第92話「失われた国の王女」

 『反魂香はんごんこうの効き目は長く持たぬ! 早う、わらわの言う通りにしてたもれぇ!』


 反魂香から立ち昇る独特な煙の中に浮かぶソフィア・ガルドルド。

 必死な面持ちで俺の心へ呼び掛ける。

 魂を呼び戻す反魂香の効力を、ジュリアとイザベラも目の当たりにして驚いていた。

 だが、目の前に現れたソフィアの声は念話。

 俺だけにしか聞こえていない。

 その為にジュリアとイザベラにはソフィアが何を言っているかは分からなかったろうが、身振り手振りで必死さが伝わったようだ。

 

 ふたりは当然の事ながら、ソフィアに同情する。


「何か、あの娘、悲壮感に満ち溢れていて可哀想な感じだよ。彼女の言う通りにしてあげよう!」


「そうだね、ジュリアに賛成。トール、あの娘を助けてあげて!」


  それにしてもジュリアとイザベラは本当に優しくて可愛い。

 ノロケと言われそうだが、我が嫁ながら本当に誇らしいと言える。


 ふたりの言葉を聞いて、自分の味方になりそうだと考えたのか、ソフィアは彼女達を取り込もうとした。

 念話でいきなりジュリアとイザベラへ呼び掛けたのである。


『そこな小娘達! 良い事を言う! さあ、忠実なる下婢 かひとなって、さっさとわらわの言う事を聞け!』


 ……これじゃあ逆効果だろう。

 案の定、ふたりの怒りが炸裂した。


「はぁ、下婢って何!? ムカッと来た! トール、前言撤回! 取り消しでこの人、放置しよう!」


「トール、あんな女……成仏させてやればいいのよ!」


 うわぁ!

 180度変わっちゃったぞ。


 しかしこのまま放置も可哀想だし、1回くらいは言う事を聞いてやろうか。

 どうせ、これでソフィアとは二度と会う事も無いだろうし。


『分かった、どうすれば良い?』


 俺がOKの返事をした時のソフィアの喜びようは尋常ではなかった。

 尊大な彼女が噛みながらも、必死に礼が言えたのだから。


『お、おお! や、やってくれるのか? あ、ああ、ありがとう! ま、まず、お前の名を聞いておこう』


『トール・ユーキだ』


『トールか! お前には間違いなく魔法の素養がある。そしてお前の身体から放つ聖なる魔力波オーラから創世神の御使いと妾は見ておる。これから妾が言う言霊を唱えてくれ。この言霊は実際に口で詠唱しないと効果がないのじゃ』


『ああ、良いよ』


 俺は凄い上級魔法は使えないけど言霊――まあ呪文のようなものだろうけど、唱えるくらいなら出来るだろう、多分……


『では、申すぞ! ……人型たる仮初かりそめの肉体よ! 我が声に答えよ! 生と死のことわりに反して永遠とわの時を今、この手に得たり! ……良いか?』


 ようし、1回で覚えた!

 さすがにスパイラルから貰った頭脳だ、素晴らしい。

 さあ、どんと来いだ!

 

 俺は、大きな声で朗々と言霊を詠唱したのである。


「……人型たる仮初かりそめの肉体よ! 我が声に答えよ! 生と死のことわりに反して永遠とわの時を今、この手に得たり!」


 ごとり……


 俺の言霊が玄室に響いた瞬間である。

 傍らの石壁が重い音を立てた。

 表面に美しい女性が描いてある、壁画が動いたのだ。


 全員の視線がそこに一斉に集中する。


 すると静かに壁画が動き、中は人間が立てるくらいの収納スペースになっていた。

 中には見た事の無い独特の衣装を着た、美しい金髪の『少女』が立っていたのである。


「ええっ!? あ、あれは?」


 予想外の展開にさすがの俺も驚いた。


 あれは……人間!?

 いや!

 ……俺が良く見ると『少女』は人間では無い。

 まず魔力波オーラが違う。

 生きている者が発する『気』ではないのだ。

 そして質感も人間とは微妙に違うのである。


『よよよ、よしっ! でで、でかしたぞ、トール!』


 壁の向こうから現れた人型を見て、反魂香の煙に浮かんでいたソフィアの表情は喜悦に満ち、声は興奮で上ずっていた。

 どうやら、俺の詠唱は上手くいったらしい。

 そして間を置かずに、反魂香から出る煙に浮かんだソフィアの姿が消えると、彼女らしい魔力波オーラがその人型に流れ込んだのである。


 その瞬間、人型の碧眼の瞳に光が宿り、身体がぴくりと動いた。


 あ、あれは!?


「ア、アモン!? あ、あれはっ!」


 俺は思わず叫び、嫁ズを後ろに下がらせた。


「トール、落ち着け! どうやらあれは自動人形オートマタのようだ。問題はどれくらいの戦闘力があるかだが……少し様子を見よう」


 そんな俺達の会話を他所にその自動人形オートマタらしき者は手足を少しずつ動かした。

 俺とアモンはその動きが段々と滑らかになって行くのに驚いている。


 やがて……自動人形オートマタは大きく伸びをすると段差があった収納からストンと飛び降りた。


 ああ、まるで人間のような所作だ。

 果たして……どんな行動を!?

 俺とアモンは思わず距離を取り、身構えた。

 

 しかし――


「何を構えておる! わらわじゃ、ソフィアじゃよ」


 え!?

 ソフィア?

 やっぱり……『これ』がか?


 俺が思わず構えを解いた俺を見てアモンは怪訝けげんな顔をする。

 そりゃ、そうだろう。

 ソフィアと念話でやりとりしていたのはおもに俺で、アモンは彼女が何者か知らないのだから。


「トール、彼女は一体何者なのだ?」


 眉間に皺を寄せて不審そうに聞くアモンに、俺は彼女の名を伝えてやる。


「ああ、ガルドルド帝の妹で創世神の巫女、ソフィア・ガルドルドと名乗っていたぞ」


「な、に!? ソフィア・ガルドルドだと!」


 アモンは、いつもの彼らしくない、珍しく大きな声を出した。

 ソフィアの名前に、何か聞き覚えがあるようだ。


「聞き覚えがある! ガルドルド帝国皇帝の妹にして類稀たぐいまれなる魔法の才を持つ創世神の巫女……例の大戦の末期に行方不明になったと聞いていたが……」


 俺とアモンが話すのを、いぶかしげに見るソフィア。

 彼女は改めて俺とアモンを凝視すると大きな声で言い放つ。


「先程から疑問に思っていたが、何故、トールのような神の使徒と汚らわしい悪魔が一緒に居るのじゃ? よかったら妾に理由わけを聞かせてみい」


 人化したイザベラとアモンは外見だけでは悪魔と判断出来ない筈である。

 やはりソフィアには俺と同じ様に魔力波オーラが見えて、悪魔だと識別する事が可能なのだろう。

 

 ああ、とうとう俺が神の使徒だとばれてしまったか?

 しかしアモンもイザベラも少し驚いたくらいで半信半疑と言う所だ。

 

 だが、そろそろ退散のタイミングだな。

 それに……

 ここでソフィアとこれ以上やりとりする意味ってあるの?

 相変わらず偉そうに命令口調だしね。


 俺達はゴッドハルトの依頼通りに彼女の『命』を助けた。

 主君であるソフィアの命の安全――多分、これがゴッドハルトが望んだ結果であろう。

 

 それで良いんじゃないか。


「ソフィア、俺達さっきも言ったけどここに留まる理由が無いんだ。お前の『命』を助けたし、もう良いだろう? じゃあな」


 俺が踵を返して、玄室の入り口へ戻ろうとした時である。


「待って! 待ってたもれ! わらわは寂しかったのじゃ」


 今迄の驕慢きょうまんさの欠片かけらもない、その素直な口調に俺は思わず振向いた。

 その時、俺は見た。

 少女の自動人形オートマタ、ソフィアが懸命な様子で、俺に向って駆け寄って来たのを。

 俺はソフィアの意外な行動に驚いた。

 

 そんな俺へ、ソフィアは懸命に訴えたのである。


「トール! 考えてもみよ。数千年もの間、たったひとりきりでこのような陰気な玄室に閉じ込められていたのじゃ。お前のような神の使徒がまさか来るなど奇跡という以外のなにものでもないのじゃ!」


 やはりソフィアの身体は人間のものでは無い。


 切々と訴える彼女の瞳は、美しい青い宝石で造られていたのであった。

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