第4話「 マジ! 」

 うわあ! ううわあ~どうしよう~! 火事だよ~!

 気がつけばなんかこれピンチでしょ? しかもなんか囲まれてるっぽいけど!

 消防署! 警察! そんなんないの~?

 とにかく崩れちゃったなぎさんの家の中に隠れたけど、なんかもう! なんかもう!

 熱っつい!

 熱っついよ!

 


■ ■ ■



「これはどうしたものかのう?」


瑞穂みずはは燃える森を見上げて「ふむ」と息を吐いた。

銀王ぎんのうの放った火炎から、森は延焼を続けていた。

高々と木々を弄る火の手は、その熱気で空を歪めて見せ、黒灰の煙を雲に届かせんばかりに吹き上げている

ぐるりとすずたちを囲むようにして、壁のような火柱それぞれが、バキバキ、ゴウゴウと猛り狂い、はしゃぎまわっているようだった。

四方を森に囲まれた家あっては、逃げ出す道も見出せない。これでは蒸し焼きにされるのを待つばかりの状況である。


「ムスヒよ。そなた雨は呼べぬか?」


頬を焼く熱を袖で庇いながら、振り返る。

火が迫る様を痛ましい目で見ていたムスヒは、キョトンと瑞穂を見返した。


「雨? 呼ぶの?」

「うむ。そなたなら呼べるのではないか? できぬか?」

「・・・・やってみる」


ムスヒは、キュッと口元を引き締めると、胸の前で合掌し、真剣な眼差しで空を見上げた。

瑞穂は燃える森の前に進み出ると、腰の太刀を引き抜き、地面に突き立てた。

そしてゆるゆると舞いはじめる。

襲い来る熱風を払うように、巻き込むように、任せるように、ひらりひらりと袖が舞う。

下から前へ、前から右へ、頭上へ。

背が反るままに腕を伸ばし。

炎に押されるままに裾を流す。

くるりくるりと翻る。

見れば、瑞穂の舞に合わせて、その周りに火の粉がまとわりはじめていた。

裾の動き、袖の動き、髪の動きをトレスするように、大きく大きく膨れ上がって渦を巻き、だんだんと昇りはじめる。

やがて、巨大な火の粉の渦はグルグルと回りながら天に届くほどに伸び上がると、その空には知らずの内にずっしりと黒雲が重なり合っていた。

一際高く掲げられた瑞穂の手が、スッと地面に降りる。

すると、高く舞い上がっていた火の粉は急に重力を得たかのように、幾千もの細い火線を伴って地に落ち、消えた。

怒号のような音を連れて、豪雨が落ち始めた。



☆ ☆ ☆



「うわ~、すっご~い」


 外に出ると、あたりは一面水蒸気。蒸せ返るほど真っ白。

 だけど火の気配は全然なくて、下は真っ黒な水溜りがそこここにできてる。

 空はペカっと晴れてる。

 さっきのトンでもない雨がウソみたい!

 すごい! 助かったんだわたしたち!


「すごいね二人とも魔法が使えるんだ! おかげで助かったよ、ありがとう!」

「マホー?」


 振り返るとムスヒさんは、ポカンと空を見上げていた。

 

「え? だってムスヒさんと瑞穂さんで雨降らせたんでしょう?」

「いや、わしではないの。ムスヒの力じゃな」


 瑞穂さんが、水溜りを避けながら爪先立ちでちょこちょこと、地面に立ってる刀の方へ歩いていった。


「金気は水気を生むというからの、わしは試しにやってみただけじゃ」

「わたしも知らない。祈っただけ」

「そおなの?」


 謙遜してるようには見えないけど、それでも確かに雨降らしたのは二人なんだよね?

 

「とにかく助かって良かったじゃない」

 真砂まさごさんが、地下から出てきたかがりさんに手を貸しながら、ニカッと笑った。

 ピピカちゃんはかがりさんの腕の中で、眠ってる。図太い子だ。

 そう、ここ地下室があった。

 雨が降り出した時にかがりさんが見つけてくれて、みんなで中に避難したんだけど、わたしたちの為に集めてくれたんだろう食糧がどっさりしまってあった。

 和さん、ホントにちゃんと考えてくれたんだ。

 井戸も見つけた。瓦礫とかいろんなものが中に落ちちゃってるみたいだけど何とかなりそう。

 みんなで顔を見合わせながら、お互いの無事を確認しあって、ほっと笑った。

 そこでピピカちゃんが、アプーって小さなあくびと共に目を覚ました。

 うおお! 可愛いよう!


「ピピカちゃんも偉かったね」


 指先でその小さな頭をそっと撫でる。いい子いい子。すると・・。

 パチクリ。

 パチクリ?

 

「わあ!」


 かがりさんが、慌ててわたしとピピカちゃんを見比べた。


「どうされた!?」


 改めてわたしは、マジマジとそれを覗き込む。

 ピピカちゃんをくるんだ白い毛皮の着ぐるみ。

 フードのところ、おでこの辺りにリスみたいな顔があって、丸い耳の付いた、よくありそうな着ぐるみ。

 その大きくてつぶらな目が! 目が動いた! キョロリとこっち見てる!

 さらに小さな声で「コー」って鳴くと、もぞもぞ動き出した。

 かがりさんもギョッとして、肘から前を伸ばすと、そのスペースで着ぐるみがスルッとピピカちゃんから剥がれて、後ろ足で立ち上がったのだ。

 みんなが見てる前で、それは前足を左右に大きく広げた。

 前足の下というかお腹の横から後ろ足にかけてペラリとした毛皮が広がってる。

 ムササビ? モモンガ? とにかく着ぐるみだと思っていたのはハンカチくらいの小さな動物だったんだ。

 その子は体の前で前足を合わせると、ペコリとお辞儀した!


「ははは! なんじゃこやつは!」 


 瑞穂さんが指先でチョイと触ると、慌てたようにもう一度頭を下げる。

 ピピカちゃんはガーゼのような肌着を着てるだけで、この子が服の替わりしてたんだ。

 なにこの子? フクロモモンガならぬ服モモンガ?

 くああ! この子も可愛い!

 どれだけ可愛さ被せてくるんだか!

 みんなでフワフワ可愛さに浸ってると、ピピカちゃんが「クチン」と小さなくしゃみをした。

 その子がサッとピピカちゃんにくるみつく。


「ェー」ってピピカちゃんが笑う。

「コー」ってその子が鳴く。

 みんなで微笑む。

 改めてみんなを見まわしたわたしは、こんな状況なのになんだかとても楽しくなってきていた。

 いきなり前途多難だけど、みんながいれば大丈夫かなってそう思う。

 まずは、もっと仲良くなりたいな。



■ ■ ■


 

すずたちは、そろって瓦礫の撤去にいそしんでいた。

瓦礫の下から、着替えの服やローブなども見つかったのは幸いだった。

洗濯する必要はあるだろうが、この世界に全く寄る辺のないすずたちにとって、和の残してくれた心遣いは、せめてもの寄す処であり、手放す気にはなれない。

家の床部分のが粗方片付いて、皆一様に息をついていると、遠くからドカドカとけたたましい音が届いてきた。


「馬? 誰ぞこちらへ参りますね」


着物をたすきで括ったかがりが、音の方に顔を向けた。

みな、かがりにならう。


「近くに人がいたんだね。よかったよかった助かったよ」

「そーかあ、そりゃそうだよね~」


額の汗を拭いながら真砂が腰を伸ばすと、すずは隣でホッと息をついた。

いくら和が魔女だからといって、人里離れたところでひとり子育てをしていたと考えるのは、とても寂しいことだと思っていたし、なんといっても他に人がいるのはありがたかった。

とにかくこの世界について何かしらの情報は得られるだろうし、うまくいけば助けがもらえるかもしれない。

やがて四騎の騎馬と、その後を必死の体で追いかけてくる男達の姿が見えた。

しかし、近づいてきた馬上の人物は険しい顔と固い声で、すずたちの期待を簡単に断ち切って退けたのだ。


「貴様らのしわざだな!」


鉄の鎧をつけた髭面の大男は、一も二もなく大声でそう断じた。

両目が激しく燃えている。

皆はギョッとして顔を見合わせるが、かがりが一歩前へ出ると髭面を見上げた。


「否!この森の大火は竜のしわざです。銀の竜が襲って参り、火を放ったのでございます。それを和どのが退けられました。わたしどもは・・」

「貴様らが地脈を切ったのであろうが! 魔女どもめ!」

「地脈? それは・・」


かがりはその剣幕に押され、ふらりと一歩下がったが、すぐ横から真砂が食ってかかった。


「地脈とやらになんかしたのもその竜だよ! 周りの有様見てわかんないのかこのトーヘンボク! いきなり飛んできて暴れまくった竜を和さんが吹っ飛ばしたんだ! 知りもしないで偉そうにぬかしゃーがって、ハッ倒すぞボンクラあ!」

「なんだと小娘が!」

「なんだじゃないよこのトンチキ! せめて話を聞いたらどうなんだ!」

「うむ。知恵にまわる分が髭にまわったか。さもしいことよな」


瑞穂も、涼やかに毒を吐く。


「貴っ様・・・!」

真っ赤になった髭面が、ワナワナと怒りに震える手を腰の剣に伸ばした。


「お、落ち着いてくださヒィ~」


ワタワタと腕を振りながら、ヒョロリと背の高い男が、火花散る空間に割って入ってきた。


「ジャゴ隊長、なんども申し上げたではありませんか! 地護ちごの魔女・和は地脈の守護者なのですよ! 自分で護っているものを自分で絶つワケがないではないですか!」

「魔女以外にこんなことをしでかす者がいてたまるか! それに竜が地脈を切っただと? その方が道理に合わんわ! やつらこそが地脈の竜気を吸って生きるのであろうが!」

「ですが・・」

「もうよい!こやつらを捕らえよ! 魔女を探せ!」



☆ ☆ ☆



 う~え~ん。

 なんでこんな事になっちゃったの~?

 女の子を槍もって取り囲むってどういうことなの!

 瑞穂さんひとりが、なんかやる気になっちゃってたけど泣き出したピピカちゃんの声と、「ここは動かぬ方が得策でしょう」というかがりさんの提案でとにかくわたしたちはおとなしく降参することにした。

 真砂さんが最後まで高速で毒飛ばしてたけど、もしあれが、自分に向いてたらわたしの心は蜂の巣になってたと思う。アンニャロたちにも少しはダメージあっただろうか。コンニャロアンニャロ。変な言葉覚えた。


 それから村なのか町なのかよくわからない集落に連れてこられたわたしたちは、納屋っていうのはこれのことか? って感じの、地面が剥き出しの小屋の中に詰め込まれた。

 入り口の外には見張りも立ってて、すぐにはなんともならない感じ。

 みんな適当なところに腰を下ろして不安げな顔で黙ってる。

 ついでに今わたしは、さらにのっぴきならない状況に身を置いていた。


「どうしたすずよ?先から落ち着かぬようじゃな?」


 瑞穂さんが、心配するでもなさそうに、ヒョイと覗き込んできた。


でもこらえておるのかえ?」


 しし?オシッコシーのししかな? なら大正解だけど。

 

「なんじゃそんなもん。ささとそこらで放るがよいに」

「なにゆってんダぁ! そこらってどこらよ!?」

「そこらはそこらじゃろ? そこな隅までいって済まして参れ」


 マイレーっ!?

 マイレないよ!

 慌ててみんなの顔見るとキョトンとしたり、苦笑したりしてる。

 聞いたら、さっき家の片付けしてるときにそれぞれ済ましてきたそうな。

 え~、そういうの誘ってよー。


 「すずのお国では、厠へ誘うのが礼なのだろうか?」


 かがりさんが少し目を逸らしながら、真面目そうに答えた。

 まあ誘わないか、外じゃなあ。

 

「あ~の~」


 もうホントにいつカウントダウンが始まるかわからないわたしは、仕方なく外の見張りの人に声をかけた。

 少しして、手に大きな壷のようなものを抱えた女の子が、よっこらと入ってくると、それをさっきまさに瑞穂さんが指し示した辺りに据える。


「こちらで」

「・・・・」


 マジか!

 マジなのか!

 ウソでしょ!

 トイレットペーパーもないじゃん!

 どうしたらいいの~!

 しかし、もう!

 もうだめだ!もう限界!んぎ~!


 膝まで下げたパンツに対して瑞穂さんが「それはなんじゃ?」って聞いてきた。

 わたしのパンツに文句でもあるのか!


「うるさーい!」


 ここは怒鳴っていいところだと思った。




 しばらくすると、さっきの背の高い人が、ノックの後に入ってきた。

 背が高いから随分大人に見えたけどよく見れば意外と若い感じだ。それにハッキリ日本人顔してる。

 髭面一行はみんな外人顔だった。途中ですれ違った農家の人たちの中にはアジアっぽい人もいたけど、とりあえずこの顔だけで信頼してしまいそう。


「ぼくはヨシといいます。一応魔術師です」


 そういって丁寧に頭を下げる。


「暴挙を止められず申し訳ありませんでした」 


 それから一方的に自分のことをいろいろ話しはじめた。

 なんでも、魔術師を目指して勉強してた見習いなのに、人が足らないという理由で無理やり称号付けて軍属へ引っ張られたヒヨッコなのだそうだ。

 それでも魔術師は普通の兵隊とは扱いが違って、まだ若いのに顧問という肩書きでこの分隊に就いているらしい。


「実力もないのに肩書きがあるせいで、友達もできずにいじめられています」


 そういって頭を掻く姿がなんだか憎めなくて、話を聞いてる内にみんなもちょっぴり笑ったりするようになった。

 もしかしたら、リラックスできるように気を使ってくれたのかもしれない。

 そして急に声をひそめると、

「ぼくは、魔女・和が地脈を絶ったなんて全く考えていません」とはっきり言ってくれた。

 その言葉を聞いてわたしたちは、今日の経緯を詳しく話すことにした。

 異世界から来たなんてことどれだけ信じてもらえるかわからなかったけど、とにかくわたしたちはピピカちゃんを護らなきゃならない。

 そのためにはこんな理不尽な状況絶対に許せないよ。

 ヨシさんはそれこそひっくり返りそうなくらい驚いたけど、「魔女ってすごいな」ってボソボソつぶやいた。


「竜を見たものは残念ながらいませんでしたが、確かに何かの吼える声を聞いたという方は何人もいます。なによりも魔女・和は村の尊敬を集めていますからね、村の人たちも信じてくれています。村にとっては絶たれた地脈のほうが問題ですし」


 そういって扉の方へ目をやると、さらに声をひそめていった。


「魔女が悪いといきり立ってるのは隊長揮下の連中だけです。ゴロツキ上がりのどうしようもないやつばかりですから、竜の調査なんかするよりも魔女・和とあなた方が地脈を切ったとでっちあげる魂胆でしょう」

「ということは、あとでそいつらにまたギャンギャンやられるってことか?」


 膝に両肘つけてアゴを支えてる真砂さんが、面倒くさそうにこぼすと、ヨシさんは明るい顔で「大丈夫です」と答えた。 


「さっき村長に話をつけてきました。これから一緒に抗議にいきます。だから絶対にそんなことはさせません。あとで迎えにきます」

「かたじけない申し出なによりですが、それではそこもとの立場が危うくなるのではございませぬか?」


 土の上に直接正座していたかがりさんがいうと、ヨシさんはなんとも複雑な笑みを浮かべた。


「それは今にはじまったことではありません。実は今回の件、悪い話だけではないのです。本隊の目が届かないのをいいことに、連中この村では横暴の限りを尽くしているのです。ぼくはまだここへ来て日が浅いのですが、本隊への報告を何度も握り潰されました。一度、殺されかけたこともありましたからね」


 なんとも、メンドクサイ背景があったものだよ。

 しかし、やっぱりあいつら悪い人たちでしたか。

 でもなあ。わたしが知ってる悪い人なんて、家の近所を走り回る暴走族とか、ガッコでクラスメイトいじめてたヤツとかそんなもんなんだけど、人を殺そうとかするような連中に捕まっちゃったのか! 心底ゾッとするよ。


「でも遠からず地脈の調査で神官が派遣されるはずです。それまでなんとか立ち回れば、そのことも報告できます。いざとなればみなさんと一緒に逃げますから」


 うう~また帰りたくなってきた~。

 怖いよ~。

 そんなわたしを察してくれたのか、ムスヒさんがわたしの手を握ってニッコリ笑ってくれた。

 そうだね。とにかく今はみんな無事でここにいるんだ。

 さっきだって大ピンチだったけどちゃんと助かった。

 怖いことなんて考えずに少しでも楽しいこと考えよう!

 わたしもニッコリ笑い返した。

 

「とにかく、すぐに戻ってきますから、ご安心ください」


 そういって立ち上がったヨシさんに、真砂さんが声をかけた。


「なあ、あんた。あたしら助けてくれるついでに、誰かおっぱい出る人探しといてくれないか? もしいなけりゃ牛の乳でもいい。なんとか見繕ってほしいよ」


 ヨシさんはハッとした顔をしてから笑顔で頷くと小屋を出て行った。

 わたしもたぶんヨシさんと同じ顔してたんだろう。そのまま真砂さんの方を見ると、「なんだよ」ってすねた顔してあっちむいた。照れておいだよ。

 ちょっと近寄りがたい雰囲気あったけどこの人ツンデレだったんだね、なんか可愛い。ほらちゃんと楽しいことだって見つけられる。


「一時はどうなることかと思いましたが、少しは望みが持てそうですね」


 ピピカちゃんを抱いたかがりさんが、顔を緩めた。

 ピピカちゃんはよく眠ってる。その顔があんまりにも安らかで、ホントに息してるのか時々心配になっちゃうくらい。

 可愛いなあ。絶対護るからね!

 

「さて、どうかの?」


 瑞穂さんが立ち上がって、なにやら遠くの気配を探ろうとしてるかの様に、ゆっくりと天井に目を走らせた。


「彼の者、確かに心根は信じられようが、果たして先のうつけ共を止めらりょうかの? あやつら手を上げれば人を動かせると考える輩じゃろ? よしなに通らばよいが・・」



■ ■ ■



やがて、納屋の中にも夕日の気配が広がり始めた。

納屋の壁は地面から少し上で途切れ、そこから夕日の色が差し込んできていた。

屋根と壁の隙間からもオレンジ色の光が、紙を差したように入り込んでいる。

他に明かりの取れない納屋の中は、急に暗くなり、同時に冷え込みだしていた。

夏服のすずは膝を抱えてぎゅっと丸まっている。

昼は少し動いただけで汗ばむほどであったが、今は震えるほどに寒い。

空腹も伴って、すずの不安は、考えまいとしても倍へ倍へと膨らみつつあった。

そこへ、わずかな軋みを上げて納屋の戸に手がかけられた気配があった。

閂を外す気配。

身を固くする一同をよそに、開いた扉から細い影が滑り込んでくるとすぐにまた閉ざされる。


「どうかお静かに」


押し殺した若い女の声がした。

目を凝らせば、先ほど便器代わりの壷を運んでくれた少女であった。


「ここからお連れします。ついてきて下さい」


見張りの兵は、納屋の隣でいびきをかいていた。

村長に命じられた村人が「魔女と仲良くしてえんだ」とスケベ面ぶら下げて、袖の下と称した薬の入った酒を渡せば、あっけなく寝込んでくれたという。

幸せそうに眠る見張りの顔が、軍のずさんな隊規を語っているようだった。

すずたちは、夕闇に紛れて村の通りの裏側へ回りこみ、土手に面した畦道を身を低くして進んだ。

日が落ちきる前に通されたのは、周りにポツポツと点在するありふれた民家の屋根裏だった。屋根裏とはいっても、収穫された農産物を貯蔵するスペースらしく十分に広く、下階で炊かれた熱が上がってきているのか、ホッとするほど温かい。

ランプの下、柔和な顔をした老婆が用意していてくれた牛乳仕立ての芋と白菜のスープを口にするとすずは、体が弛緩するままにポロポロと涙と洟をこぼした。


「・・おいしい・・ねえ・・グシュ・・」

「和さんのお弟子さんなんだってねえ、あんたたち。大変だったねえ。あたしら村のモンはみんなあんたたちの味方だよ。安心しとくれよ」


老婆は皆を見回して楽しそうに笑い、顔をクシャクシャにしてピピカを見ると「この子の分だよ」と牛乳が入った皮袋を渡してくれた。


「イルばあちゃん。ここは代わるから下にいて。わたしもすぐいくから」


案内してくれた少女が束になった毛布を器用に頭に乗せてはしごから覗いた。 

サオと名乗った少女は、すずたちよりも随分年上に見えたが、彼女もまたよく見ればそれほど皆と変らない年齢かもしれなかった。

顔立ちに幼さは残っているが、溌剌とした部分がすっかり抜け落ちたような暗い顔をしている。それでも気を使っているのか、ぎこちない笑顔をつくって言う。


「ここは声も光も外に漏れないので安心してください。様子を見て村を出ましょう。遅くとも夜明け前には」

「そういえば、ヨシさんはどうしたんですか? サオさんが来てくれたからそれでよかったのかな?」

「ヨシ? さあ見ませんでしたが・・。皆さんに手を貸すのは村長の指示ですし、村の総意です。村長もまだ戻りませんが、軍の連中を引き止めているのでしょう」

「そうなんだ・・。嬉しいですけど、村の人たちは大丈夫なんですか?」


すずの問いかけにサオは唇を噛んでうつむく。

そこへ突然、屋根のすぐ向こうから不穏な声が届いた。


「魔女が逃走した。ただちに捜索にあたれ」


すずは目を剥いて飛び上がったが、サオがすぐにそれを制した。

ワタワタと慌てだす皆を見て逆に驚いた様子である。


「落ち着いてください。あれはただの広域放声です。ご存知ありませんか?」


プルプルと首を振るすずに、困ったように笑いかける。

マイクや拡声器で聞くのとは全く音質が違い、屋根のすぐ向こうで話しているように「第一班は・・」と、まだ聞こえてくる。

不気味であった。


「なんでも兵舎にある『風の魔法具』を使うそうで、遠くまで声を飛ばせるのです。いつも本当に無遠慮で・・あいつらのせいでこの村は酷い有様です」


表情を動かさないままサオであったが、話している間にハラハラと涙が落ちるのを拭う素振りもない。

なにか口にできない事を耐えているような、感情と挙動がうまく結びついていない、そんな姿であった。


「それより和さまはご無事なのでしょうか? 今までなんとかやってこられたのも和さまの取り成しがあったおかげなんです。地脈が途切れたと聞きましたが・・その上、和さまになにかあったら・・」


すずとて、ただでさえ自身の状況がわからない上に、どんどん不安要素だけが増えていくばかりである。気を抜けばサオの涙につられて泣き出してしまいそうだった。

屋根裏に重い沈黙が落ちた。が、


「のう、サオよ。わしらとて何がナニやらさっぱりわからんのじゃ」


瑞穂の声がスコンと小気味よく響いた。


「じゃがの、和さまは三月の内に戻られるそうじゃし、わしの知るところの竜脈・・そなたらのいう地脈なんぞは、放っておいたところで半年もあれば元通りじゃぞ」


皆、キョトンと瑞穂に目を向ける。


「それにの、あのいけ好かぬ髭どもが障りだというなら是非もない機がきておるぞえ」


紅梅のように可憐な唇がニヤリとめくれ上がると、仄暗い屋根裏にあってもドキリとするような白い八重歯が覗いた。


「百鬼夜行が近づいておる。あやつら皆、鬼に喰わせてしまおうぞ」

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