異世界くるんくリン♪

弥竹 八

第1話「 ほえ? 」


すずは、夢を見ていた。



柔らかい、ぼんやりとした桜色の光に包まれて、ふわふわと宙を漂っている。

ただ漂っている。

それが無性に心地いい。

誰かがすぐそばにいる気がしていた。

姿は見えない。感じるだけだ。

いい匂いがしている。

花のような。

森のような。

水のような。

その誰かの気配を、匂いとして感じ取っている。

それが女の気配だとわかるまで随分時間がかかったように思うが、女だと気がついたときにはもうその姿を見ていた。

美しい人だった。

静かな優しい面差しで、ジッとすずの目を覗き込んでいる。

その口が動いた。


「・・・・・」


何か言ったようだが、声は聞こえてこなかった。

声の替わりに、女の意思が直接肌に触れてきたように感じられた。


「・・はい」


すずは、答えていた。


女が微笑みながら頭を下げる。

と、すずの舌に、馥郁と温もりが広がった。

感謝されたのだと思った。

思わず微笑み返す。

女が両手を差し出してきた。

その手にゆっくりと明滅しながら光る玉がある。


―― 愛おしい・・・。


すずは、陶然とする思いで、そっと手を伸ばしたのだった。




☆ ☆ ☆





「・・んが・・んは?」


 あれ?・・んん?・・?

 ゆっくりベッドから身を起こしてぼんやり部屋を見回し、そのまましばらくボケら~って止まってた。

 いつもの部屋。

 うん、いつもの部屋だ。

 なんだっけ。なにかあったような、大事なこと忘れてる気がする。

 う~ん? まあ・・・いいか。


「あっつい・・・」


 部屋の中にグデンとのさばる暑さが、寝てる間に充電されたであろう体力を、スルスル引っこ抜いていく気がする。

 カーテンの隙間から入ってきてる夏の日差しは、担任のハッちゃんみたいに明るくてエネルギッシュで無遠慮で、「ハハッ!どうしたどうした?元気よくいこう!」ってぐいぐい押してこようとする。その感じがもうすでにイヤだ。

 

「う~。うっ!」


 伸びをしようとしたその瞬間、悪寒を感じて素早くベッドの上に腕を伸ばし、思いがけず過剰にそいつを手荒く叩いていた。

 息を吸い込み、今まさに吼えようとしていた、目覚まし時計の頭。

 ほう~あっぶなかった~。

 今日も勝ち~。おかげで今日もいい日になりそう。

 でもって明日からは夏休みだ!


 部屋を出て、脱衣所につくと、パジャマも下着もそのまま洗濯機へポン。

 みんな夏は下着どうしてるんだろうねー?

 夜にお風呂入ったら替えるし、でも寝てる間に汗かくし・・?

 ふむ、今日誰かに聞いてみよう。

 シャワーでザッと汗流して、髪乾かして、あ~制服もってくるの忘れてた。

 まあ、いいか~。

 さあ。ミラー先生どうなんでしょ?中学生女子としてはどうなんでしょ?

 両サイドを短いテールでまとめた乙女が見えます。

 んふふん。まあいいでしょ。こんなもんでしょ!


「すず~。早くしなさい~」


 おお!おばあちゃんが呼んでる。もうそんな時間?


「はい~」


 もう一度ミラー先生に微笑むと、リビングへ向うのでした。


「なんで下着でうろうろ出てくるの! 早く着替えてらっしゃい!」

「いいよ後で~、あついし~」

「あら、そう」


 おばあちゃんは、スマホを手にキッチンから出てくると、こっちに軽く腕を伸ばして、ニヤニヤ笑った。


「なんでもね。動画サイトに投稿するとお金がもらえるそうよ。山分けにしましょうね」

「うわ!やめてよ~!」


 冗談じゃないよ! おもわず体を丸めて廊下へ飛び出した。

 マジだった!絶対マジだおばあちゃん。

 しばらくあれが脅しに使われるのかな?

 明日からどうやってダラダラすればいいのか!夏休みなのに!

 ブツブツいいながら着替え終わると、ハイ!もう切り替えましょう。

 さあ、あっさごっはん~。

 今日の朝ごはんは、おひつに入ったぴかぴかのご飯にオクラとエノキのお味噌汁。枝豆入りの卵焼きといわしの塩焼き、にんじんの和え物。小皿に梅干ときゅうりの浅漬け。

 おいしそう。


「いただきまーす」

「はいどうぞー」

 

 小さなおしゃもじでお茶碗にご飯をよそうと、さっそくいわしを頭からガブリ。

 お塩の加減もバッチリで、ご飯に合うことといったらもう!

 それでもよく噛む。おいしいご飯は噛んだ方がもっとおいしい。

 向かいに座ったおばあちゃんは、ゆっくり箸を動かしながら笑ってます。

 いつも、ありがとう。今朝もうまいです!


 わたしは、おばあちゃんに面倒見てもらってる。

 旬の食べ物が大好きで、口うるさくはない代わりに実力行使でグイグイくる豪快な人。 

「こうゆうの流行ってるんでしょ?」とかいって絵手紙風なキャラ弁(?)とか作ってくれたり、ちょっとずれたところはあるけど、随分前に家を出て行っちゃったお母さんの代わりに、ちゃんと育てたいんだそうです。

 ちゃんと育ってるかどうかは、今後にご期待いただきたい。

 

「ごちそうさま」

「はいー」


 今朝もきっちり三杯飯いただいて、朝餉の儀はつつがなく終了。おいしかった!

 とっとと仕度を済ませて玄関のミラー先生で最終チェックをしてると、おばあちゃんがなんだか神妙な顔でやってきた。


「いってらっしゃい。ちゃんと無事に帰ってくるんだよ」

「はいはい」

「あら、『はいはい』とか言うの? 今夜はうなぎにしようかと思ったけど、お買い物いくの忘れちゃいそうな気がするわね」

「はーい!もう、ハイってばハイ!」


 おばあちゃんは困ったように笑って、まっすぐ見つめてくる。


「いってらっしゃい」


 なんだろ?ちょっとやりにくいけど・・。


「いってきま~す」


 内心首をひねりながらも、おばあちゃんに手を振って玄関を出たのでした。


 

■ ■ ■


 

すずは立ちすくんだ。


市内の公立中学校に通う一年生。

週末に13歳の誕生日を控えた一学期の終業式の朝。

玄関のドアを出た靴底が踏んだのは、見知らぬ石畳の床であった。 

咄嗟に後ろを振り返る。

しかし、そこにあるべくあるはずの家の玄関はなかった。

目に入ってきたのは、石壁からせり出すように設えてある、古びた祭壇。

思わず口元を押さえ、ビクリと後ずさる。

視線が横へ、斜めへ、カクカクと動いた。

上を見る。

下を見る。

スカートも制服も見えた。

自分の足とさっき履いた靴が見えた。

そしてやはり、知らない石畳が見えた。

もう一度上を見上げると、石壁の先に成形の荒い木の梁。板を葺いた剥きだしの屋根裏。


「ほえ?」


木ノ内すずは立ちすくんだのだった。

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