「いや、マジで、」と灰村禎一郎は言った。

 平日の夕刻。葛西を覗くチーム全員が集まった地下室には、疑問と違和感が満ち満ちていた。

 禎一郎は、珍しく椅子に真っ直ぐ腰掛けている。いつも悠然と椅子に腰掛けている羽原紅子は、腕組みで仁王立ちしている。

「もう一度訊くぞ」とその紅子が、なり損ないのポニーテールを揺らして言った。「白ハゲPのステッカーが、奥渋谷神山通りの雑貨屋で、平然と市販されている。事実か?」

「事実っす」禎一郎はテーブルの上を示した。

 一同の目線が改めて一点へ集中する。スキンヘッドの後ろ姿が白抜きでグラフィティのようにデザインされ、Pと一文字添えたステッカー。土橋信幸の死亡現場に貼られているものと同じであり、〈I文書〉の起動画面で表示されるマークとも同じだ。

 禎一郎は、大きめなタブレット端末をテーブルに置き、地図アプリの一点をズームする。

「ここっす。まあ、あのへんならいくらでもある雑貨屋っすね。一〇年くらい前からやってるみたいです。特に最近商品の傾向が変わった様子も、店主が交代した感じもなし」

「じゃあ、店は白ね」と怜奈。立ったまま腕組みでステッカーを凝視している。「製造元を辿れる?」

「それが、個人のクリエイターの作品で、どっかの企業とかじゃないんですよ」

 どういうことだ、と応じつつ、道哉は透明ビニール袋入りのステッカーを一枚手に取る。裏側のバーコードラベルを見るに、缶コーヒー一本くらいの価格だった。何かの企業ロゴらしきものも印刷されている。

「クリエイター側は最小の出資で、それを取りまとめる企業側は最小のロット・最小のリスクでバラエティに富んだラインナップを揃える」怜奈は目線を動かさずに言った。「よくある技能の買い叩きね」

 紅子が眉間に皺を寄せて言った。「一応、私の方でそのポータルサイトを当たってみた。ステッカーのみならず、デザイン雑貨全般を無数の外注クリエイターを使って少量多品種生産する会社のようだ。クリエイターの、ちょっとしたSNS機能のようなものもある」

「じゃあデザイナーは特定できたのか?」

 問う道哉に、紅子は頭を振る。「いや、ほとんど匿名だ。個人の特定に繋がるようなものもない」

「なら放置するしかないか」

 怜奈が顔を上げた。「店に潜入するとか、標的型攻撃とかで顧客情報を奪えない?」

「コストとリスクが高すぎる。気になるのは確かだが……」紅子は、珍しく真剣な顔の禎一郎を見た。「すまないが、例の知人と連携して引き続き注視してくれ。危険性の有無だけでも判定せねば、気味が悪すぎる」

「了解です」

「それよりな。絶対に追わねばならないものを、私と猪瀬とで見つけた」紅子は、やっといつもの不敵な笑みに戻り、回転椅子に腰を下ろした。「土橋の足取りが判明した」

 土橋信幸。大森海岸駅で死体となって発見された男は、生前日比谷公園で目撃されていた。

 年越し派遣村である。

 二〇〇八年に生まれ、景気の好転に伴い一度は消滅した年越し派遣村。だが近年、派遣業法の改正や外国人労働者への規制緩和に伴い、企業に都合のいい労働力として搾取された人々が声を上げる場所が求められた。そして左翼系の政治団体が主催となって学生団体等を巻き込み、リーマン・ショックによる切実さがあった最初期とは異なる意味合いを持って復活を遂げたのである。

「どうもこの第二期年越し派遣村で、土橋に仕事を斡旋した男がいたらしいんだ」

 紅子は珍しく歯切れ悪く言うと、一番大きなモニタに監視カメラのキャプチャ画像と思われるものを表示させる。

 公園の一角。解像度は低いが、報道で繰り返し目にした写真と同じ男だ。

「らしいって、なんかキレがないじゃないっすか」と禎一郎が口を挟む。

「私がしたことではないからな」

「例の電脳探偵っすか?」

「そうだ。猪瀬の手柄だ」紅子は大きく息を吐く。「さて、諸君。……?」

 紅子は道哉と、怜奈へ順繰りに目線を向けた。

 怜奈は、険しい顔で画面を睨んでいた。まるで、目を逸らすことを禁じられているかのようだった。爪が食い込むほど、拳を強く握り締めていた。

 状況が飲み込めないらしい禎一郎は、三人の顔を交互に見回している。

 道哉は言った。「一緒にいるのが、土橋に仕事を斡旋した男か?」

「ああ、そうだ。この〈帽子男〉がな」

「似てるな。

 道哉がそう言うと、紅子は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 ぼろぼろのコートを着た土橋に親しげに話しかけている、スーツに帽子の男。四〇年代風のファッションには、見覚えがある。三星会事件の際に必死になって追跡した、入江明そのものだ。

「死んだはずだよな?」

「あれで生きていたら、漫画だな。……前に君とは同じ言葉を交わした覚えがあるが」

 怜奈が、重い息をついて言った。「この男、追えたの?」

「ああ。人権保護団体のメンバーだ。NPO法人、〈リトル・サポート〉という」

「顔から?」

「電脳探偵が入手した顔で主だったSNSを横断検索したところ、Facebookのアカウントが引っかかったんだよ」

「そんな検索ツールがあるの」苦笑いになる怜奈。

「ネットストーカー向けのツールだ。作ったのは日本人だぞ」

「逆身内びいきかもしれないけど、日本人ってそういうの得意じゃない?」

「学内可愛い娘ランキングを作りやがった創始者たちよりはマシだろう」紅子はそのFacebookの顔写真と、バイオグラフィーを表示させる。帽子は被っていなかった。

「人権保護団体、か」画面のあちこちから飛び出す活動報告を目で追いつつ、道哉は口を挟む。「服装だけじゃない。やってることまで、入江に似てやがる」

「ああ。そしておそらく、こいつが今回の一件の主犯だ」

「主犯って……何をするつもりかもわかっていないんだろう」

「だが手段は掴んだ。何かが行われていることも間違いない。放置するか?」

「まさか」

「幸いにして我々は公の捜査機関と違って実行されていない犯罪を未然に、若干オーバーな力で叩き潰したところでマスコミに咎められることはないからな」

 すると、禎一郎が挙手した。「あの……いいすか?」

「灰村くん、君は軽く粗暴そうに見えて繊細で行儀がいいな。怜奈くんが可愛がるわけだ」

「はあ……」

「質問は?」

「あ、いえ」引き笑いの矛を収めて禎一郎は言った。「確認なんすけど、入江明って、いつぞや難民や無戸籍の子供を国外へ拉致して人身売買しようとしてたっていう、例の?」

「そうだ」

「本当にブギーマンがやっつけたんですねえ」

「別の誰かだと思ったか?」

「そういうわけじゃ」禎一郎は落ち着かない様子だった。「俺、その頃はテレビやネットで見てる側でしたし。そういえば、学校の先生が……」

「灰村くん」怜奈が鋭い声で制した。「その話はデリケートだから、またにしてね」

「デリケート?」

「道哉がナイーブになるから」

「ナイーブってな」道哉は、大きく息をついた。俺は気にするな、と伝えたかった。「怜奈のクラスの担任だった先生が、俺の身代わりにブギーマンとして逮捕されたんだ。その後証拠不十分で不起訴、釈放されたけど」

「そういう事情だったんですか」と禎一郎。「すいません。話、戻します。ただの好奇心でした」

「謝ることはないさ。お前だってチームの一員だ」

「一員……」

「ま、そういうわけだから。チーム・ブギーマンにとって、こいつは因縁浅からぬ相手かもしれないってこと。」怜奈は表情固く続けた。「あたしは入江に拉致されて危うくやつの雇用主のところに連れて行かれるところだったし」

「え……じゃあ、子供と一緒に拉致されて、ブギーマンに救出された女子高生って」

「あたしのこと」

「ひえーっ、マジっすか」

「おい、灰村」と今度は道哉が言った。「そっちの話も十分ナイーブでデリケートだ」

「……話を戻そうか」紅子が手を叩いた。「憂井が怒っている。この男、顔に出ないからな」続いて、WIREの画面を表示する。いつもの、開発者ツールによるバックドア侵入だった。「〈帽子男〉の名前は、張本銀治という。さっきもちょっと言ったが、〈リトル・サポート〉というNPO法人の理事を勤めている。主として、貧困や労働問題に取り組んでいる団体のようだな」

「あ、それ知ってる」と怜奈。「例のSHADOWの元幹部が代表なんだよね」

「その元幹部氏、徳山秀賢とくやまひでのりという男だが、どうやら政治に迎合する上の方針に異を唱えて脱退したようだな。当初の問題意識よりも政治家先生との繋がりに比重を置くようになってしまったボスに嫌気が差す、という気持ちはわからんでもない」

「話を本題に戻せ」

 これは失礼、と紅子。「多くのNPO法人同様、〈リトル・サポート〉も昨年の年越し派遣村に参画していた。軽く調べてみたが、基本的にはごく真っ当な活動だ。抗議活動、署名活動、社会復帰支援……まあ、やることに意義があり、目に見えるごく少数を救うことに意味があると信じる、ごく普通の市民活動だ。しかしな……」紅子は大型モニタの表示を切り替える。「張本も当然WIREのアカウントを保有していた。だが、表の〈リトル・サポート〉理事としてだけではない。同一人物によると思われる、別のアカウントがあったんだ」

 すげえ、と禎一郎が声を上げる。「どうやったんすか。ハッキングですか。すげえ」

「違うらしいぞ」と道哉。

「えっ……じゃあどうやってんすか。念力?」

「君らの大雑把さにはまったく頭が下がるよ」肩を竦めて呆れ顔の紅子。「端末も変えていたしアクセスする回線にも気を遣っていたが、ログインパスワードが末尾の数字以外同じだった。投稿日時の不一致さが逆に不自然でな。これはビンゴだろうと掘ってみたら……こんなプライベートグループがあってな」

 一同の目線が、紅子がノートPCに示したWIREの開発者向け画面に集中する。

 禎一郎が首を捻り、道哉が沈黙。怜奈がぐっと身を乗り出して言った。

「何これ。求人?」

「そうだ。ヤミ求人とでも言うのかな。たとえばこれは銀行口座の売買。こっちは振り込め詐欺の出し子募集だな。それでこっちは援デリのドライバー募集」

 一見すると理解不能な隠語の数々。そもそも紅子が解説に使う言葉すら道哉にはよくわからなかった。それは禎一郎も同じなようだった。

 紅子による熱の入った解説はそれから数分ほども続いたが、禎一郎が「なるほど!」と声を上げて応じるたびに、横の怜奈から訂正が入った。とにかく、詐欺や売春の世界でも人手は不足し、就職活動は売り手市場であるということだけを理解しておくことにした。

 明らかにわかっていない禎一郎と、わかったような顔だけしている道哉。当然看破されたらしく、紅子はやれやれとばかりに嘆息した。

「まったく。これだからインターネットに脳が慣れていない旧人類は困るんだ。ホ別苺も知らんのか?」

「北海道の地名」

「あのな。国がJKビジネスを大々的に規制したが寄る辺のない少女の数は減らず、ゆえに少女と店の力関係がより店側に寄って、脱法風俗店の類が隆盛の一途を辿っているのが現代だ。多分葛西が詳しいぞ」

「そんなのまであるのか、ここに」

「まあな。張本のやつ、表では貧困問題がどうのと言いながら、裏のアカウントでは貧困に喘ぐ少女と脱法風俗の橋渡しのようなことまでしているんだよ。はっきり言って、クソ野郎だ」

「じゃあとっとと居場所を突き止めて……」

「落ち着け。この張本の裏アカウントが、年末以来、土橋のアカウントと頻繁に接触している。これがそのやり取り」

 続いて表示されたのは、見慣れた形式の、WIREのメッセージの往復だった。

 内容もそこまで危険性が高いようにも思えない。軽作業の仕事がある、条件はかくかくしかじか、土橋さんを応援したいから、云々。NPO法人の人間が社会復帰を目指す貧困中年に手を差し伸べているようにしか見えない。

 だが、メッセージの日付は一月上旬。他の情報と合わせれば、何を意味するのかは明らかだった。

 ダメ押しのように紅子が言った。「このやり取りの直後、土橋の足取りは途絶えている。そして次に発見されたのが……」

「例の大森海岸ね」と怜奈。

「やはり張本を攻めよう。見つけた以上、こんな男、放置するわけにはいかない」

「だから、待てと言うに。張本は個人ではなく、組織だ。何が後ろに控えているのかまで、詳らかにする必要がある。そのチャンスもあるんだ」

「チャンス?」

「やつら、近々『集団面接』をするらしい」

 集団面接。

 およそ組織犯罪集団とは縁遠い言葉に、全員の顔に疑問符が浮かぶ。

 すると紅子は、新たな画面を表示させる。

 〈帽子男〉こと張本銀治は、WIREで繋がった孤立貧困者や移民等の後ろ盾がない人々を対象に、一斉に仕事を斡旋する集団面接と称するイベントを開催するのだという。紅子が監視する張本のアカウントからは、面接対象者としたらしい二〇ほどのアカウントへ一斉にメッセージが送信されていた。送信先の端末は、多くが規制緩和で参入した低価格業者のSIMや観光客向けのプリペイドだった。盗品も複数発見された。

 土橋に対しても、張本は似通った案内を発信しており、これが土橋が行方不明になる直前のこと。

 つまり、張本率いる謎の組織は今、人員を必要としている。そして以前集められたと思しき土橋は急性被爆で死亡し、彼は〈I文書〉のロゴを指差して事切れていた。さらに、今は亡き入江明をリスペクトしているかのようなファッション。

「私は、張本銀治が首魁となり、入江明の後継者として、〈I文書〉を用いた大規模なテロ・犯罪等の反社会的行動を起こそうと計画しているものと考える。君らはどうだ?」

 怜奈が顎に手を当てて言った「土橋がこの面接の後で行方不明になったとすれば……」

「拉致される?」

「それもあるけど、拉致するには相応の人手がいるでしょ」怜奈は、紅子の方へ向き直った。「張本個人を襲わなくても、向こうから組織がやってくる。そういうこと?」

「ご明察だ」紅子は満足気に頷く。

「どこでやるんです?」と禎一郎。

「そう、それだよ」紅子は回転椅子に勢いよく腰を下ろした。「WIREに書かれているのは、集団面接の集合場所だけだ」

 画面を中指の関節でコンコンと叩く紅子。なるほど場所らしきものがあるが、指定されているのは新宿の路上だった。連絡先の電話番号も書かれている。

「そこから移動するなら、尾行か」と道哉。

「ああ。ドローンは航続距離が心配だし、張本はかなり用心深くてスパイウエアを潜り込ませることもできない。参加者側を攻めようにも二〇のうち何人が応じるかわからんしな」紅子はそこまで調子よく言って、急にトーンを落とした。「ひとつ問題がある」

「問題?」

 訝しげに応じた怜奈に、紅子はカレンダーを示して言った。

「この集団面接の日、平日なんだよ」

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