『渋谷で少年グループ同士の抗争 「ブギーマン」のコスチュームを真似る』

 翌日からのニュースにはそんな文言が並んだ。全国ニュースの三番目だった。大半は、愚かな少年たちが街中で多くの人々に迷惑をかけたことを揶揄する内容だった。少年犯罪の過激化。徒党を組んで喧嘩する前時代性。わからない世代を下に見て勝手に危険に仕立てあげたり我々の世代はもっと賢かったなどとする、いつもの報道にうんざりした。

 黒い衣装の少年グループであるブラック・ネイルズと、赤服のレッド・ラビットが対決。けが人を出しながら双方共倒れになった。ブラック・ネイルズの方では内部分裂があった。挙句の果てには警察署の真裏で決闘じみた喧嘩をし、メンバーが運転する車は壁に突っ込んで運転手は怪我をした。首魁と思われる少年、野上善一は行方をくらませている。

 そんな中で、若者たちの間では奇妙な噂が流れていた。

「本物がいたって噂、知ってる?」

 ある日の昼休み。教室を訪れていた島田雅也にそんなことを言われ、道哉は思わず面食らった。

「本物?」

「そうそう。ブギーマンの仮装をしたカラーギャングが騒ぎを起こしたじゃん。あの中に実はひとり、本物のブギーマンがいたんだって。それでさ……」

 島田曰く、仮装集団にひとりだけ紛れていた本物のブギーマンは、レッド・ラビットとブラック・ネイルズの両方をひとりで壊滅させた。一般的には両者の抗争からのブラック・ネイルズの内部分裂という見方が大勢を占めているが、それでは辻褄があわないところもある。レッド・ラビットの拠点周辺で謎の黒服男が目撃されたがひとりだったこと、そして、歩道橋上や警察署裏の神社での戦闘が目撃された時刻とずれがあるのだとか。

「ブラック・ネイルズとは別行動してた男がひとりいて、そいつがレッド・ラビットを単独で壊滅させて、さらにレッド・ラビットとの戦いに赴こうとしていたブラック・ネイルズも潰したんだと仮定すれば、辻褄が合うんだよ!」

「へえ……それ、どこで見た?」

「そういう考察をネットで見かけて……」島田は携帯電話にを取り出ししばし操作して、首を傾げた。「あれ? 確かに見たんだけど。WIREで。消えちゃったかな……」

 それで羽原紅子の仕業だとわかった。

 あくまでブギーマンは逮捕されている。今回は偽物たちの事件にすぎない。だが少しずつ確実に、実在の証拠を、不確かで記録に残らない形で世間にばら撒いていく。そして、ブギーマンは今も正義のために戦っているというイメージを民衆の間に植えつけていく。特に、まだ社会を回す側にない若者たちの間に。つくづく、世間というものを利用するのが得意な女だった。

「そういえば……」島田の声音が変わった。「この間、榑林さんから鬼気迫る様子で相談されてさ」

「一花ちゃんから? 何を?」

「言いにくいんだけど……男の人はみんなやらしいことに興味があるのかと」

「はあ? 何だ、お前ついに……」

 腰を浮かしかけた道哉を「いやいやいやいやいやいや待って待って待って待って」と叫んで制し、島田は続けた。「お前に何かされたって」

 道哉は頭を抱えた。「いや、それには深いようでそうでもない理由があって……」

 致し方なく、道哉は先日の護身術教室での顛末を、怜奈がその場にいたことは省いて島田に話した。

「すごいねえ。護身術教室? 僕も受けたいよ。空きはある?」

「ない」

「ひどい」

 すると、後ろから肩を叩かれた。

 藤下稜だった。事件後彼女と言葉を交わすのはこれが初めてだった。

 教室を出ようと促され、道哉は席を立った。島田はなぜか悪そうな笑顔で自分の教室へ戻っていった。

 また特殊教室へ繋がる渡り廊下へ出た。

 開口一番、稜はこう言った。

「憂井、お前何者?」

「言ったろ、伝手があるって」

「禎一郎、本物のブギーマンに助けられたって言ってたよ。それに、レイナさんってひとがブギーマンの仲間だったとも。それって、片瀬怜奈だろ。隣のクラスの。お前の彼女の」

「それは違う」

「どこが違う?」道哉が返事をせずにいると、稜は不満そのものな様子で続けた。「答えられない?」

「俺なりの、誠意だ。稜の頼みに応じる方法を、俺はこれ以外に知らなかった」

「……私は、秘密を守る、信用できるって?」

「信用って。大人みたいな言葉を使うなよ。俺と稜の間には、友情があるから大丈夫だと思ったんだよ」

「友情って。ガキか」

 それからしばらく沈黙が降りた。休み時間は残り短かった。下級生だろうか、大声を上げながら教室へと駆けていく音が騒々しく響いた。

 道哉は、稜に向き直ると、頭を下げた。

「ごめん」

「……それは、秘密を話せないことの、ごめん?」

「違う。灰村に手を貸したことだ。これで彼は、犯罪と戦う犯罪者としての道を歩むかもしれないから」

「止めるか手を貸すかは、任せるって言ったろ」

「でも止めて欲しかった。違う?」

 稜は俯き、ぽつりと「そうだけど」と言った。

 予鈴が鳴った。通りすがりの教師から、早く教室に戻りなさい、という声が投げかけられた。

「必ず、無事に帰すから」と道哉は言った。「俺や怜奈がどうなっても、彼だけは絶対に無事に帰す。だから彼を貸してくれないか」

 自分でも意外だった。

 力が足りていないとは思わない。これまでだって、前線に立つのは道哉ひとり。それで上手くやってきた。銃火器で武装した男たちを相手にしても負けなかった。

 それでも彼が欲しいのは、ふたりならより強い敵とも戦えるという期待以上に、灰村禎一郎という少年がいれば、もっと強くなれると思ったからだった。同じ力を持つ者と並べば、己に足りないところも見える。今はまだ未熟かもしれないが、明日はもっと強くなる。

 もう二度と、誰かを犠牲にしないために。

「知らねーよ」稜は顔を上げた。「私、あいつの保護者じゃねーし」

 冷たい言葉とは裏腹に、その表情は穏やかだった。


 憂井邸地下。剥き出しのコンクリートはあちこちがひび割れ、血が流れたような赤茶けた錆も目立つ。それでも複数のダクトや大型のファンを設けているためか風通しはいい。調査は完了していないが、より大規模な空洞か地下鉄のシステムに寄生していることが推測された。

 教室をふたつ繋げた程度の部屋。扉を介した隣には円形の間があり、先日は野上善一をそこに監禁し尋問した。使った車両は、実は50ccの原動機付自転車だ。

 壁際に並んだデスクとPC。試作中のドローン。制御プログラム構築専用だというノートPCには、あみだくじのようなものが見えた。

 もう一方の壁には味気ない金属の棚が据えつけられ、爆薬や投擲武器、装着武器の類が並べられている。

 そして、どこにでもあるような衣装ハンガーに、ハードプロテクタで固められた漆黒のスーツがかけられていた。

 中央のテーブルには、目隠しに使うような頭全部を覆うマスクに、黒包帯の装飾を施したものがある。引っ掛けているのはあろうことか、バナナ用として市販されているハンガーだった。

「さて。野上はやはりただの馬鹿だった」回転椅子で足を組んだ羽原紅子が言った。学校の指定ジャージの上に白衣だった。「やつはネット上で知り合った相手からビジネスを持ちかけられた。野上はブラック・ネイルズという実働部隊を、その相手は悪の方法を提供する。そうして互いに一稼ぎしようという申し出だった。やつはそいつと一度会い、意気投合した。年の近い少年だったそうだ」

 もちろん少年は末端にすぎないのだろう、と紅子は考察していた。恐らくは背後には悪の方法を自らの手で生み出す何者かがいて、その何者かが少年を使って野上に接触した。

「天才少年って線はないのかい?」口を挟む葛西。

 それも夢があるがな、と紅子は皮肉屋な笑みを浮かべた。「調べてみたが、少年は数日前に死んでいたよ。車に撥ねられての事故死だ。運転していたのは指定暴力団の一員だった。しかし不可解なことに、少年の名前がわからない。どの報道でもただの少年なんだ。ハイエナのような我が国の報道にしては、おかしいと思わないか?」

「暴力団が少年を故意に殺害し、手を回して報道を規制した」と怜奈が口を挟んだ。

「そう、聡明な片瀬嬢に私も同意だ。ここで、悪の方法を作り出している何者かを、『クリエイター』と仮称しよう。このクリエイターが、どうやらここ一ヶ月ほどで暗躍を始めているらしい。調べてみると、似たような事件が全国の都市部で起こっているんだ」

「似たようなって」道哉もつられて口を開いた。「スキルも経験もないはずのやつが、急にサイバー犯罪を仕出かすって事件か?」

「そうだ。そして事件の周囲には、共通性のない様々な組織犯罪集団の影が見え隠れしている。野上の件であれば、個人情報の売り先としての暴力団。野上に入れ知恵した少年を始末したのも暴力団だが、代紋違いだ。別の事件では、これがチャイニーズ・マフィアやイラン人になる」

「それは、おかしいな」

「だろう。つまりクリエイターは、どこかの組織の利益を代表していない。私は、逆に多数の組織がクリエイターの能力を欲しているのではないかと思うのだが……」

「それはそれでおかしいんじゃない?」と怜奈。「少なくとも、クリエイターと少年は繋がっている。なら、少年を尋問ないし買収する理由はあっても、殺しちゃ駄目じゃん」

「そう。そこなんだ。そこが解せん。心当たりが、ないわけではないのだが……」

「心当たり?」

「いや、こちらの話だ」紅子は質問に答えず、難しい顔をひとをからかうような笑顔に変えた。「どうした。黙りっぱなしじゃないか、灰村くん」

 灰村禎一郎は苦笑いだった。「いや。すんません。ちょっと、圧倒されちゃって」

「なに、じきに慣れる」と紅子。「何にせよ、個人的にこのクリエイターのことは放置できん。こいつを探し出して潰す。力を貸してくれるか、憂井」

 悪の方法を作り出し、スキルを持たない人々に提供する何者か。

 それで正義を行う羽原紅子にしてみれば、悪の手助けをしているクリエイターは、不倶戴天の敵だ。道哉にとっての黒服黒マスク黒フードで悪事を働く集団と同じように、紅子にとっては絶対に許せない相手。

「俺は、訊くまでもないだろ」と道哉は応じ、目線を巡らせた。「灰村、君はどうだ」

 灰村禎一郎は、丸椅子の上に両手両足をついて座っていた。まるで電線の上の小鳥だった。「へ、俺? 俺何か言ってもいいんすか?」

「畏まるな。俺だってただの高校二年生だ」

「……いや、正直、呼んでいただいたんで来たんすけど、何かスゴいっすね」

「道哉は前線に立ってもらいたいみたいだけど、あなたが嫌なら、それでもいいのよ」怜奈が一歩近づいて言った。「誰にも話さないと誓ってくれるなら、帰ってもいい。私たちは、あなたの意志を尊重するわ」

「いえ、俺も戦います。だって世のため、人のためでしょ。いいじゃないすか、そういうの」

「相手は犯罪者だ。武装していることもある。危険が伴うことは……」

「大丈夫です。俺は誰よりも速い」道哉に不敵な笑みを向けた。「あなたよりも」

 葛西が軽やかに笑った。「いや、これは一本取られたね、憂井くん」

「笑い事じゃあ……」渋い顔になる道哉。

 怜奈が道哉の脇腹を小突いて言った。「いいじゃない。彼、あんたと違って可愛げがあるわよ」そして禎一郎へ目線を向ける。「頑張ってね、灰村くん」

「はい、怜奈さん」

 禎一郎は弾けるような笑顔になる。つられて道哉も笑った。

 葛西翔平も、羽原紅子も、片瀬怜奈も、他ならぬ道哉自身も、あまりこういう明るさとは縁がないタイプだ。そのせいか、底抜けに明るく楽天的な禎一郎は、一瞬でこの地下室に馴染んでいた。きっと遠からず、必要不可欠な存在になるだろうという予感があった。

「そうと決まれば考えねばならないことがあるな」紅子が椅子を一回転させてから立ち上がった。「まずコスチュームだ。道哉の新コスチューム同様、デザインは怜奈くん、調達と制作は私と葛西で分担だ」

「え、あれ怜奈の案なのか」

「まあね。地下通路を見つけて、地上を撤退する必要がなくなったでしょ。だから一体型にして、質感を揃えたの。フードも外れにくいでしょ」

 葛西がそういえば、と声を上げる。「いい素材が手に入りそうなんだ。片瀬さん、フードつきのマントみたいなのはどうかな」

「いいですね。動きを邪魔しなさそう」怜奈は首を傾げて禎一郎を見た。「灰村くんは、どうかしら?」

 禎一郎は面食らったように応じる。「い、いえ。用意してくれるなら、何でもいいっす」

「あんたも何かアイデアとかないの。彼を引き込んだの、あんたでしょ」

「言われてもな」楽しげな怜奈に嫉妬心が芽生え、道哉はやや唇を尖らせて言った。「言葉遣いが変だぞ。おんな言葉。気取りやがって。お前、あんまり知らないひと相手だとそうなるよな」

「んなっ」

「それはともかく、灰村は何かないのか?」

「あ、アイデアっすか。そうっすね……名前なら、一応……Tが入るのがいいっす。自分、禎一郎なんで」禎一郎は表情を固くした。

 すると、襟足に不意に気配を感じて、道哉は身を強張らせた。

「あ、ごめん」と怜奈が言った。「流れぶった切って悪いんだけど、白髪があったから」

「白髪? ほっといていいよ、そんなの」

「駄目。あんたがよくてもあたしが駄目。あたし、白髪を見ると抜かずにはいられない質なんだよね」

「何その性癖」

「いいから黙って抜かれなさい。じっとしてて」

「嫌だ、やめろ」

「よいではないか、よいではないか」

 紅子が冷たい声を浴びせる。「おい、いちゃつくなら外でやれ青少年。それと灰村少年がこの世の終わりのような顔になっているぞ」

 葛西が禎一郎の肩を叩く。「男って、失うことで強くなるんだよ」

「葛西さん、あんた……いい人っすね!」と禎一郎。

 道哉は、溜息とともに頭上を見上げて、言った。

「ああ、新しいバイク欲しい」


 *


 ねえ知ってる? 本物のブギーマンは、ふたりいるんだって。


 ひとりは、顔のない男、ブギーマン・ザ・フェイスレス。


 そしてもうひとりは、覆面の曲芸師トラペジスト――ブギーマン・ザ・タンブラー。



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Boogieman: The Faceless episode 4 "THE SECOND FACELESS"

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