⑧
「貴様以外に誰がいるっ!」怒髪天を衝く勢いで羽原紅子は言った。「我々の最重要人物の個人情報が敵へ流出した可能性があると言っているんだ。私はミスをしない、我々に隙はない、ならばお前が私から奪ったのか。え? 例の文書とやらには通信相手のPCの中身を覗き見る手段も書かれていたのか? ええい、ふざけるなよ電脳探偵」
「ちょっと、正直お前さんのことはいけすかないと思ってるけど、そんな不義理はせんよ」
「信じられるかクソ女め」
翌日夜の憂井邸地下。ドバト男への警戒待機のため集まったメンバーを他所に、ビデオ通話システムの向こうにいる電脳探偵を、羽原紅子は口角泡を飛ばして怒鳴りつけていた。
喧々諤々の怒鳴り合いは二〇分ほども続いた。そして互いに自身の端末への不正アクセスの痕跡を探る、とだけ約束して通話を終える。
肩で息をしながら紅子は言った。「あの女め、だから夢女は気に入らん」
「でも、どこから流出したんだろ」パイプ椅子の怜奈は腕組みで考え込む。「こっちの追跡を察知したってことでしょ? つまりサイバー犯罪技術については羽原さん以上ってことだよね?」
「犯罪と言わないでくれ、犯罪と。言い方は大切だ、何よりもね」紅子は苦笑い。「最悪を仮定しよう。ドバト男は我々の追跡を察知し、我々の中核たる憂井を襲撃することで、追跡に対する牽制を行った。これ以上追うならば容赦はしないという警告だ。憂井、実際に手合わせした君の感覚はどうだ?」
「感覚?」道哉は首を傾げる。
「そう、感覚だよ。私は君の第六感を信用しているんだ」
「非科学的な」
「武装集団を目を瞑って徒手空拳で倒した本人が何を言うか」
うーん、と思わず考えこむ。
着座して携帯電話を片手にしている怜奈と、奇妙な装置とソケットレンチを手にした葛西、定位置となった丸椅子の上にしゃがむ禎一郎、焦れた様子の紅子の目線が集中する。
道哉は、数秒目を閉じてから言った。
「興奮していたよ」
「興奮?」
「そう。滅茶苦茶興奮してた。俺の感覚と、お前の分析は矛盾してる。牽制とか警告とか、そういう頭使ってる感じじゃなかった。敵意が真っ直ぐて、鋭利だった。あのドバト男の目的は……」ぬるり、とした拳の感触を思い出し、道哉は身震いした。「俺と戦うこと。そう感じた」
「まさか」と紅子は一笑に付す。
それから誰からともなく何も言わなくなり、地下室に沈黙が降りた。
ノートPCで何かの作業をしていた怜奈が腕時計に目を向ける。両腕と頭に水を入れた湯呑みを載せたままスクワットをしていた禎一郎が、構えを解いてノースリーブの衣装を着込む。紅子がドローン群に各々のバッテリを装填し、あるいは充電ケーブルを外す。荷物をまとめた葛西は地上へ向かう。
時間が近づいていた。
道哉も厳しいコスチュームに袖を通していると、携帯電話に着信があった。島田雅也だった。「例のやつもうすぐ始まるぜ」というメッセージだった。とりあえず既読にして端末を紅子支給のものに換える。紅子が、渋々という様子で一番大きいモニタにドバト男の配信が予定されているウェブページを表示させる。二番目のモニタには以前にリストアップしていたDfAの管理していた住宅をスポットした地図を出す。
予告の時刻を過ぎる。
そのまま十分ほどが経過。このまま何も起きなければいいね、などと冗談を言い交わしていた時だった。
唐突に、薄暗い映像が表示される。カメラは三脚か何かに固定されているような。男が、ぐったりした少女を抱えて現れる。少女の手足は拘束、猿轡を噛まされ目隠しもされている。紅子が即座に電脳探偵へ電話をかける。
凝視するのもためらわれたのか、禎一郎が目を背けた。すると、紅子の鋭い声が飛んだ。
「見ろ! お前の敵だ!」
「俺の敵……?」
「ま、そんなかっこつけはさておいてだな」さておくんスかあ、と思わず合いの手を入れた禎一郎を一瞥して紅子は続ける。「全員、見ろ。全員のセンスを総動員して特徴点を探れ。これは、どこだ」
回転椅子にゆったりと腰掛けながらも、紅子の眼は瞬きもせずに画面を睨み据えている。
電話が繋がり、電脳探偵へ向かって紅子は指示を出す。「映像は見ているな? 私が指定した建物の入り口を監視できる監視カメラの直近三〇分の映像を全て確認しろ。全てだ。……ああそうだ、我々はこの犯行現場にあてがあるんだ。だが候補はわかっても絞り込みができん。説明はしただろう! 一刻も早くだ! 一分一秒でも早くこの女を救うんだよ! わかった謝るさっきは私が悪かった!」
ドバト男がカメラへ近づき、そのままカメラを取り上げる。
アングルが乱れる。瞬間、窓の外が写った。紅子は片手で電話を切り、もう片手でキーボードを叩く。すると別ウィンドウで静止画キャプチャが立ち上がる。
怜奈が身を乗り出した。「この建物、知ってる」
「こんな荒い映像でか? 速度は必要だが、焦りは禁物だぞ怜奈くん」
「大丈夫。間違いないと思う。周辺は基本的に住宅街だよね。高層建築物はこれだけみたいに見える」
「どっかの再開発っすかね」と禎一郎。
「で、このオレンジ色の……レンガ調の外壁でしょ。ぴったりの建物がひとつあるの。羽原さん、ちょっといい?」怜奈はマウスに手を伸ばし、地図を航空写真の3D表示に切り替える。拡大縮小とドラッグを繰り返し、モニタに一つの建物が表示された。「これ。どう?」
確かに、背の低い建物が並ぶ住宅街を通る私鉄駅沿いに、一際目立つレンガ調外壁の高層ビルがある。
「でも……これ、レンガっぽいのが二面あるぞ」と道哉は口を挟む。
「普通住宅の窓は南向きでしょ。ってことは、このビルの北側。見る限り住宅の二階からの映像みたいだから、このビルの高さが一二〇メートルくらいで……」
怜奈は手書きであっという間に略図を描くと、暗算で数値を書き込んでいく。それを見た紅子が、地図を平面表示に切り替えて表示範囲を絞り込んでいく。
絞り込んだ地図上で再び、リストアップ済みのDfA管理住宅の位置を重ねる。
残ったのはたった一箇所だった。
「近い」と禎一郎が呟く。「これなら間に合いますよ、道哉さん」
紅子が電脳探偵と連絡を取る。「そうだ。この一箇所だけでいい。周辺の映像を洗ってくれ」
「ふたりとも、支度」怜奈がぽんと手を叩く。「絶対助けよう」
「上がります」禎一郎が丸椅子の上から膝のばねを効かせて飛び降りる。「俺は葛西さん、怜奈さんと地上からで」
跳ねるように地下室を後にする禎一郎と怜奈。道哉は画面を睨む紅子に「俺は?」と言った。
「憂井、君は地下からだ。例のマシンを降ろしてある。使え」言い、ヘッドセットを装着せずに耳に当てる紅子。「……了解。よくやってくれた、電脳探偵。……大方袋の中に意識を奪った少女も入れていたんだろう。ここから先は我々の領分だ、通信終わり」
道哉もインカムを装着する。「例のマシンって……例の?」
「スーパーステルスモーターサイクル、SRM-X00。あれは小森が勝手につけた型式だから、名前はそのうち決めよう。幸い地下道も開拓済みの地域だ」紅子は発話先を切り替えて続ける。「……全員。当該地域の十五分ほど前の監視カメラ映像にドバトマスクの男が確認された。撤退ルートは追って指示する。私も上がるぞ」
慌ただしく荷物をまとめる紅子を横目に、道哉もキャビネットから爆弾類を取ってベルトへ収めて固定。今一度各部プロテクタの緩みがないか確認してから、包帯で装飾した黒いマスクを取り、ポケットに収める。
以前に野上善一を監禁した円形の部屋へ入って照明を入れると、小森モータースの地下ガレージで見たオフロード仕様の二輪が出迎える。夜間の市街地を意識したダークグレーベースのブロック迷彩。排気系のない異様な外観。シート下に収まるのはエンジンではなく、バッテリとモーターだ。剥き出しのドライブチェーンに塗られたグリスが薄暗い照明にぬらぬらと光る。まるで獲物を求める猛犬の風情。
跨がり、スイッチひと押しで通電。静かだが確かな息遣いをマシンの各部から感じる。アクセルをひねるとモータが焦れるように空転する。
「ナビは」
「ルート算出した。いつでもOKだ」インカムから紅子の声が返る。「どうした。ニューマシンで夜のパトロールに出動だぞ。事件が事件とはいえ、多少浮かれてもいいんじゃないのか」
「気になるんだよ。こんなに正体が見えない敵は初めてだ。何か……」
「嫌な予感か?」
「まあな」
「それは足を止める理由になるか?」
「ならない」
ミッション車と同じ感覚で運転できるよう調整されている完全電動バイクのギアを一速に入れ、思い切り回す。そして一瞬緩め、フロントサスの心地よい沈み込みを全身で浴びてから、もう一度一気に回す。強烈なトルクにフロントが持ち上がり、道哉はバイクとひとつになって東京の地下を網の目にように走る暗闇の地下通路へと突入した。
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