城南大学、深夜の講堂。月光だけが差し込む中、塚原清志と片瀬怜奈が向かい合う。怜奈が胸元に仕込んだマイクを通じて会話はすべてチーム・ブギーマンに共有される。現場には道哉が残り、他のメンバーは葛西の運転するライトバンで待機する。

「最初に彼らの噂を聞いたのは、羽田テクノスという地元の建築業者を通じてだった」と塚原は切り出した。「福島の除染作業を行っている数多くの業者のひとつだ。二次請けだよ。上には井上土木工務店という業者がいて、その井上土木工務店は大手ゼネコンから仕事を請けている。羽田テクノスが非正規で雇用する作業従事者の時給は東京のコンビニに毛が生えた程度でしかない。全ての産業は使い捨ての労働力で成り立つ。原発廃炉も例外ではない」

「彼らというのは、〈ファンタズマ〉?」と怜奈。

「そうだ。彼らは当初、羽田テクノスで働く韓国人労働者らの権利団体として接近してきた。だが彼らは、ただの人権団体にしては事情に通じすぎていた。労働時間。労務環境。韓国人である労働者たちに向けられる心無い言葉や、公然と行われる不公平、不平等の数々。それらの公表を仄めかし、彼らは羽田テクノスの経営の中心に潜り込んでいった」

「拒否しなかったのですか。たかが労働基準法違反です。ネットで炎上させようにも、ネットは基本的に韓国人に敵対的です。無視すれば、所詮大事には」

「最初はそうしたそうだ。羽田テクノスの社長さんは、私もよく存じている。地元では敵なしといった様子の、やくざじみた方だ。田舎で建築業者を経営するために必要なものはすべて身に着けている。阿ることも、恫喝することも知っている人だ。その上、やってきたのは双子の少女だったそうだ」

「少女?」知らん顔で応じる怜奈。

 外壁に背を預け、開いた窓越しに話を立ち聞きする道哉は、思わず室内に顔を向けそうになった。

 〈スペクター・ツインズ〉に違いなかった。

「ああ。あなたと同い年くらいの女の子だ。羽田社長は、当初はそんな少女の脅しなど意にも介さなかった。だが彼女らは数日後、ある帳簿を羽田社長に見せた。粉飾決算の証拠だった。井上土木工務店は上のゼネコンの現場監督と共謀して架空の業務を発注し、羽田社長はそれを黙認することで分前を得ていた。そして少女らは、表沙汰にしないことの条件として、あるものを要求した」

「あるものとは」

「きっとあれは、佐久間くんのアイデアだ」塚原は質問に答えず、自分の話したいように話し続ける。「佐久間くんは、私が〈ファンタズマ〉の存在を知る前から彼らの幹部格として振る舞っていた。計画を最初に立案したのが誰なのか、私にはわからない。私は、ただ従うことだけしかできなかった。佐久間くんは真面目で優秀な学生だ。こんなことで彼の未来を断つわけにはいかなかった。あの時の私はそう思ったし、今もどこかではそう思っている。私には家族がない。妻は亡くした。子供もいない。学生の未来こそが、私にとって最も大切なものなんだ」

「先生。あるものとは、一体なんですか」

「それは、福島第一原発事故現場の?」

 そうだ、と塚原が応じる。

 通信の向こうで羽原紅子が「なんてこった」と呟く。いつもは饒舌な彼女が、それきり無言になった。

 塚原は沈黙していた。キャンパスのどこかから、気勢を上げる学生らの声が聞こえた。

「あなたは」と怜奈は言った。「話したかったんですね。誰かに、すべてを」

「そうだ。私は、話したかった。楽になりたかった。まさか本当に、あれが散布されるなどと」

「汚染水と汚染土。ただ詰めて爆破しただけでは、報道のような線量は出ません。TSシリカを?」

「使っている。私は研究室の在庫を提供するよう要求された。逆らえなかった」

「濃縮する作業は、佐久間氏が〈ファンタズマ〉に指導した?」

「恐らくは。そして爆弾へと加工し、福島の汚染土と汚染水を、東京に散布した」

 TSシリカ――塚原研究室が開発し、福島第一原発の廃炉作業に用いられている画期的な放射性核種の吸着剤。これを用いて汚染水から放射性物質を抽出し、濃縮して爆弾に詰めた。そして都内副数箇所で同時に爆破、散布した。

 だが疑問がひとつ。

 放射性物質の取扱には専門知識と設備が必要だ。〈ファンタズマ〉にはできるまい。塚原研究室で作ったのかと短絡的に考えた道哉だが、佐久間の指導を問い質した怜奈の考えは違うようだった。

 一〇秒ほども沈黙してから怜奈は言った。「土橋信幸という方をご存知ですか?」

「知っている。大森海岸で、急性被曝の症状で死んだ労働者だろう。彼もまた、使い捨ての労働者だった。使い捨てたのは、〈ファンタズマ〉だ」

「ではやはり」

「土橋氏は、〈ファンタズマ〉の濃縮汚染土爆弾を製造させられたのだと私は見ている。タイベックも着せられず遮蔽もされていない貧弱な設備で放射性物質を扱うことを強要された結果、彼は命を落とした」

「彼らが犯行声明のようなものを出さないのは?」

「これがまだ序章にすぎないからだ」

「都内六ヶ所に爆発物を仕掛けて同時爆破し、放射性物質を散布する犯行が、序章?」怜奈にとっても予想外の言葉であるようだった。しばし黙考してから怜奈は続けた。「奪われた汚染土と汚染水の量は?」

「土一トン、水一〇トン。濃縮汚染水を汚染土に吸収させたとして、報道されている線量を発する爆弾ひとつあたりの必要量は、土五〇〇グラム、水五〇〇〇グラム」

「二〇〇〇個……」

「そうだ。使

「ならこれから、それらを用いた第二第三のテロが」片手を顎に当てる怜奈。「絶対に止めないと」

「不気味なんですよ」塚原は、いつもは柔和な笑みを湛えている表情を凍らせていた。「彼らには……〈ファンタズマ〉には、目的のようなものがない。あったとしても、それが私たちには全くわからない。構成員は皆、あの不思議な少女たちに、盲目的に従っているように見える。それが自分に定められた宿命であるかのように」

「それは……普通の常識を失わせるカルト教団のような?」

「似ている。似ているが、根本的に異なるものを感じる。言うなれば……家臣が、主君に忠誠を誓うような」

「姫と騎士団? 馬鹿げてるわ」

「だが彼らはそういう存在だ。ブギーマンも」

 感情を押し殺したような塚原の声。

 白井享が似たようなことを言っていたことを、道哉はまた、思い出した。

 ――不幸にしてこの世に生まれ落ちた、現実から浮遊した存在だ。

「最後にひとつ、よろしいですか」どうぞ、と塚原が応じると、怜奈は淡々と言った。「〈ファンタズマ〉の次の標的に心当たりは?」

 塚原は力なく首を横に振る。「わからない。だが……」

「だが?」

「私を訪ねて現れた〈ファンタズマ〉の幹部は、『我々の目的はこの国への復讐だ』と言っていた。帽子を被った男だった」


 『渋谷駅構内にホットスポット 山手線一時運行休止』『監視カメラに不審な男 容疑者か 警察発表』『警察 女の顔写真を公開し情報募る 鶯谷駅前に爆発物設置の疑い』『都内公立小中学校に通う全児童・生徒に自宅待機要請』

 そして『311再び』。

 ネットを流し見ているだけで無数に浮かび上がる陰鬱なニュースの数々。それでも日常は進んでいく。山手線の運行休止は二日で解除され、ハチ公前にも新宿西口にも人が戻ってくる。そうしなければ回らない生活や仕組みがあまりにも多すぎるためだ。

 警戒区域とされるべき線量値が書き換わり、福島第一原発事故時との不統一に世論とマスコミが反発する。そして福島の事故時にも、物流を止めると経済が維持できないことから、本来避難指示区域への指定が妥当な線量が検出されていた地域にその指定がされなかったことが暴露される。

 福島から除染業者が呼び寄せられ、防護服を着た彼らが人目の多い東京の駅前で作業し、その姿を無数のカメラが捉えて拡散されていく。放射線量測定器を持って生配信しながら彼らにインタビューを試みた若者が警察に拘束され、その若者と警察の両方を叩く人々と擁護する人々でネットが方向性なく炎上する。

 立ち入ればたちまち全身が癌に蝕まれ子供が奇形児になると叫んで、池袋西口公園を封鎖する市民団体。一方、直ちに影響はない線量であり安全であると身をもってアピールするため日暮里駅に座り込む人々。警察も行政も後手に回る。その間にも〈ファンタズマ〉は暗躍を続ける。

 爆破現場に必ず白ハゲPのステッカーがあることが明らかになったのである。

 それに気づいたのは羽原紅子ではなかった。

 若者を中心に人気を博すデジタル・グラフィティ・アーティスト、サカグチの映像作品である。

 監視カメラやスマートフォンのカメラ、あるいはテレビの映像など、今回の爆破現場周辺を収めた映像のザッピング。その中から、壁や手すりに白ハゲPのステッカーが確認できる一瞬で停止し、六ケ所を並べる。ナレーションもキャプションも何もない、ただの映像だったが、言葉なくとも多くのものを語っていた。

 白ハゲPのステッカーあるところ、放射性物質あり。

 実際のところそれは根も葉もないただの噂だった。だが、目に見えるものを求める多くの市民はその噂に飛びついた。街中で白ハゲPのステッカー探しが過熱し、発見されるやいなやその地点は画像投稿アプリを介してシェア、拡散していった。数日のうちに、渋谷、新宿、池袋、鶯谷、日暮里、大森には立入禁止マップが作られ、プリントアウトされて街中で配布された。街には根拠のない空白地帯が生まれ、簡易放射線量測定器とスマートフォンを持って、あるいはVR端末を装着して街を練り歩く集団が出現した。

 白ハゲPのステッカーが貼られていた店舗が市民により破壊され、店頭の商品をが略奪される事件も起こった。放置はできず、チーム・ブギーマンは、彼と個人的に親しいという灰村禎一郎を介してサカグチに接触する。すると、彼はこう語る。

「アカウントを乗っ取られた。あれは俺じゃない。あんな無根拠に他人の不安を煽るようなことはしない。俺の作品は、誰からも糾弾されない悪の告発のためにあるんだ」

 最近現れた新たなブギーマン――ザ・タンブラーを綽名される方が灰村禎一郎であると気づいていたサカグチ。彼は調査のため、自身のPCを提供した。そのPCは禎一郎を介して羽原紅子の手に渡る。すると、半日もしないうちにアカウント乗っ取りというサカグチの訴えが真実であることが判明。スパイウエアを駆除して不正なアクセスをブロックし、事態を収束するための動画をアップロードする。

 だが時既に遅し。どんなにサカグチ本人が訴えても、目に見えない放射線の恐怖に目に見える形を与えたがる人々の暴走は止まらなかった。そして遂に、除染作業員を市民が暴行する事件が起こる。作業員の方は確認されたホットスポットを処理していたにもかかわらず、白ハゲPのステッカーが貼られたところで作業を行わないことに腹を立てた男性が、作業員に殴りかかったのである。

 目に見えない恐れが現実のものとして同居する街――最初に放射性物質の散布が明らかになった時に羽原紅子が口走った批評家じみた言葉が血肉を得ていくよう。

 口コミやSNSなどの、個々人の発信力まで計算に入れた一連の攻撃を、羽原紅子は『ローカライズド・ソーシャル・サイバーテロリズム』と呼んだ。ロシア流のハイブリッド戦争を取り込んだイスラム武装組織である〈神の水滴〉を、更に取り込んだ〈ファンタズマ〉が、彼らの手法を更に日本に最適化して実行したのである。皆が忘れかけていた最悪の物質を、最悪の日付に散布することで。

 次の標的に関する情報は得られないまま、焦燥感ばかりが募っていく。

 灰村禎一郎の先走った行動を、意外にも、紅子は怒らなかった。

 余裕がないのか、と考えた道哉だったが、怜奈の考察は違った。

「理解できないから、自分が何を言っても通じ合えないって思ったんだと思うよ」と怜奈は言った。

 別種の人間への説得は試みるだけ無駄。説教をしたところで相手が信念に則って取った行動を咎めることに何の意味もない。その突き放したような態度には、羽原紅子らしい、乾きと冷たさがあった。

 その禎一郎も、佐久間が〈ファンタズマ〉に参加した理由を訊いても「わからないんです」の一点張りだった。そして「俺が止めます。絶対に止めます」と繰り返した。

 彼について、怜奈は「あれはわかってるね」と言った。道哉も、それについては同意見だった。

 わかってしまう、という感覚に近いのではないかと道哉は推測していた。理解したくないのに、理解できてしまう。共感したくないのに、共感してしまう。それは連続強姦魔ドバト男事件の時に一瞬脳裏を過ぎった、ドバト男が撮影したポルノ映像を見てみたいという気持ちに似ていた。

 そして何度目かの集結と会議の時、羽原紅子が意を決したように言った。

「やるぞ。事情を知っていそうなやつが、まだひとりいる」

 〈ファンタズマ〉はの張本銀治は、今回の爆破と放射性物質散布の直前、与党議員の利根達男と接触していた。その際に、両者の間でどんな合意がなされたのか。

 ドラッグ・パーティに姿を見せていたことから、議員側の実質的な交渉役は私設秘書の家頭やがしらつかさという男と推測された。〈ファンタズマ〉は追跡困難でも、彼ならば追跡できる。

「家頭を尋問し、この馬鹿げたテロの裏にあるものを炙り出す。異存はないな?」

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