第3話「 ソーっ! 」

 竜が吼えた。


 ビリビリ体が震えた。

 音が!音が直接叩いてくる!


「ギャアアアアアアアアアアア!」


 わたしも吼えていた。

 全部の指をカギみたいに曲げて、思いっきり、思いっきり吼えた。


 竜がわたしを見てる。

 でかい!おっきい!怖い!近い!

 校舎よりもずっと上にある頭。

 それでもハッキリこっちを見てるのがわかる顔の巨大さ。

 もう一度その長い首を垂直に立てて咆哮した。

 雲が散るのが見えた。


「ギャアアアアアアアアアアア!オギャアアアアああ!!」


 わたしも吼える!

 負けるもんか!


「なにやってんだ!」


 腕を引っ張られた。

 真砂まさごさんがわたしの腕を引っ張って家の外に引きずり出してくれた。

 ハッ! ナニやってたのわたし?


銀王ぎんのう! なぜ!」


 なぎさんが、先に立って叫んでいる。

 銀王? あの竜のこと?

 みんなが一斉に竜を見ていた。

 とりあえずみんな無事だった。よかった! よかったけど・・。

 ぎゃああ! やっぱりなんなのこれ!? 竜! 竜ってなに! なんで!


「なぜ地脈を断ち切ったのですか! この地の流れが途絶えれば国がどうなるかくらいわかっているでしょう! 国を沈めるおつもりですか!」

 

 全身銀色の竜は、和さんをジッと見てる。

 聞こえてるっていうか、ちゃんと言葉は理解してるんだと思う。目の感じでなんとなくそう思う。

 いや、そんなことより逃げなきゃ。お家壊したのこの竜でしょう?

 みんなも動きかねてるみたい。ここは和さんに任せるしかないんだろうけど、うわあああ、改めてどんどん怖い。怖いよ~。


『みなさん、逃げてください』


 いきなり頭の中で和さんの声が響いた。

 声じゃないよ。テレパシーとかそういうやつ? 

 みんなにも聞こえたみたい。真砂さんが、わたしの腕を握ったまま、ジリジリと後ろへ下がっている。

 でも、かがりさんは、腰に挟んでた小さい刀を取り出して「捨て置けませぬ」と和さんに並んだけど、あれと戦う気ですか!

 瑞穂みずはさんとムスヒさんもドラゴンを見上げたまま動かない。


「お答えください銀王!」


 叫ぶ和さんの声に重なるように、竜はグッと首を引くといきなり火を噴いた。

 目の前全部真っ赤!

 一歩も動けないまま、火の塊が飛んでくるのを見てる。

 死んじゃうのわたし!?

 炎がドッと全身を包んだ・・と思った。

 気がつけば、周りを透明なドームのようなものが覆ってて、炎を内側から見てた。

 前に突き出した和さんの右手の先に、魔方陣みたいなものが光ってる。

 護ってくれたの?

 

「逃げて!」


 火炎が止まると和さんは、竜の足元を横切るようにその後ろへ走り出した。

 竜がその後を追う。

 和さんを振り返った竜の尻尾が頭上を凄い音立てて通り過ぎ、一歩進むごとに地面が揺れる。

 

「いくぞ走れ!」


 呆然としたまま固まっていたら、またもや真砂さんに腕を引っ張られた。

 他のみんなもそれぞれに走りだす。

 わたしも走った!

 夢中で走った。

 森が途切れたところにあった岩山の隅に倒れ込こむと、とにかく体を丸めて両腕を全力で抱え込む。

 めちゃくちゃに息切れしてる。

 手も足も、ものすごい勢いで痺れてる。

 体の震えで、目の前が振動して見えた。

 怖かった。

 怖かった。

 怖かった!!

 震えながら周りをみてみると、近くには誰もいない、走ってる途中でみんなバラバラになっちゃんたんだ。

 どおしよう!

 遠くの方から、竜の咆哮が聞こえた。

 うあああ!もう、なんでこんなことになっちゃんたんだろう?

 なんで? なんで?

 もうやだよう!

 耳の中では鼓動が大音量で鳴っている。

 なにもかもショックで、呼吸の仕方も忘れてしまいそうだ。

 震える手を見る。

 どこか怪我してるか、右手についたこすったような血の跡にゾッとしたけど、体に痛みは感じない。今一番痛いのは破裂しそうな心臓!

 心臓も頭も耳の中も、なにもかもぐちゃくちゃだ。

 どうしよう!

   どうしよう!

     どうしよう!

 頭の中に、引きつれたような恐怖がやってきた。

 ただただ、恐怖!恐怖!恐怖!恐怖!・・・あれ?

 ・・・あれ?


「これって・・」


 わたしじゃない。

 わたし自身が恐怖を感じてるんじゃない、わたしにあるのは混乱。

 これは・・。

 はっとして顔を上げる。

 

「ピピカちゃん!」


 思わず声が出ていた。

 その声が、わたしをパニックの淵から引っ張り上げてくれた。

 あの子が怖がってるんだ!

 護らなきゃ。そのために来たんじゃないか!

 わたしは、咄嗟に森へ引き返していた。

 


■ ■ ■



意外なほど近くから身も縮むような音が届いてくる。

地響き。森の木々が倒れる音が重く響く。

上を見上げれば、空に向って轟々と黒煙が上がっていた。

 

「このバカ竜めが!こっちじゃ!」


瑞穂の声。

木々の間を走る鮮やかな緋色の衣装が見えた。


「おう、すず。無事であったか」

「なんとか。和さんとピピカちゃんは?」

「さて? まあ、こっちのほどには無事じゃろうよ」


振り返ればこちらに背を向けた銀色の頭が、高々と木々のはるか上に突き出しているのが見える。

ゆっくりと首を振ると向こうに向って火炎を吐いた。


「今のは誰かの? あやつどういうわけか、わしらと和さまの見分けがつけられんようじゃ。目の隅にヒョイと出てやればムキになって追ってきよる。不思議じゃの?」


向こうでも誰かが同じように銀王の目を引いているということか?

瑞穂は足元にあった石を拾うと銀王に投げつけた。

コンと音が聞こえる。

 

「これ、うつけの竜よ。こっちじゃこっちじゃ!」


――この人なんかすごいな。

すずは瑞穂の楽しそうな横顔を見つめたが、その間に竜が振り向きざまに火炎で森を薙いだ。

木々の間を縫って、炎の弩流が迫る。

わけもわからずデタラメに走った。

なんとか大きな木の後ろに伏せて、火炎からは逃がれたが、次いでズシンズシンと、足音が近づいてくる。

次の瞬間。すずは隠れていた木の幹ごと吹き飛ばされ、強かに地面に叩きつけられた。悲鳴を上げる暇さえない。

倒れた木の下敷きにならなかったのは運がよかったが、銀王はまだすずを向いている。

銀色の首が反った。

真正面から火の渦が逆巻きながら伸びてくるのが見えた。


「・・ヒ・・」


喉の奥で悲鳴が固体になる。

だが寸でのところで、走りこんできた和が再び火炎を受け止めていた。


「大丈夫ですか!」


正面を向いたまま和が叫ぶ。

返事をしようとするが、口がパクパク動くだけで声が出なかった。

火炎を吐きながら銀王が近づいてくる。

そのまま和を飲みこもうというのか、巨大なあぎとが地表にまで伸びたそのとき、横合いからかがりが飛び出し、銀色の眼に小太刀を突き入れた。

銀王が巨体を仰け反らせて吼えた。

天に向かって首を振りたくり、叫びとともに長い火炎がでたらめに空を踊る。

いつの間にそばにいたのか、すずはムスヒに手を引かれ、低くなったくぼみに身を隠した。少し遅れて和とかがりも飛び込んでくる。


「なんとあの者、目の玉まで硬うございました」


かがりが、震えながら小太刀をかざして見せた。


「刃が通りませなんだ」


など見るのもはじめてのすずにはよくわからなかったが、いわれてみれば切っ先がほんの少し欠けているような気がする。

まだ狂気のような咆哮は続いている。確かにダメージはあったらしい。


「逃げろと言ったではありませんか・・」


斜面に身を預けながら、どこか笑いを含んだ調子で話す和を見て、すずはギョッと目を剥いた。


「だってピピカちゃん護らなきゃ!・・。和・・さん?」


ムスヒもかがりも息を飲んだ。

顔、腕、足。ローブから露出している和の体が、滲んだようにぼやけて見えたのだ。

左手に抱えられたピピカはハッキリ見えるのに、その腕が透けて見える。


「魔力を使いすぎました。わけあって今のわたしは半霊体なのです。魔力で肉の体のように振舞っていましたが・・」

「でも・・戻るんですよね?」


すずが恐る恐る手を伸ばすと、和の体は重い霧にでも触れるような幽かな頼りなさを返してきた。


「はい・・星の調整が済めば」


そういって何度か深呼吸をする。 と、じわりと肌の質感が甦った。

すずは少しだけ安心したが、森の上を奔った火線が隠れ入った窪みを照らすのを見て、再び身を固くした。


「なんにせよ、あの者をなんとかせねば。和殿。なにか手立てはございませぬか?」


かがりが用心深く銀王の様子を伺いながら問うと、和は視線を下げてジッと考え、やがてスッと目を上げた。


「みなさん、力を貸してください」



☆ ☆ ☆



 わたしは走った。

 木の根を越え、小川を渡り、できるだけ一直線に走った。


「一瞬だけでも足を止めなくてはなりませんが・・」


 和さんの言葉を聞いて閃いたことがある。

 とにかく今は走る。

 やっと家の場所まで戻ってくると、瓦礫を踏み越えて家の中に飛び込んだ。

 カバン、カバン!

 あった!

 カバンをひっくり返し、それを手に取るとすぐに引き返す。

 うまくいくかなんてわからない。でもでも!


『思いついたことは、なんでもやってみればいい』


 どこかで聞いた言葉が今、ありありと頭の中で転がってる。

 誰だったかな? おばあちゃんだったかな?

 誰でもいいや! とにかくやっちゃうぞ!

 向う先から、銀王の叫びが聞こえる。

木々の隙間から、みんなが火炎に追いまくられて、それぞれに走り回ってる姿が見えた。


「ぎんのー!!」


 首を反らせた銀王の前に躍り出ると叫びながら、走ってきた勢いそのままに、手に持っていたものを夢中で投げつけた。


「ソーっ!」

 


 

 わたしにはひとつだけ自慢できるものがある。

 ここぞという時には、必ず運がいいということだ。

 不思議な確信と共にその感覚はやってくる。

 静かな高揚感としてやってくる。

 今、それがある。

 なぜそうなのかわわからない。

 でもこうすればいいってわかるんだ。

 だから・・。


『みなさんお願いします!』


 頭の中に和さんの声が響いた。

 ああ、和さんにもわかるんだ。

 そしてみんなにも、次にとるべき行動が伝わったってわかった。

 なんでだろう?

 気持ちいい。

 このタイミング。


 

■ ■ ■



高く放り投げた金属の細長い缶は、定められたように弧を描いて、火炎を吐くために激しい吸気をおこなった銀王の鼻の中に吸い込まれた。

制汗剤の缶。

小さく「ポン」という音に続き、銀王は絶叫した。

その時には、それぞれがその周りを正確に60°の分割で取り囲んでいた。


「リパルション!」

 

和が裂帛の気合とともに、大地に右手を衝き下ろす。

六人の足元にするどい光が疾った。

 

ドン!!!


大音量を伴って光が爆ぜた。

 


☆ ☆ ☆


 

 しばらくの間、わたしは呆然とその場に突っ立っていた。

 残像と残響で頭がふらふらチカチカする。

 竜は光の中に一瞬で掻き消えてしまった。

 はあ。どうなったんだろう?

 助かったの?


 誰かが腕を引っ張ってる。

 ああ、ムスヒさんだ。

 引っ張られるままにヨタヨタと着いていくけど、頭の中にキーンとすっごい高音が鳴り響いていて、考えることもできない。

 アヘへへ。

 連れられた先で、ぱたりと倒れた。

 ピピカちゃんが泣いてる。

 よかった無事だったんだね。

 声は聞こえないけど、とにかく大丈夫そうだ。

 みんなどうなったの? 和さんは?

 アゴでなんとか地面を支えて顔をあげる。

 アゴの下にじゃりじゃりする砂があるけど、その小さな痛みがありがたいように感じられた。

 みんないた。

 倒れてるけど和さんもいる。よかった。

 でも・・。


 和さんの向こうに森の木々が透けて見える。

 

『本当に申し訳ありませんでした。こんなことになるなんて・・』


 和さんの声がした。 

 いや、直接頭に響いてくる。さっきも聞いた感覚だよ。

 

『わたしはもう肉体を保っていられません。少し早いですがこのまま星の奥に潜ります』


 和さんの姿がどんどん薄くなっていく。

 なに? 潜るってどういうこと? いっちゃうの?


『銀王は遠くに飛ばしました。何故彼がこの様な暴挙に出たのかわかりませんが。どうか竜守たつもりの魔女、べベルをお尋ねください』


 和さんが起き上がった。

 でもその体はもうほとんど見えなくなっている。

 湯気の向こうを覗くような、光の加減で輪郭がかろうじて判別できるくらい。

 

『必ず戻って参ります。本当に。本当に申し訳ありません。どうかこの子をお願いいたします』 

 

 泣いてるのがわかった。

 その気持ちがズシリズシリと胸に落ちてくる。

 その思いで押される分だけ、わたしの涙腺もどんどん押される。

 涙がどんどん溢れ出した。

 見れば、みんな同じように泣いてる。

 ピピカちゃんも透明な気配だけになっている和さんに必死に取りすがろうとしていた。

 ちっちゃなおててが、何度も空を切る。

 それでも手を伸ばす。

 

 わたしは、もう一度しっかり自分に気合を入れてピピカちゃんを抱きかかえると、ズンと胡坐をかいて座った。

 立っていられなかったけど、薄皮一枚、糸一本で釣り上げた虚勢である。

 

「わたしたちに任せてください!」


 全身全霊で笑顔を作ると、全力でそれだけ言った。


 ふうっと和さんが微笑んだ気がした。

 その気配が通り抜ける。

 後には残り香だけが微かに残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます