⑬
「揺れるものは人間の情動を刺激するのさ」と電話口の羽原紅子は言った。「特に男はな。元々狩猟本能が脳に染みついているから、空間把握能力に優れ、動くものに吸い寄せられる。暗闇で揺れるものなど尚更さ。それに風説と、WIREを組み合わせれば、怪奇包帯男のできあがりというわけさ」
「よくわからないが、催眠術みたいなものか?」
「君の大雑把さが段々心地よくなってきたよ」
「それより、何で電話なんだよ。俺もお前も校舎内にいるのに」
「だからお前はやめろと言うに。我々はあくまで見ず知らずの隣のクラスの生徒だ。手を組んでいるということは知られないほうがいい」
「そんなもんかね」
「君が捕まっても、私はシラを切れる」
「おい」
「私が捕まっても、君はシラを切れる」相変わらずの芝居がかかった口調だった。「我々は共犯者だ。仲間ではない」
「いいじゃないか、仲間って」
「仲間? ワンフォーオール、オールフォーワンというやつか? 虫酸が走るね。私は仲間アレルギーなんだ」
理解できるような気がした。友情や絆、仲間の力を否定するわけではないが、その正論は、正論だけでは割り切れないたくさんのものから、あえて目を背けているように思えてならないのだ。
そして、割り切れない気持ちや関係の方が、居心地がいい。
いいじゃないか、という言葉は嘘だった。
「次だが、やはりタイミングが重要だ。連中がひとりでいる時間はやはり短い。ひとりで、人目につかない場所にいる時間となるともっとだ。こちらも、機動力を上げないと……」
「また連絡をくれ。……こうやって通話履歴が残るのもまずいんじゃないか?」
「君にしては明察だ。手段は講じる」
よろしく、と応じて電話を切る。
昼休みだった。
ここ最近、昼休みに中庭やその周辺を何とはなしに歩いてみることが道哉の習慣になっていた。島田のことが気にかかっていたのはもちろんだが、それ以上に、佐竹とその一党の様子を覗いたかったのだ。
はっきりと危害を加えたのは、元木拓海の前が初めて。
それ以前に、姿だけを見せたり痕跡だけを見せて、何者かの実在を煽るような投稿を紅子の手でWIREへ蔓延させた。
中庭に島田の姿はない。
通りがかった同級生と、午後の授業について軽く立ち話をする。それでやっと、今日提出の課題が出ていたことを思い出した。
教室へ戻ろうかと足を向けかけた時、中庭の植え込みの陰に見知った顔を見つけた。
歩み寄って道哉は呼びかけた。「よお、片瀬」
「あら、憂井。今日も不愉快な顔ね」
「……何してんだ?」
彼女は芝生の一角を踏みつけていた。足元には、三つ葉のシロツメクサが群生している。白い花をつけているものもあった。
見れば、手折られたと思しき花が足元に転がっている。
「花を摘み取っていたの。あたしより綺麗だから」
「……はあ?」
「あんた、今『こいつなら本気かもしれない』って思ったでしょ。冗談だからね」
「はあ……」
「四つ葉のクローバーってね、踏みつけられた下から生えてくるのよ」
「へえ、まじかよ」
「外的ストレスで体細胞に変異が起こって、本当は三つ葉なはずなのに四つ葉になるの」
「おどろおどろしいな。幸福の象徴なのに」
「つまりね、幸福って病なのよ」
「苦しみの果てにしか幸福や充実はないのかもしれないよ」
「だとしたら幸福や充実とは狂気の副産物ね。奪われ、傷つけられ続ける人が、自分を納得させるための」怜奈は艶然と笑う。「あんたは今、幸せ?」
「お前宗教の勧誘とかするなよ。絶対みんなどんどん騙されるからな」
彼女はしばし小首を傾げてから応じた。「美しくってごめんね」
「褒めてねえ」
「それはともかくさ、ちょうどよかった。あんたに訊きたいことがあったの」思わず怪訝な顔になって続きを促すと、彼女はためらいがちに続ける。「変な噂を聞いたのよ」
「噂?」
「野崎の幽霊の話。聞いた?」
顔をしかめて道哉は応じる。「何だ、それか。聞くには聞いたけど、ありえないだろ。そんな非科学的な」
「それは、そうだけど……」彼女はスカートの裾を気にしながらその場にしゃがみ込んだ。「茶化すような怪談じゃないのが、ちょっと気になるの。佐竹たちも怖がってるし。それに、怪談になるには早過ぎる」
「確かにまだ夏じゃないけどさ。衣替え期間ももう終わりだぜ」
「そうじゃなくて……!」
怜奈はこう続ける。
どんな学校にも、自殺した生徒が云々という怪談のひとつやふたつはあるものだ。だが、自殺した当事者の在学時代を知る生徒が山ほどいるのに、そのような怪談になるのはおかしい。怪談は、当時を知る人間がいなくなり、生徒が自殺したという噂だけが独り歩きし始めてようやく成り立つものなのではないか。
三年で在籍する人間がそっくり入れ替わる学校という環境だからこそ生まれる怪談や噂話。
「うちらの中学にもそういうのあったじゃん。詳しくは覚えていないけど」
「そういえば、あったな。俺も中身は忘れた」
「あんた、気にならないの? ……野崎のことだよ?」
珍しく上目遣いの怜奈から目を逸らして道哉は応じた。「気に病むなって言ったの、お前だろ」
怜奈は一瞬目を見開いて、それから眉根を寄せて顔を背けた。指先が、手折られたシロツメクサの花を弄んでいる。長い黒髪が肩から落ち、彼女の横顔を覆った。
もしかしたら、気に病んでいたのは、彼女の方だったのかもしれない。
斎場で、喪服姿の片瀬怜奈が髪留めを外した瞬間を、道哉は思い出していた。
あの時は、ただ苛立っているようにしか見えなかった。
「あたしね、あんたに言わなきゃいけないことがあるの」
「何だよ、改まって」
あのね、と常になく口ごもる怜奈。
すると、焦れたように道哉の携帯電話が震えた。
発信者名を確認して、道哉は言った。
「悪い。急用ができた。また今度」
「え、ちょっと」
「どうせ大した話じゃないんだろ」
「いや……あんたに、急ぎで電話してくるような人がいるんだって思って」
「失礼な」
「違うわ。あたしの独占欲」
「はあ?」
「急ぐんじゃないの?」
釈然としないまま、道哉は踵を返して電話に出る。相手は、羽原紅子だった。
「何だ」
「何だとは何だ、ご挨拶だな君は」
「緊急か?」
「ああ、緊急も緊急だ」聞いて驚くなよ、と中置きして紅子は言った。「やつらが今夜、集まる」
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