十月の半ばに予定されていた文化祭の中止が発表された。佐竹の一件から予想はされたことであり、むしろ遅すぎるとの声もあった。決定打となったのは、やはりインドネシア難民の母親の事件だった。

 昨今の情勢を鑑み、学校に部外者が多く立ち入る機会は作るべきではない。

 そんな保護者会の提言を学校側は容れ、中止を決定。生徒らの反対はすべて黙殺された。一部には署名活動などの動きもあったが、結局下火になってしまった。主張する若者という観念そのものにみな馬鹿馬鹿しさを感じてしまうのだ。

 もう少し上の世代だとそうでもないらしい。再びの学生運動のようなものもある程度の盛り上がりを見せ、成田闘争や新宿騒乱のような状況には至らないまでも、学生活動家らの集団が新聞やテレビに繰り返し取り上げられたのだとか。

 今も、政治活動に打ち込む大学生らはいる。だが少なくとも、道哉ら高校生からは、彼らの姿は、自分で掘った穴を自分で埋め続けているかのように滑稽にしか映らなかった。

 二十歳くらいになれば考え方も変わるのだろうか。あまり想像がつかなかった。

 不意打ちのキスから一週間。怜奈はぱたりと教室に現れなかった。本当なら真意を聞きたいし、真意云々はさておいても話をしたい。彼女とふたりの時間が楽しいから。だが、街はそれを許してくれなかった。

 LAPネットワークのデモを三日後に控えたある日、新井一茂が死体となって発見された。

 葛西の薬物製造能力と学校という市場を背景に組織への返り咲きを企んでいた彼を、道哉と紅子のチーム・ブギーマンが阻んだ。その彼が死んだ。明らかに組織による粛清だった。死体が浮かんできたことも、おそらくは見せしめとしての意味合いがあるのだろう。

 その二日前には、紅子の監視カメラハッキング網に、アポロ君島の姿が映った。大久保の喫茶店で暴れ、通報で駆けつけた警察官に拘束されたのだ。店に居合わせていたのは同じ三星会の構成員と思われる丸坊主にフェドラハットの男。こちらの男は、紅子が抑えた映像を見る限り、君島が暴れた直後に姿を消していた。

 彼らの行動について、葛西はこんなことを言った。

「少し前に不審船騒ぎがあったろう? あれで今、国内の覚醒剤の流通価格が高騰してるんだよ」

 二〇〇一年末、海上保安庁との巡視艇と北朝鮮の船舶が接触し、激しい銃撃戦を繰り広げるという事件があった。北朝鮮の船は沈没し、後に引き上げられた。乗組員は全員死亡。この事件の直後、同じように覚醒剤の価格が高騰したことがあった。同じ船が、過去に何度も。数百キロ単位の覚醒剤を暴力団などへ洋上で引き渡していたことが、後に警察の捜査で明らかになっている。

 似たような騒ぎはその後も散発的に発生している。オリンピックを機に海上警備体勢も刷新されたと言われているが、決死の水際作戦が繰り広げられていることは今も昔も変わらない。特に北朝鮮ルートではなく、東南アジアルートの強化が求められているのだとか。

「どうも、密輸方法か何かの刷新を図ろうとしているみたいでね。一回あたりの密輸量が多くなる代わりにリスキーになるようで、だから今、たまたまその端境期で国内の在庫が払底しつつあるんだよ」

 覚醒剤の価格高騰と新井の粛清、君島の逮捕。端境期だということは、近々大きな仕入れがあるということに他ならない。

 深夜、ブギーマンとなった道哉はマークしていた新井の部下のひとりを捕らえ、尋問した。その結果、葛西の言葉には概ね裏が取れた。そして、新たな情報が得られた。

「これまでは密輸したものに対し地下銀行を通じて対価を支払っていたらしいんだが、三星会が今計画しているのは、この取引手法そのものを変える、ってことらしい。詳細は今日の男も知らされていないようだった」

 紅子は満足と不満の中間のような顔だった。「そりゃあ、粛清する男の部下を核心に近い情報には触れさせないだろうな」

 こちらも、別口の情報源を探さなければならない。

 そして、道哉は紅子とふたり、デモの見物に渋谷を訪れていた。

「敵を知るのさ」と紅子は言った。「多少気に入らないが、我々が味方すべきは外国人の方で、外国人らの敵はレイシストと、組織犯罪集団。前者をこの目で見ることには意義があるさ」

「どうだかな。騒いでいるだけの連中より、マフィアの類の方が圧倒的に大きな脅威だと思うけど。現に……」

「例の母親の証言か?」

 件の母親は、自分の息子が組織犯罪集団に拉致された、と訴えていると報道された。これで、道哉らが仮定した連続誘拐仮説が補強されたことになる。だが、もっと低いフェイズの犯罪に巻き込まれた可能性や、狂言であるおそれもある。

 子供なんか初めからいないんじゃないのか。誘拐されて、ブギーマンに助けられた女の子と自分の子の区別もつかなくなっているんじゃないのか。そんな心ない言葉が溢れていた。

 報道では、女が子供と生活していたという建物が紹介された。数人の似た境遇の男女が共同生活を送るシェアハウス。だがシェアハウスという聞こえのいい言葉とは裏腹に、実態は築三十年の空き家を難民支援組織が借り上げ、明らかにキャパシティを超える数の難民を詰め込んでいたにすぎない。周辺の住民からは『アフリカハウス』と呼ばれていた。

「もちろんアフリカ大陸出身者はひとりもいない」

「なんだそりゃあ……」

「ま、そういうことだ。ちなみに借り上げていたNGOは命を脅かされている難民の日本への渡航支援や生活の支援、紛争地域へ支援物資を届ける活動などを行っている」

「まともなのか?」

「世の中すべてのその手の組織がイカれているわけではないさ。自前の船も持っているようだし、まともなんじゃないのか?」

「まともな組織でも、元難民たちを狭い家に押し込めるのか」

「そうせざるをえないんだよ」

「政権も変わったし、また被災地域の仮設住宅に押し込むわけにもいかないか」

 それでも一度受け入れてしまった以上、押し寄せる難民を無視することはできない。受け入れ枠は大幅に狭められているものの、不法移民として訪れる者は後を絶たないのだ。

「お、来たぞ来たぞ」紅子が背伸びをした。いつか見た覚えのあるオーバーオール姿だった。「ううむ、見えん。背中に飛行装置が要る。どんな塩梅だ?」

 肩と肩が触れるほどの人垣だった。警察に誘導され、休日で混雑する渋谷をさらに阿鼻叫喚地獄のごとく混雑させながら行進する人々。どうやって生計を立てているのかわからない、いかにも活動家といった様子の男女の中に、老人や、学生風の若者も混じっていることに驚かされた。

 日本は日本人の国、難民は国民の財産を食い潰す、治安の悪化、私たちは生まれ育った我が国が大好きなだけ。そんな演説を垂れ流しながら、隊列は行く。

「おおい、憂井。どんな塩梅だと訊いているんだ」

「そこに人がいるということ以外は、特に耳を傾ける意味はない」

「ほほう。君も随分わかってる物言いをするようになったじゃないか。私の影響かな?」

「意識して改めるよ……」

 若者が自分らしく活躍できる社会の実現を標榜する組織が、同じ口で外国人の排斥を訴える。保育園の待機児童問題を訴えながら、同時に子を失った難民の母親の自業自得を責める。

 不可解だがそういうものだ。きっと彼らは何かを奪われたことがないのだから。

 私たちは虐げられている、あるいは、虐げられている者の味方だと叫び、一方で他の誰かを虐げる。

「偽善がなぜ悪いのかがやっとわかった」と道哉は言った。

 紅子は薄笑いで応じる。「成せばよし、ではないのか?」

「偽善や独善は、いつかどこかで悪を生む。だから駄目なんだ」

 ほほう、と紅子は声を上げる。

 理由があるとはいえ、見に来るべきではなかったと強く感じた。知らないほうが心を豊かに保てる場所というものが世の中にはある。ここがまさにそれだった。一花にだけは見せたくない。

 人混みに押し流されながら、道哉は目を閉じた。

 くせのようなものだった。目の前に、見えないものがあるときの。

 妙な気配を感じた。

 目を開き、周囲を見回す。気配の源を探す。ひとつではない。デモ隊が行進するさまを、面白半分、迷惑半分で遠巻きにする人垣の中に、おかしな気配がいくつもある。

 敵意。だが不可思議な誇りに満ちているようでもある。少なくとも憎しみではない。

「義憤……?」

「おいどうした憂井。また非科学的な勘とやらか。勘弁しろ」

 デモ隊と、警官。

 そしてそれを遠巻きにする群衆。

 世界一とも言われるスクランブル交差点に隊列が達したとき、それは起こった。

 方々の群衆の中から、示し合わせたようにひとりずつ、だが一斉に、交通規制された通りへと飛び出す。

 デモ隊へと方々から殺到。警官隊に緊張が走り、群衆がざわつく。

 彼らは皆、真っ黒な覆面とフードを被っていた。

 プラカードを掲げている者がいる。

 大きく印刷した写真を掲げている者がいる。

 報道でもしばしば取り上げられた、学校に侵入した母親の写真だ。

 警官に次々と取り押さえられる、覆面の名無したち。

 覆面を剥がれた彼らが口々に叫んだ。

「我々は差別や偏見に屈しない!」

「我々には英雄がいる!」

「誰でもない彼が我々を見守り、いつかお前たちに罰を下す!」

 何だこれは、と紅子が言った。

「……ふざけるな」

 そう呟いて、前に出ようとする道哉の手を、紅子が掴んだ。

「やめろ。……私は、ここで君を失うわけにはいかない」

「俺が許せないのは……」

「わかっている」紅子の手に力がこもる。「わかっているから。今は、蓄えろ」

 プラカードにはこう書かれていた。

『We are faceless, we are Boogiemen!!』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る