『「ブギーマン」は高校教師 取り調べに黙秘』

『逮捕の高校教師、有沢修人の自宅から、「ブギーマン」に関する報道内容などをまとめた大量の資料が発見――』

『警察は押収された「ブギーマン」のスーツの写真を公開しました。複数のバイク用品などを組み合わせたハンドメイドと思われ、また逮捕された高校教師、有沢修人は二輪免許を所持しており、学生時代に複数度のスピード違反歴が――』

『勤務態度は極めて良好であり、学校ではサッカー部の顧問を務めていました。普段の生活からは暴力的な傾向は見られず、周囲の人々は混乱を隠せず――』

『「ブギーマン」であるとして逮捕された高校教師の勤務していた学校で全校集会が――』

『東京品川区にある有限会社高千穂興産の倉庫で発見された子供たちと何者かに暴行を受けたと思われる多数の武装した男について、警察では現場にいた男から事情を――』

『男は自称・北朝鮮工作員の入江明。現場で保護された難民や無戸籍児と思われる子供たちを誘拐したと供述しており、警察では慎重に捜査を――』

『現場で保護された十七歳の女子高校生が、「ブギーマン」であるとして逮捕された高校教師・有沢修人の担当するクラスの生徒であったことが判明――』

『「ブギーマン」であるとして逮捕された高校教師・有沢修人の勾留されていると思われる警察署に多数の学生らが抗議のため詰めかけ、一時現場は騒然――』

『主催した学生団体「民主主義に基づく秩序ある世界を求める学生たちによる妥協ない行動宣言」、通称SHADOWの共同代表がコメントを発表――』

『抗議集会には有沢が担任を務めていたクラスの生徒らも駆けつけ――』

『保護された無戸籍児について総理コメント「適切に対処する」』

『逮捕の高校教師、事件への関与について未だ黙秘』

『それでは警察発表などを元に、逮捕時の状況を再現してみましょう――』


 有沢が逮捕された日、道哉はバイク事故を起こした。

 全身の怪我を怪しまれないためだった。有沢にスーツ一式を預けて自分は住宅密集地の屋根から屋根へ跳んで逃れ、ベースへ帰還後、伯父からもらったバイクで故意に事故を起こしたのだ。

 免許を取ったばかりの少年。雨上がりの濡れた路面。状況は極めて自然だった。疑われる要素など何一つなかった。全身の打撲、裂傷、肋骨の骨折などにより、道哉は一週間の入院を余儀なくされた。エストレヤ250はフレームを大きく損傷し、廃車やむなしの状態になった。

 入院中も、羽原紅子は絶え間なく連絡をしてきた。学校の状況。有沢の取り調べ状況。君の言う通りベースの物品は一度すべて引き揚げた、と彼女は言った。地下に置いたままの電動バイクについては、外装を一旦全て処分する、構わないなという連絡があった。

 葛西は新しい仕事場での新しい人生に専念するとのことだった。野々宮くんが卒業するとき、胸を張って彼女を迎えられるように、という前向きな気持ちが文面にあふれていた。

 病室には毎日のように一花が訪れた。「だから危ないって言ったんです!」と怒鳴るや否やわんわん泣き出す一花に、故意の事故だとは言えなかった。ましてや、夜の戦いで受けた傷をごまかすためだとは口が裂けても言えない。同行していた一真は、相変わらず微笑むだけだった。

 片瀬怜奈も、外傷はないものの大事を取って入院しているとのことだった。今は誰よりも彼女の声を聞きたかった。

 伯父の榑林一夫も、忙しい仕事の合間を縫って駆けつけてくれた。バイクのことを謝ると、「一台目は勉強用だからね」と応じて笑ってくれた。

 スーツもない。

 基地もない。

 バイクもない。

 何もかも失くしたような心地で、特にすることもない入院期間にもかかわらず、時間は飛ぶように過ぎた。

 そして退院を翌日に控えた日、意外な人物が道哉の病室を訪れた。

 松井と、島田だった。

「ハクジョーだよな、誰も見舞いに行こうとか言わないんだぜ」と松井は憤激冷めやまぬ様子だった。「同じクラスなのにさ。俺、そういうのよくねーよなって思うわけ。やっさしーだろ」

「ありがとう。来てくれて嬉しい」

「あ、お前全然嬉しいと思ってないだろ。そういうのわかるぜ。言葉には、誠意がないと。ほれ、もう一回言ってみ。ん?」

 底抜けに明るい松井に困惑しながらも、道哉は応じる。「ありがとう。来てくれて嬉しい」

「そうそうそう、そういうんでいいの」

 松井は満足気だったが、道哉自身には何が違うのか少しもわからなかった。

 島田は、巨大な荷物を携えていた。

「漫画持ってきた! 入院中暇だろうと思って!」

「ごめん、明日退院……」

「あッ……」

「バッカじゃねーの! マジウケんだけど!」松井が腹を抱えて笑う。「つーかこの漫画何? エロいやつ? うわマジ変態だわ。昨日何回オナニーした?」

 島田はにやりと笑う。「アニメ版の作画がエロかった。二回」

「は? 今漫画の話してんだし。アニメの話してねーから。お前ほんとオタクだよな」

「話振ったのはそっちだろ!」

「あの、お前ら」道哉はおずおずと、しかし断固として口を挟んだ。「出てけ」

 この二人が和やかに言葉を交わす時が来るとは、想像だにしていなかった。

 必ずしも和やかではないのかもしれないが、とにかく、彼らが見舞いに訪れてくれたことは、ともすれば他の誰の来訪よりも嬉しかった。

 向こうがどう思っているかはともかく、高校生活二年目も後半に差し掛かって、やっと、友達というものができたような気がしたから。

 松井が神妙な顔で言った。「でも勿体なかったよな。バイク」

 そうだね、と島田が応じる。「”スピードの向こう側”とか行けそうなカッコいいやつだったのに」

「どこだよそれは」

 松井が変わらずに神妙な顔で告げる。「それヤマハなマサやん。違うからな」

「えッ……」

 頭を抱える島田を置いて、松井が病床の道哉に向き直る。

「まージョーダンはともかくさ。次、どうすんの?」

「次って?」

「いや……たった一回事故ったからって、これで終わりじゃないだろ?」


 一週間ぶりに登校する。

 祭りの後、という風情だった。

 有沢の逮捕による衝撃はひと通り過ぎ去り、いつも通りの日常が教室には戻りつつあった。

 そしてちょうど同じ日に、片瀬怜奈も登校していた。

 授業が終わると、道哉は彼女の教室を訪れた。

 いつもと同じように、クラスメイト全員が、怜奈を恐る恐る囲んでいた。険のあるかんばせで周りを跳ね除けている彼女は、相変わらずに美しかった。それでも、空気が少し違うことに、道哉は気付かずにはいられなかった。

 身勝手な想像。

 一方的な妄想。

 根拠のない空想。

 犯罪被害者に向けられるもの全て。

 特に、彼女がこう証言したことがクラス中の耳目を引いたことは想像に難くなかった。

 すなわち、「私はブギーマンに救われた」。

 教室の戸口に立つと、前回と同じ女子生徒がやってきて、「片瀬さん?」と訊いた。うん、お願いと応じると、彼女は窓際の席でぼんやりとして、開け放たれた窓から吹き込む風に髪を遊ばせている片瀬怜奈に声をかける。

 ふたり連れ立って、中庭に出た。渡り廊下の柱の一本に、アポロ君島の拳が開けた欠損があった。

「久し振りだね」と怜奈は言った。「なんか、全然そんな気しないけど」

「教えて欲しいんだけど」と道哉。「有沢先生に、何であんなこと?」

「あなたに、無事に帰ってきて欲しかったから」

 道哉は足を止めた。「だからって、あんな身代わりにするみたいな。俺……」

「ロードレーサーで通勤してた有沢先生の自宅と、例の品川の倉庫が比較的近かったのは、ただの幸運。でもあなたを守るなら、あれしかないと思った。私も先生も同じ考えだった」

「でも……」

「伝言」怜奈は有無を言わさず告げる。「『どうかその誠実さを失わないで。お前の担任になりたかった』だって」

「俺、文系にするつもりだったよ。来年の担任、有沢先生だったかも」

「あたしは理系だから、来年も違うクラスだね」

 事もなげにそう言って、怜奈はなぜか、その場に蹲った。

「怜奈? おい、大丈夫……」

「あたし、あんた。あたし、あんた」

 道哉も傍らに方膝をつく。「怜奈?」

「ごめん」怜奈は片手で顔を覆った。「あー、意外と堪えてたんだなあ、あたし」

「何のことだ? お前まさか、やっぱり入江に、何かひどいことを……」

「大丈夫。だってあたし、地面から三ミリ浮いて歩いてるし」そう応じた怜奈は、いつもの、人を小馬鹿にするような表情を取り戻していた。「それよりさ、あんた約束覚えてる?」

「約束?」

「連れてってくれるって言ったじゃん。来年。江ノ島に」

 道哉は目を瞬かせ、それから応じた。「次のバイクが決まってない」

「足つきがいいやつにしなよ。今度はコケないように」

「でも……」

「ねえ、道哉。まさかやめるなんて、言わないよね」

「やめる?」

 思わず問い返した、その時だった。

 怜奈の後ろから、制服に白衣の小柄な女子生徒が走ってきて、息を切らして急停止した。ポニーテールのなりそこないのような髪が揺れ、前髪が額に張りついている。

「羽原?」

「聞け、ふたりとも。いいところに」羽原紅子は携帯端末の画面を、まるで黄門様の印籠のように突き出した。「入江が射殺された」


 全員が、憂井邸の蔵に集まっていた。

 憂井道哉。羽原紅子。葛西翔平。そして、片瀬怜奈。

 残されたのは、デスクが一枚にPCが一台。それと数基のドローン。

 広々としてしまった蔵。だがなぜか、寂しくはなかった。

「何で怜奈までついてきてるんだよ」

「別にいいでしょ。大体全部知っちゃったし」

「でも、これは俺たちが始めたことで……それにお前は、悪いけど戦力にはならない」

「美人エージェントってつきものでしょ、こういうの。パグを連れて執事と一緒にロールス・ロイスに乗るの。っていうかあんた意外とやる気?」

「それは……」

「無駄話はそこまでだ。この星の貴重な情報資源を無駄遣いするな。情報的にエコロジーであることを心がけ給え」

「何だそりゃ」

「人の話を聞け」紅子はいつものように画面を示した。「護送中の一瞬の隙を突いた狙撃だった。頭を貫かれて即死だそうだ。やつは死んだ」

「プロフェッショナルの犯行ってことか? 口封じを目論んだ」

「フェドラハットの男こと入江明は、片瀬嬢への話や警察の取り調べへの受け答えで、自らを北朝鮮の工作員であると名乗っていた。そして同時に、母親は国が認知していない北朝鮮の拉致被害者であると。調べてみたところ、五〇年前に福岡で少女が行方不明になる事件があり、これが未だに未解決だ。少女の苗字は入江。辻褄は合っている」

「じゃあ本当なのか?」

「それを示す証拠は何もないよ」と葛西。「だから厄介なんだ。口から出任せかもしれない。でも出任せでないとすれば、やつの作り上げた巧妙な犯罪の構造にも説明がつく。北朝鮮が日本人を拉致したのは教育役にするため。その息子だ。つまり彼は、国家犯罪のために産まれたプロということになる」

「でも射殺されたんでしょ。それって、狂言じゃないってことじゃない?」

「それだよ片瀬くん。私はそう言いたかった」紅子は満足気に頷く。「いや、しかし若い女がいるのはいいな。場が華やぐ。何よりいい匂いがする。素晴らしいね。私は君が大好きだ、片瀬怜奈くん」

 怜奈の愛想笑いが崩れていた。「ねえ道哉、もしかして羽原さんって、アブない人?」

「俺たちの中で一番の危険人物だ」

「失礼な。少し孤独を愛しすぎただけだ。それにそこで突っ立ってる淫行爆弾魔教師より百万倍マシだ」

「その呼び方控えてくれないかなあ……」葛西が悄気げた顔で応じる。

「まあとにかく、入江についての真実は闇の中。入江が片瀬くんに語ったことの真偽についてもな」

紅子は画面表示を切り替える。「しかしな諸君、今日集まってもらった理由は他にある」

 画面に映し出されたのは、監視カメラの映像だった。

 深夜の公園。屯する若者たちが、通行人に因縁をつけている。脅すだけで殴ったり、金銭を奪ったりするわけではない。だが、周囲を威圧し街に無意味な恐怖をばらまく。ただいるだけで迷惑。そんな存在だった。

 そして映像の中に、奇妙な男が映った。

 全身黒ずくめ。黒いフード。その男は若者らにゆっくりと近づくと、襲いかかる。殴る。殴られる。それでもなお殴り、ついに少年たちを全員打ち倒す。

 鼻から下を覆ったマスク。そこから、黒い包帯のようなものが垂れていた。

 怜奈が身を乗り出した。「これって……」

「三日前の映像だ。正体不明。だがこの男の存在が認知されれば、我々にとって喜ばしい材料が増える。ただでさえ、有沢の身辺からはブギーマンであることを明確に裏づけるものが発見されていないんだ。あの衣装以外には何も」

「有沢先生が、自由になるかもしれない」

「もはやブギーマンは君だけではない」紅子は、妖怪のように笑った。「調べるぞ。異論はあるか?」



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Boogieman: The Faceless episode 3 "LACK OF SPEED"

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