣食住を得ることと言われても、ピンとこない」
だろう、とだけまず言って、紅子は言葉を切る。それからややあって言った。
「怜奈くん。君……何かあったか?」
「別に?」何もないのか、何かあったのか。疲れた横顔からは何も読み取れなかった。怜奈は続けて言った。「うちらは〈ファンタズマ〉には別の、真の目的があると仮定して動く。OK?」
「真の目的って、なんかすげーっすね……」と禎一郎が呟く。「ワイヤーガンとかも、なんか滅茶苦茶ヒーローっぽい」
すると紅子は上機嫌で応じる。「んふふ、そうだろう。我々はかつて夢見た未来に生きている。現実と仮想の区別などできんさ」
「なら魔法のハッキングで〈ファンタズマ〉も〈I文書〉もなんとかしてくれよ」
「そうはいかんさ。できることとできないことはあるんだ。君にしてみれば同じでも、私にしてみれば虚実の境は明確で……」そこまで得意気に言って、紅子は急に言葉を消え入らせた。
そのまま顎に手を当てて考え込む紅子。
全員が沈黙。だがそれに気づかないかのように、自分の世界に入って考え続ける紅子に業を煮やし、道哉が言った。
「羽原。次はどこを攻める」
「遠からず知らせる」紅子は俯いたまま言った。「今日は解散だ。家族と話し、英気を養え」
葛西が苦笑いする。「不気味なことを言うね……」
「何か見つけたのか?」
すると紅子は、やはり俯いたまま――だが常にない熱を孕んで言った。
「勝てるかもしれん」
翌日。駅前のファミレスに、憂井道哉と藤下稜の姿があった。
禎一郎のこと、という稜からの呼び出しだった。昼過ぎから雨が振り出し、季節が一ヶ月逆戻りしたように寒さ。道哉は冬物のコートを片付けてしまったことを後悔したが、稜は怪しげなバンドのロゴがプリントされた長袖のTシャツ一枚だった。
雨が伝う曇った窓際。四人がけの席に差し向かいで座った稜は、ドリンクバーの飲み物を不可解な組み合わせで混合しては飲むことを繰り返していた。彼女の言葉を信じるなら、ドリンクバーを混合した飲み物には「普通に美味しい」と「意外といける」のふた通りしかないことになる。
しばしの中身のない雑談の後、稜は不意に言った。
「禎一郎が私の部屋で毎晩筋トレするんだけど、なんとかならない?」
「知るかよ……」
「そう言わずに」
「本当に窓から来るの?」
「そんな嘘ついてどうすんだよ」目を下に逸らす稜。
「いや、漫画じゃん」
「否定はしないけどさ……」稜は咳払いして続けた。「張り切ってんだよ。禎一郎。何があった?」
それを説明するには塚原研への潜入調査と、佐久間と禎一郎の関係と、先日の放射性物質散布テロと〈ファンタズマ〉のことを全部話さなければならない。
少し迷ってから、道哉はひと言だけで応じた。
「やらかした」
「あー、あいつ普通の人間だしな」
「ミスをしない人間なんていない」
「なんでお前がムキになるんだよ」苦笑いになる稜。だがひと言だけの答えに不満はないようだった。「そういえばさー、結構気になってるんだけど」
「何が」
「あの白ハゲPって、結局なんだったの?」
「白……何それ」
「下手な芝居しなくていい。下手だし、どうせ禎一郎から全部聞いてる」
「あの馬鹿」道哉は思わず深々と嘆息する。
だが身近に相談相手が欲しい心情は理解できた。〈ファンタズマ〉にしろ何にしろ、男子高校生が胸のうちに秘めておくには重すぎる問題だった。
厄介なのは、〈ファンタズマ〉がブギーマン事件の関係者を次々襲撃しているという事実だ。これでガードする対象がひとり増えたことになる。
もしも、稜が〈ファンタズマ〉に襲撃されるようなことがあれば。
そう想像すれば、嫌でも片瀬怜奈が三星会に拉致されたときのことを思い出す。
二度目は決して許さないと、道哉は心に誓っていた。口に出したことはなかったが、羽原紅子もその点においては思いを同じくしているはずだった。
もしも身近な人間がブギーマンの敵によって傷つけられるようなことがあれば、それは憂井道哉と羽原紅子の責任だ。己を犠牲にしてでも防ぎ、防げなければ報復する。たとえライフルで武装した集団が相手であっても、見つけ出して八つ裂きにする。そのための技術がこの身体には備わっている――榑林一馬が、榑林の拳法は人殺しの技なのだと繰り返し強調しているのは、そういう意味なのだと道哉は解釈していた。
相手の生命に配慮している限り、全力ではない。そして全力を尽くさなければならない時が、いつか訪れるかもしれない。
「で……さ、〈ファンタズマ〉とかスペクターとか、幻像とか、まあその首謀者の名前が名前だしわかる気がするんだけど、白ハゲPはなんなんだって話。クスリの方は赤なのに」
「そんなとこまで知ってるのかよ」
稜は眠そうな目を崩さないまま応じる。「ていうか、〈ヴァーミリオン〉なら、私の知り合いにも買ってるやついたし」
「嘘」
「だから、そんな嘘つかないって」
「稜さんは……」
「私をなんだと思ってるんだ」
「いや、だって」Tシャツのロゴ見つつ道哉は応じる。「ロックといえば、ドラッグ、みたいな……」
「スラッシュメタルだ! ロックじゃない! なんでお前はそう大雑把なんだ」
「俺が悪かった」
「お前、何が悪いかわかってないな」呆れを滲ませた目線が道哉を刺した。「……知り合いのバンドのライブに行ったら、その後の打ち上げに呼ばれてさ。したらみんなで打ってんだよ。〈ヴァーミリオン〉。やばっと思って帰ってきたんだけど」
肝が冷える話だった。帰ってこられたからよかったものの、帰れなければどうなっていたことか。
「でも、それだけ出回ってるってのは……」
「実際に大量に流通させることで、〈ヴァーミリオン〉を使って従わせた犠牲者をカモフラージュしたんだろ。汚染土爆弾の製造のために使い捨てられた人を、目立たなくさせた」
「木を隠すなら森の中」
頷き、稜は続ける。「それにしてもわかんないのが、白ハゲP」
「似た思想なんじゃないのか。ステッカーと放射性物質を結びつけることで、人心を混乱させる」
「使われ方じゃなくて、デザインの話だって。ロゴマークって、思想とか、理念とか、そういうのが反映されるもんだろ」
「ロゴマーク……」
「じろじろ見るな。どうせない胸だよ、死ね」
「今のはちょっと下心ありました」
「白状したのは褒めてやる」稜は不快を隠そうともしなかった。「で、心当たりとかないのか、お前らは」
「ない……っていうか、他で手一杯で誰も気にしてなかったよ」
スキンヘッドの男にP印。不可解なそのロゴマークはステッカーとして都内中に貼られ、そして〈I文書〉の起動画面にも表示される。
そう、深く考えてこなかったが、あれは入江明の意志が反映されたものなのだ。
Iは入江のI。初代帽子男、三星会の指導者、そして自称・拉致被害者を親に持つ北朝鮮工作員。
デザインの話なら紅子より怜奈の領分だろうか――と、いつも何かに苛立っているような彼女の横顔を思い出した時だった。
道哉のスマートフォンが着信音を鳴らした。紅子から預けられているものだった。部外者と会っている時に音を切っていないのは失敗だった。
「出ろよ」と稜。
悪い、と応じて席を立ち、店先まで出てから応じた。
発信者は紅子だった。
「なんだ。緊急か」
「ああ。緊急なんだが、少し状況が混み合っていてな」
「いつものことだろ。要点は?」
「佐竹に〈ファンタズマ〉の尾行がついた。だが……」
「なんだよ。予想はしてただろ」
「同行者がな。怜奈くんが一緒なんだ。佐竹と」
急に激しさを増した雨がアスファルトを叩く。
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