⑧
昼休み。廊下でちょうど移動教室らしい三年生の集団とすれ違った。道哉ら二年は思わず道を開けてしまう。夏も明け、受験もどんどん近づいてくる。曲がりなりにも進学校であるためか、いつの間にか三年生を刺激してはいけないという不文律が出来上がっていた。
悟られぬよう、道哉はその生徒たちの群れを観察する。
――いた。
心中へ向けそう呟く。
色の浅黒い、派手目の男子生徒。その右手の親指の爪に、黒いマニキュアが塗られていた。
ブラック・ネイルズの構成員。少年たちのグループである以上同じ学校の生徒に構成員がいてもおかしくはない。ただ、おかしくないと考えることと、実際に目にすることは違う。
すると、三年の生徒のひとりから手を振られた。見覚えのない女子生徒。だがよく見れば、野々宮ゆかりだった。
随分と雰囲気が変わった。ふたつにまとめていた髪はいつの間にか垢抜けたストレートになっており、眼鏡もかけていなかった。いやにコケティッシュな笑顔で、彼女は立ち止まることなく道哉の目の前を通り過ぎていく。
声を掛けたかったが、できなかった。会釈が精一杯だった。
「お、何だよみちやん知り合い?」とたまたま隣にいた松井広海が言った。「あんな美人な先輩いたっけ? なんて人?」
「知らねえ」
「嘘つけよー、絶対今挨拶してただろうがよー」
まとわりつく松井を追い払って、道哉はロボット研究会の部室へ向かった。
扉を開けると、小型のドローンが飛び出してくる。
「やあ、来たか憂井」と制服に白衣、足元はサンダルを突っかけた羽原紅子が言った。「片瀬くんから話は聞いたが……本当にいいんだな?」
ドローンを迎え入れてから部屋の扉を閉じる。「まだ迷ってるんだ。逃げ道を先回りして潰すようなこと、言うなよな」
「無理強いはしないが、やると決めたらやってくれないと全員共倒れだからな」
「……ひとつ、約束して欲しいことがある」
「何だ?」
「盗聴はやめてくれないか。お前はあれで、俺を守っているつもりかもしれないが……」
「全員共倒れの方がマシだと?」
「そういうこと」
「勘違いするなよ、憂井」紅子は人を小馬鹿にした笑みを浮かべる。「あれは君の裏切りを監視するためだよ」
「裏切り?」
「私を売る兆候が見えたら切り捨てるつもりだったのさ」
予想外の言葉だった。本心ではないだろうとすぐに思ったが、本心はわからない。
読み取れなかった。ふたり、二人三脚でいくつもの死線をくぐり抜けたはずなのに。
「ごく正直な話をしよう」紅子はデスクに置いたノートPCに触れた。「人の精神は六種の傾向に分解できる。ま、よくいうビッグデータ解析というやつでな。私の父の会社の研究開発部門が、WIREへの投稿を元に、ネット上でトラブルを起こす人物を先んじてピックアップするために作ったんだが、段々人工知能への教示に使ったり組織の健全性診断に応用して事業化されてしまったり……どこにビジネスのタネが眠っているかわからないと父は笑っていたよ」
画面には、ゲームのステータス割り振りのような歪んだ六角形が映っている。これが精神分析とやらの結果なのか。それぞれの頂点にはあまり見慣れない英単語が並んでいる。
「それで?」
「ミニストレーション、奉仕、他人の利益のために行動する。ベネレイション、尊敬、自分より優れたものへ敬意を抱く。エンパシー、共感、他人の気持ちや感情を理解する。この三つの精神傾向にそれぞれ逆位置のものが加わって、六つだ」
「それが何なんだ」道哉は苛ついて言った。
「マキャベリズム、権謀、自分の利益のために他人を操ろうとする。ナルシシズム、自己陶酔、自分は他人より優れていると思う。サイコパシー、精神病質、共感の欠如。これが負の三傾向。肝心なのはな、憂井よ、君は、奉仕と精神病質が突き抜けていた」
「奉仕と、精神病質? 俺が?」
「まあ珍しいぞ。WIRE全ユーザの〇.〇一%未満だ。換言すると、君は意味不明で何をするかわからない。私の直感をデータが裏付けたわけだ。スキルとしてはこの上ないが、精神面では、正直、私は君が恐ろしい。まるで、そう……」紅子は顎に手を当てて続ける。「妖怪か何かを前にしているようだったよ」
「妖怪……」
紅子こそ、正体不明な妖怪のような少女だといつも思っていた。平然と犯罪に手を染め、正義感があるのかないのかわからない。時にどんな悪人よりよほど悪人らしい不気味な思考をする彼女が、道哉は恐ろしかった。
部屋の扉がノックされた。紅子が「どうぞ」と声を張り上げると、扉が開き、人目を気にしながら片瀬怜奈が入ってくる。
「あんまりここで集まらないほうがいいね。誰に見られて、誰に聞かれるかわからないし」怜奈は片手を挙げる。「よっ、道哉。本当に戻ってくれるんだ」
「ちょうど決心が鈍ったところだ」
怜奈は、室内のふたりを交互に見て言った。「羽原さん、口では何言っててもあんたのことが大事だし大喜びしてるから」
「……は?」
「おい片瀬くん、君、ちょっと」
「ほら何だっけ、こういうの。二〇年位前の言葉であったよね。道哉知らない?」
「知らない」
わざとらしく手を叩く怜奈。「あー思い出した。ツンデレ。そうそう」
「積ん……?」
「やめないか片瀬くん。私にも、威厳や誇りというものがある」
道哉は首を傾げる。「さっぱりわからねえ……」
咳払いすると、それはともかくな、と事もなげに紅子は言った。
「これが例の『ガミさん』こと野上善一のWIREの分析結果だ。すごいだろう? 負の三要素が突き抜けている」
「ブラック・ネイルズの頭目だったか」
「そうそう。やつのWIREへの投稿傾向を解析したのさ」
なるほど六角形が六角形を成していない。負を表すらしい赤系色の三要素が膨らみ、青系色の正の三要素が凹んでいる。
怜奈が画面に身を乗り出した。「ふぅん。すごいね。これだけ見て襲えばいいんじゃない?」
「んふふ。やはりわかってくれるか」紅子は満足気だった。「人間の犯罪的・反社会的傾向というものがソーシャルメディアへの投稿内容には現れるんだよ。思うこと、語る言葉がこれほど記録され蓄積され解析出来る時代は過去にないぞ。いわば人格のコピーの断片だ」
道哉は思わず眉をひそめる。「それだけで人間を裁く気か?」
「一〇年後にはそうできると私は確信している」
「倒すだけの相手の内面を知る必要などないと?」
「傲慢だなどと言うなよ。エゴが人を作るんだ」
「やっぱりお前を先に警察に突き出すべきな気がしてきたよ」
「はいはい、喧嘩しないの」怜奈は呆れた溜息をつく。「野上とブラック・ネイルズでしょ」
「おお、そうだったな」と紅子。「ブラック・ネイルズがレッド・ラビットの拠点を襲撃する。今夜だ。きっかけが全くわからなくて困ったのだが……どうも一番はこれのようだな」別のノートパソコンを引っ張ってきて続ける。表示されているのはニュース記事だ。「レッド・ラビットは色情狂の集まりのようでな。町中で声をかけた無関係な女や、新規加入メンバーの知人などを泥酔させてレイプ、その現場を写真に収めて泣き寝入りさせるようなことを繰り返していたらしい」
「あ、だからタキシードの兎なんだ」と怜奈。「レッド・ラビットのロゴって例の雑誌のコラージュなんだよね」
「それはともかく、とにかくこの手口で、先日レッド・ラビットのメンバーがうっかりブラック・ネイルズのメンバーの妹をレイプしてしまったらしい」
レイプされた事実を隠そうとするごく近しい関係者の意図と、報復へ向けて意思統一を図る組織の思惑。それらが渾然一体となって、外部からの状況の把握を難しくしていたのだという。
最終的に、ブラック・ネイルズの意思は報復へと統一。メンバー全員にブギーマンを意識した服装の着用を命じた檄文がガミさんこと野上から全メンバーへ飛んでいた。
「……灰村は?」と道哉は口を挟む。
「サカグチの襲撃についてなら、どうやらブレーン的な存在がいるようだ」と紅子が応じた。「連中のようなアホの集団にフィッシング詐欺のような高度なことが出来るとは思えん。どこかに入れ知恵をした人間がいるはずなんだが、なかなか尻尾を出さん。だが、存在することだけわかった。サカグチの例のグラフィティをいち早く発見し、作者を襲撃するよう野上に指示を出していた。ここでWIREを使ったから私も存在を察知できたんだが」
「つまり灰村の復讐すべき相手はてっぺんの野上ですらないってことか」
「灰村くんもそれはわかってるよ」と怜奈。「彼、意外と公共に奉仕する気持ちが強いみたい。最初は友達の仇を取るつもりだったみたいだけど、段々ブラック・ネイルズの悪行そのものが許せなくなってきたとか」
「何だそりゃ。灰村のWIREでも見たのか?」
「ううん、ハニートラップ」
「はあ……?」
「何でも話してくれるからちょっと情が移っちゃった」何を言っているのかわからず、思わず呆けた顔で首を傾げた道哉に、怜奈は肩を竦めてみせる。「一応、ブレーンの存在について彼には示唆しておいたから。空回りの復讐心だけで突っ走ることはないと思う」
「そっか。何か……ありがとうな。よくわからないけど」
「どうしてあんたにお礼を言われんの」怜奈は平静に戻って続けた。「それで、あんたは彼をどうするの」
「どうするって」
「彼を助けるのか、懲らしめるのか。あたしは、あんたに判断を委ねたい」
紅子がPCに目を落としたまま言った。「それについては私も同意だ。憂井、君はあの少年をどうしたい。君に憧れ、君と同じことをしようと懸命な彼を」
道哉は腕を組んだ。
一度目を伏せ、それから顔を上げて言った。
「今夜の天気予報は?」
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