第9話「 おお! 」

「なんだか変なニオイがするヨ」


ムスヒが形のいい鼻をヒクヒクさせながら、フと顔を上げた。

荷台の揺れの中、何度となく姿勢を変えつつも、いい加減どこもかしこも痛みと疲れが滲み始めた面々も倣うように顔を上げる。


「なんでございましょう? はじめて嗅ぎますが・・」


かがりが眉をひそめながら首を傾げる。

サラリとポニーテールが揺れた。


「真砂よ。そなた屁でもひりおったか?」 


「なんだとオイ! お前の方こそ!」


「わしはこれでも高貴の生まれぞ。屁などヒらぬ」


体育座りの瑞穂は両手で口を覆いながら肩をすくめて「くくく」と楽しそうに笑った。


「まあまあ。これは潮のにおいじゃないかな?」


「シオ? 塩ににおいなどございますか、すず?」


「いや、その塩じゃなくて・・。ウィンローさん海が近いんですか?」


先ほどから、後ろの様子を聞いては、ひそかに笑いを噛み殺していたウィンローは、その丸くて大きな背中を小さく震わせながら「ああ、そうだよ」と鷹揚に答える。


「この坂、上ったら見えるよ」


「海?! 海とな! とんでもない水のカタマリというあの海かの!」


「ウミってナニ?」


「わたしも話に聞いた事はございますが、まさか自分で見られようとは・・」


「海か! わたしも写真でしか見たことないな、なあすずは知ってるのか?」


「海」の一言に一同は荷台の前方に殺到した。

すずは、その迫力に苦笑する。


「そっか、みんな見たことないんだね? 海っていうのはいっぱいの水でね。全部の国や陸地よりも大きいんだよ」


「なんとな!? 国よりも大きいと申すか!」


「そんなにお水があるんだね? じゃあ水汲みにいかなくてもいいんだ、スゴイヨ」


ムスヒの言葉はなんだかいつも所帯じみてるなあと思いつつも、すずはうまく海を説明できない自分にも気づいた。


―― 当たり前だと思ってるものほど説明しづらいんだなー。


「うん。でもねムスヒちゃん。海の水には塩が入ってるから辛くて飲めないんだよ」


「塩が入ってる? 誰が入れたの?」


「だれ?・・え~っとだれっていうか・・元々入ってるんだよ」


「なんで?」


「え~っとね。なんでかな~?」


テヘヘと頭を掻いたすずだったが、その困惑は皆の歓声によってうまくごまかせることとなった。


坂の頂点にたどり着いた馬車の先には、思いがけず近くに大海原が広がっていた。

色づき始めた午後の光の中、なんの遮蔽物もなくいきなり開けた広大な景色に、すずを除く四人の悲鳴のような声は、街道の空の下けたたましく鳴り響く。


「なんと! なんと! これはー! すごいのー!」


「うわ!うわ! お水がいっぱい! いっぱいあるー!」


「はあああ! これはこれは・・これが海でございますか・・描いていたどころではありませぬ。これはすごい・・」


「あはははは! すっげー! っでっけー! すっげー! あはははは!」


爆発する感激と歓声に、すずは嬉しくなって、みなの後ろから前方に目をやった。

すずにしても久しぶりの海だったが、以前に見たことがある海の景色よりもずっとずっと広大で、ずっとずっと穏やかであるように感じられる。

海を「資源」という言葉ではなく「恵み」と捕らえる空気とでもいおうか?

ただ大らかで、満ちていて、余すところがない。

膨大で、繊細で、謙虚にただそこにある海という景色と状況が、ただそれだけで嬉しいと思える。

すずは、まだ尽きない黄色い声を聞きながら、不思議な感動に包まれる自分に酔っているのを心地よく感じていた。



 

なだらかな下り坂をゆっくりゆっくり馬車は進んだ。

同じ道の上に合流したり、すれ違ったりする人や馬車が増えてくると、やがて行き先に大きな町が見えてきた。

大きな山を背に、海岸線までなだらかな斜面に立つ町の趣は、どこかで見た映画のようだとすずは思った。

村を出てからここまで、街道沿いの民家は数えるほどしかなかったから、町といってもそんなに大きな規模ではないだろうと考えていたすずの予想を大きく上回り、町と呼ぶより都市と呼んだほうがしっくりくる。


「あれが、ノカの町だよ」


街道をいく馬車の列に乗り入れながら、ウィンローは今のうちに着替えておいた方がいいと告げた。

確かに、周りの人たちの服装からすると、すずたちのいでたちはあまりにも異質であった。

女の姿はあまり見られないが、男達の服装から類推するに、それこそムスヒが着ている貫頭衣の方が、まだ目立たなく済みそうである。

それぞれの服の上に、キャーキャーいいながらローブを着込んでいく。

軍の兵舎から回収してきた後、誰かがたたみ直してくれたらしいそれは、幾分埃っぽさが残るものの不快な着心地ではなかった。


「おお! なんか魔女っぽいね」


「はい。おそらく魔女っぽいのでしょう」


すずの言葉にかがりが笑って返した。

道すがら、すずは聞かれるままに知っている限りの事を話していたのだが、「魔女とは何か?」という問いには「なんか魔法使って、いろんなことしたり変身したりする人」という曖昧な答え方しかできなかったのだ。

ウィンローに訊ねても「そうさのー」から後の答えはすずのそれと大差がなかった。


「とにかく和さんみたいな人だよ」


と、言われたところでなんとなく頷くしかないのだが、みな和の事は詳しく知らないにも関わらず、手放しで受け入れているらしく一様に「そういうもんか」と簡単に納得する。


ウィンロー曰く、ローブを着ている人はたくさんいる為、服装から魔女と呼ばれることはないそうだ。

それよりも、若い女の子には詐欺師や人攫いが寄ってくるからそういう輩のにはくれぐれも注意するようにと柔和な顔をしかめる。

しかし荷台の衆はあまり聞いていないようだ。

前後ろ反対に着てしまった瑞穂は、首だけ出した状態でもぞもぞとローブを回転させたが、また反対に納まってしまい「しょうがねえな」とこぼす真砂に手伝ってもらっているし、ムスヒは物珍しそうに裾をひっぱったり、フードを被ったりして楽しそうである。


「ご忠告いたみいります」


それでも、かがりが狭い荷台においても正座して深々と頭を下げた気配が伝わったのか、ウィンローは鼻から長く息をもらすと満足そうに頷いた。


そうしている間にも馬車は、混乱もなく関所を抜け、白い石畳の上に車輪を乗せる。

すずは、町に入った途端、周りの空気が変ったような気がしていた。



☆ ☆ ☆



 村長さんの娘だと紹介されたマルリーさんはパッと見、ポワワンとした感じの人だったけど、ウィンローさんの話を聞くと、もうすぐ日暮れ時の忙しい時間だろうに紹介状も読まずにさっさと馬車に飛び乗ってきた。

 聞けば、若い時分に農家の娘とは思えない行動力であちこち旅をして周ったのだそうだ。

 

「日暮れ時に寝るところが見つからなかったら大変だよ」


 ベースにのんびりした感じを漂わせる顔立ちが、ギュッと引き締まるもんだから、思わずこっちもつられて姿勢を正してしまう。それでも、


「なに。海嘯の魔女・リリオっていってもそこらにいるおばさんだよ。魔女なんて大層な肩書持ってるけどね。やってることは漁協の冷蔵庫の管理と、町の女どもの相談役くらいなもんさ。まああたしらにとっちゃ姉さんって感じかね」


「はあ・・そうなんですか」


 そういってウィンローさんに指示を出しつつ、馬車はどんどん海辺に向う。

 ちょうど夕日の頃。

 海に落ちる夕日なんてはじめて見たけど、きれいだー。

 みんな荷台から顔を覗かせて、声もなく景色に見とれてる。

 空に群がるピンク、オレンジ、紫色の雲の色も、優しく頬を撫ぜてくる夕凪の風もとっても気持ちいい。

 でも、同時にスゴイ勢いで寂しさとか後悔とかも湧き上がってくる。

 昨日は・・。

 一昨日は・・。

 なんでこんな事になって、こんなところにいるんだろうなって。

 ぎゅ~って胸に迫ってくる。


「逢魔が時とはよくいったもんだよな・・」


 こんな時に一番似合わなそうな真砂ちゃんが、似合わないこという!

 洟をすする音が聞こえた。

 なんと瑞穂ちゃんだ!

 はっ・・鼻が痛い! わたしだって泣きそうになっちゃうじゃないか!

 ああ、もうダメだ! 泣く!・・ってそのときに、おっそろしく健康そうな腹の虫が盛大に声を上げた。


「あっ・・いやその・・申し訳ない・・」


 かがりちゃんだった。

 暗くてはっきり見えないけど、膝立ちのまま後ろの方へすすす~って下がっていく。


「いやその・・夕日を見ると・・つい」

 

「あははははは!」


 みんな笑った。

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