第30話 竜の御子は平穏を望む

 暗闇の中に浮かび上がる松明の火。

 城門前広場の水路を越えて街側に設置された篝火を背に、松明を手にした警備隊の者達が、まるで糸で線を引くように暗い路地を辿って家々と、突然の闇に取り残された人々の探索に動き出していた。


「備蓄分を全て放出するのですか?」

「ああ、警鐘の音を聞いて、みなご馳走を楽しみにやって来るのだ。がっかりさせる訳にもいくまい」


 警鐘はそもそも緊急避難の合図であって、決して宴を知らせるものではないとか、今備蓄分を放出すれば冬は乗り切れないとか、補佐官であるハイライには言いたいことは数々あったが、必要ならば主の無茶も通すのが補佐の仕事だろうと、諦めに似た気持ちを抱き、極落ち着いた声で返事を返す。


「承りました。既に料理人達は準備を始めておりますから、いつもの手順通り取り計らいましょう」


 訓練では何度か行なった振る舞い事である。

 下働きの者達にも既に慣れがあり、戸惑いは無かった。

 むしろ、昨今の食料事情で城の食事も節約していたから、ご馳走のお零れに預かれると、士気が高い。


「案ずるな。これはくだんの魔女の悪足掻きだ。無事に終われば豊かな森の恵みにあずかれるさ」


 領主が笑ってそう言うと、まるで先が決まっている事柄のように聞こえてしまう。


「困ったお人だ」


 長年の付き合いで、彼のそういった影響力に耐性があるハイライがそう嘆息した先には、すでにその困った上司の姿は無くなっていた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「先生、それでどんな感じなんですか?」


 その困った人物である領主は、城の前庭の一画に板を並べ、そこにいくつかの綿毛包みの敷布を敷き詰め、簡易治療所となった場に姿を現していた。


「前に魔女にやられたと言って担ぎ込まれた人達と同じですね。人の体を健全に保っている血脈と気脈の内、気脈のそこここに断裂が見られます。これらは主に呼気と気力によって健全さを保つ脈なので、意気盛んで不安の少ない若者の場合は回復が楽なのです。ですが逆に呼吸も浅く、不安の多い者にとっては死に繋がる重篤な症状となります。出来ればなるべく気力を上げるように、親しい方や好む食べ物などを近くに置いてあげるようにすると少しは違うと思いますが」

「肉の焼ける匂いは効くと思いますか?」

「ご馳走ですからね。死んでいても飛び起きる人がいるかもしれませんよ?」

「……先生」


 さすがに領主は顔を顰めた。


「いえ、冗談ではありませんよ。人間という者は、根っこの部分では単純ですからね。欲望に弱くて感情に流されやすい。ちょっと聞くと悪いことのようですが、それは決して悪いことではありません。単純さは強さでもある。生きるというのは実際はとても単純なことなのです。そうでしょう? 私などが貴方様にこのようなことを申し上げるのは、熟練者に手習いの小僧が物を言うようで、気恥ずかしい限りですが」


 言葉の神妙さとは違い、優しげながら堂々とした笑みで、療法師であり、先生と呼ばれる男、ユーゼイックは言ってのけた。


「そういえば、先生はあの戦場で修行なさったんでしたね」

「ええ、あそこは酷い場所でした。ですが、一つだけ学べたこともあります」

「そうですか」


 静かに言葉を零した領主のほうは向かぬまま、ユーゼイックは患者の呼気を濡れ手を翳して確かめる。


「そう、確かに人は儚い程に脆い存在です。死は間近に、どれほど用心しても不意打ちのように訪れてしまう。ですが、その中でも、本来なら死ぬような状況を気力だけで乗り越えてしまう人間を実際に何人も見ました。人は本当は決して弱くは無いのだと、私は知っているつもりです」


 やがて、警備隊に導かれて転がり込んで来る住民達が身内を治療してもらったり、食べ物を口にして、段々と落ち着きを取り戻し、パニックが収まった頭に思考力を取り戻すと、街を覆う闇が、かの魔女の呪いであるとの囁きがあちこちで交わされ始める。


 森に入った者達への心配。

 昏倒した老人や病人、そして幼い者への不安。

 人々は兵士に詰め寄り、領主に説明を求めた。


「こうやって助けていただいている身でこんなことを言うのは不敬だとお思いでしょうが、やはり今回の件は強引に過ぎたのではないでしょうか? 妖物には呪術師というのが世の常識です。力のある呪術師を招いていればこんなことにはならなかったのでは?」


 それぞれに地域の顔役である男たちが直言を行う。

 階級社会であるこの国においてそれは危険な行為ではあったが、不安が彼等の畏怖を上回り後押しをしていた。

 日頃領主が民に親しいのも、この際は逆に悪いほうに働いていたのだろう。

 危険を感じ、思わず力でその者達を押し退けようとする兵士を制して、領主ラケルドは彼等に相対した。


「各々不安も大きいだろうが、今はその魔女との戦いの最中、不安はかの者の手段と聞く。まずはそれぞれ己が身内や友を励まし、魔女に負けぬ気力を保つように心がけよ。かの敵は不安という闇で心を折らんとして来ているのだ。皆は互いに励まし合い、美味い物で気力を整え、それぞれで出来る戦いを行なって欲しい。兵士には兵士の、民には民の戦い方がある。互いに助け合う気持ちを忘れるなかれ」


 穏やかに宣言する領主の言に、人々は互いの顔を見合わせ、隣人にある不安の顔に自分と同じ不安を見出した。


「よ、よし、俺達は未開の地であるここを自ら拓いてきたんだ。なに今更弱気になることはない、領主様に従って、俺達のやり方で戦うか」

「そうと決まればスープのおかわりをして気力を振り絞ってくるわ!」

「わしは酒だな!」

「お前はそればっかりだな、てめぇの母ちゃんは倒れた隣のじいさまの面倒を見てるじゃねぇか! ちっとは手伝え!」

「なんだと、俺が手伝えば元気なもんも死んじまうわ!」

「違いねえ」


 一部で笑いが起こり、自分で言ったはずのその男は憤慨することとなった。


 そんな時だった。

 街から見て北側の山脈が、魔女や街の有志の者たちがいるはずの場所だが、そちらからは逆側に当たる、森がより深い方向に、闇を逆に喰らうような強い光が広がったのだ。


「お? おおっ!」


 我知らず、人々の喉から声がほとばしる。


 光は渦を巻き、誰もが目を瞑り、閉じたはずのまぶたの裏にそれでも光を感じる程に眩しいひと時が過ぎ、それが収まったかと彼等が目を開けると、街や山側の森を覆っていた闇は全てがまるで最初から存在しなかったかのように消え失せていた。


 城にいる者達は知らなかったが、街中で蠢いていた化け物達もあっさりと消え失せ、香油を塗った矢を持って化け物を始末していた警備隊の面々も、にわかに標的を失い戸惑った。

 互いに様子をさぐるように顔を見合わせる人々の内、誰かが空を指差し叫ぶ。


「おい! あれ! あれを見ろ!」


 声が届く限りの場所の者達が、一斉にその方向の空を見る。


「雲?」


 最初は、青空に掛かる巨大な色を帯びた雲だと思った者が多かった。

 だが、その動きに、人々は気づき始める。


「お、おい! あれは竜じゃねえか?」

「まさか、あんな風に光を纏った竜がいるか? 精霊の時代じゃないんだぞ?」

いにしえの竜じゃないか? 神々の一画に座すという古竜様じゃ?」


 ざわめきはそのままうねりになり爆発した。

 聖印を結ぶ者、涙を流して跪く者。

 最も多かったのは歓声を上げ、踊りだす者達だった。


「福音だ! 香を焚け!」

「肉を焼け! 酒だ! 酒!」


 どんな物事も自分の楽しみにしてしまう者達は、ちゃっかり城の振る舞いの追加を要求し、それでも収まらなかったのか、更に商人にまで供出を求めた。

 商人は商人で、祝い事に出し渋るとゲンが悪いということで、言われるまでもなく持ち込みを始め、城の前庭は時ならぬ祭りの様相を呈し始める。

 不思議なことに、倒れた人々も、以前よりむしろ調子がいいぐらいの有様で次々と目覚め、おおいに食らい、飲み、楽しんだ。

 森からも知らせが入り、少年が二人程行方不明になっただけで他は全員無事だと言う。

 それへとりあえずの帰投が命じられ、伝令が再び戻った。


「全く、あなたの傍にいると面白いことばかり起きるんで退屈しませんね」


 かつて、並ぶ者なき聖なる騎士と讃えられ、しかしその剣にて救えなかった者のために騎士を捨てた男が楽しげに領主に笑いかける。


「いや、これはさすがに俺のせいじゃないだろう? それは過大評価だと思うぞ。それよりザイラック、俺はこれからちょっと見て来るからハイライを上手く言いくるめてくれ」

「あ? あ、竜で! ……ああっ! それはありませんよ、俺、あいつ、補佐官殿は苦手なんですよ?」

「大丈夫、お前達は気が合うはずだ。喧嘩する程仲がいいと言うではないか」

「ちょ、適当言ってるでしょ? ちょっと、我が君?」


 不自由なはずの体で驚く程身軽な領主は、人々の間を抜けてみるみるその姿を隠してしまった。


「で、どういう話なのか聞かせてもらえるんですね?」


 ザイラックは片手で己の顔を覆うと、背後の堅物男をどうやってやり込めようかと素早く考えを巡らせるのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 面倒事を置き去りにして単独で様子を見に飛んだ王国西の果ての街ニデシスの領主ラケルドは、そういう次第で愛騎である翼竜のアルファルスから降り立ち、ライカに声を掛けたのだった。


「お、髪を切ったのか? 男前になったじゃないか。そうしてるともうすっかり大人だな」


 ライカはほっとすると同時に、事情を知らない身からすれば当然ながら、どうして彼等がここにいるのかと不思議に思う。


「どうしてここに?」


 なので率直に尋ねてみることにしたのだった。


「なに、あの魔女のお陰で森に入った連中や街の皆が迷惑を被ってな。とりあえずそれが一段落ついたと思えば今度は昔話にしか出て来ないような竜が群れているし、お前達が森で行方不明になったと聞いたからな、もしかしてと思って来てみたのだ。いや、本当に街は大変なことになっているぞ、あの騒ぎをお前にも見せてやりたかったな」


 ライカは想像しようとして、なんとなく止めた。

 なんだか冷や汗が出て来たのである。


「それで、魔女は滅びたのか?」


 領主は、何もかもわかっているというような口調で聞いた。

 ライカもそれを不思議には思わない。

 なにしろ竜と結んだ竜騎士である。非常識で言えば本人だってライカに劣らないのだ。


「あ、はい。そうみたいです。もう全然気配がないし。それにみんなが来ていて、逃げ切れるとも思えませんし」


 もし、魔女がまだその魂を残していたとしても、あれだけの竜王が一箇所に集った影響は大きい。

 器を持たない魂など、吸収されたか大気に散ったか、どう見積もっても大元の縁も散って、全ては新たに生まれ変わったに違いなかった。


「そうか、街のほうには闇やら化け物やらが出たんだが、アレらが消え去ったんでそんなことだろうとは思っていたが、まあ終わってよかった。しかし避難途中で怪我をしたりして治療を必要としている者も多いし、城の食料や燃料の備蓄も底をついた。しばらく忙しくなるぞ」

「あ、はい」


 街で何が起きたのか、ライカは領主の話を聞いて、一瞬で不安に身を引き締める。

 祖父やミリアム、セヌや見知った人々は大丈夫だろうかと、身の内が冷えるような心地になったのだ。


「と、いうことで、明日からは大変だからな、今夜ぐらいは骨休めをしてもよかろう。ほれ、魔女探しの時に城の地下で見つかった酒も持って来た。よかったら一緒にやろう」

「え? あ、そんなのんびりしていていいのですか? あ! それより薪を集めないと! 領主様火打石はお持ちですか?」

「安心しろ、街のほうはあまり酷いことにはならずに収まった。怪我をした者もしばらく治療をすれば問題なかろう。それより心配なのは今夜は酔っぱらいだらけになるだろうということだな。朝の惨状を考えるとさすがに震えが走る。それと野営道具一式をアルに運ばせてある。あいつはバカスカ食うだけあって、けっこう力があるからな」

『それは褒めているのか? けなしているのか?』


 名前を出されたアルファルスが鼻を鳴らして己の半身に尋ねる。


「褒めているに決まっているだろ? おかしな奴だな」


 ライカは思わず吹き出すと、すっと軽くなった気持ちで彼等を見る。


「よかった」


 そんな言葉が口から零れた。


「いかん、まだ安心するのは早いぞ。森の中は人間には厳しい場所だ。安全で少し開けた場所を探さねばならん」

「あ、それならこの下がいいかもしれませんよ。元は洞窟だったんですけど上が抜けて今は谷間になっているんです。アルがいるなら降りたり登ったりする手間もいらないし」


 切り落としの崖の下には、豊かな水量の川と、多少ごつごつとしているが、火が移る心配の無い開けた場所がある。


「ほう? これはよい水場だな。位置的に少し遠いが、十分役に立ちそうな場所だ」


 おそらくは将来の開拓のことを思い浮かべたのだろうラケルドの言葉にアルファルスがニヤリと嗤った。


『なんだ、領主の仕事は骨休みするんじゃなかったのか?』


 相方の皮肉に思わず笑みを浮かべると、「そうだった」と呟いてラケルドはライカを招いた。


「それじゃあ、下に降りるか。それと、お互いに情報の交換と行こう」

「はい」


 夕闇の迫る空に残光を刻む雲が流れる。

 風がふわりと、短くなったライカの髪を掬い取った。


―― ◇ ◇ ◇ ――


「巣立ちか、俺達が独り立ちするのとはまた違う感覚なんだろうな」


 ライカの話を聞いたラケルドは、感慨深げにそう感想を漏らす。

 そもそもの、ライカが竜に育てられたという話をそのまますんなり受け入れてしまった彼は、これまでライカが感じた、人の世界に対する気持ちを、ふむふむと興味深く聞いてやり、それに感心したり、助言をしたりと、それまで己の育ちを秘密にしていたせいで少し罪悪感もあったライカの気持ちを大いに安らげてくれたのだった。


 そう、周囲に誰もいない森の中、同じ竜と深く関わる者であるラケルドと二人だけであるというこの機会に、ライカはずっと話をしてみたかった領主相手に自分の身の上を明かし、今まで感じたことを聞いてもらうことにしたのだ。

 街の様子を聞いて安心したライカは、その気持ちのままに話を切り出すこととなった。


「巣立ちは自分で考えて行う訳じゃないんです。歌が溢れてきて、自分の体が作り変わるような感覚でした」

「不思議なものだな」

『興味深いな』


 竜であるアルファルスも相槌を打つ。

 同じ竜であるとは言え、後代の竜であるアルファルスには前代の竜のような、転化という劇的な体の変化は存在しない。

 彼からしてみれば、前代の竜はおよそ神のごとき存在であった。

 実際、先に彼等が近くに現れていた間は、あまりのその気配の強さに恐怖に身を固くしていたのだ。

 その点では、お気楽に竜王達を拝んでいた人間種族の図太さは驚くべきことなのかもしれない。


「そうだ、ライカ、お前この世界で、もっとたくさんのことを知りたいと思わないか?」


 領主の言葉にライカはキョトンと首をかしげた。


「え、はい。色々なことをたくさん知りたいです」

「ふむ、そうか。なら、俺の養子になれ」


 衝撃の発言である。


「え? ええっ! どういう事ですか! 俺、じいちゃんの家族ですよ?」


 ライカはその内容を飲み込めずに問い返す。


「いや、養子というのは便宜上だ。実はな、国は上位貴族の子供を王都に集めて教育を施しているのだ。まあ国にとって都合のいい部分も多いからこその行いだろうが、なにしろ国だから金がある。有名な研究者や学者を雇ってその見識をその若者達に学ばせているという話らしいのだ。俺の今の位は一代限りのものだから、養子縁組に関してうるさいことは言われない。だが、俺が生きている間はその子供にも貴族位があるからその教育を受ける資格が得られるのさ。実の所、俺もお前のお祖父さん、ロウス殿に恩返しがしたくてな。これはいい機会じゃないかと思った訳だ」


 ラケルドの言葉に、ライカは不思議そうに彼を見た。


「そういえば、前にそんな話を聞いた気がします」

「ああ、……ライカはロウス殿が昔傭兵をしていたことはもう聞いただろう?」


 なぜかそんな家族の内情も知っている領主のことを、今更不思議に思うはずもなく、ライカは頷いた。


「はい」

「実はな、俺が小僧っ子の頃、お前のお祖父さんの傭兵団に拾ってもらったことがある。そして、そこでロウス殿は俺の人生を導いてくれたのだよ」

「じいちゃんが」


 ライカはそのラケルドの言葉を誇らしい気持ちで聞いた。

 ライカにとって、人の世界で一番尊敬している相手は祖父である。

 その祖父をほめられることは、ライカにとってなによりも嬉しいことだったのだ。


「俺はその頃、自分の行くべき場所に迷っていた。……俺は小さい頃に、骨がすぐ折れる奇病に罹っていてな。まともに動けないのに父も母も相次いで失い、戦で国を亡くした難民の子供として妹と二人で生きる羽目になった。妹にとっては俺はお荷物だったはずだが、小さくても賢くて優しい娘だった妹は、それでも俺を見捨てずに、それどころか、……あろうことか、ある日俺の病に新鮮な果物がいいと聞き込んで来て、思い余ったのだろうな、市場の果物に手を出して、見せしめに殺されてしまったのだよ」

「そんな、」


 ライカは何と言っていいのかわからずにただそう口にした。


「俺は自分を恥じた。そして、せめて妹の夢を代わりに探してやろうと思った。あいつはいつも言っていたんだ。笑顔が怖くない場所に行きたいとな」


 ライカは不思議そうに首を捻った。

 ライカからすれば逆に笑顔が怖いという意味がわからなかったのだ。

 そんなライカを見てラケルドは微笑む。


「今のこの場所では俺の言葉のほうが不思議だろうな。だが、人が殺しあうのが当たり前の場所ではな。誰かが自分を見て笑ったら、それはなにか害意を抱かれたということなのだよ。妹はおそらく母が昔語ってくれた物語を覚えていて、それに憧れていたのだろう。俺は両親の顔ですら、あまり覚えていないというのに、あの子はあまりにも賢く、そして気持ちが優しかった。……まぁだが、俺は結局、妹のためと言いながらも、実は自分の気持ちを慰めるためにそんな場所を探すことにしたのかもしれないんだがな。とにかく、あの頃の俺には生き延びる理由が必要だったんだ。しかし何しろ大陸の半分が戦をしていた時代だ。子供の足で行ける場所はどこも死と争いに満ちていて、優しさのカケラも存在しなかった。だから俺はただひたすら、色々な人に話を聞いた。子供の俺には行けない場所を彼らは知っているはずだからだ。……死にかけた人、狂った人、偉ぶった人、力のある人、だが、誰もがそんな場所はもう滅びてしまったと言っていたよ。そんな優しい場所は、もうお伽話の中にしか無いのだとそう言った。だが、そんな中、お前のお祖父さんは言ってくれたんだ。『有り得ないと言われたのなら、有り得ないと言われている場所を探せばいいじゃないか』とね」

「謎かけみたいですね」


 ライカは正直に感想を言った。

 ラケルドは笑うと、頷く。


「まあそうだな。だけど、それは俺の心に深く入り込んだ。それ以来、俺は有り得ない場所を探した。野盗の国、竜の谷、戦いを拒む国。今の補佐官であるハイライやこのアルと出会えたのも、この国に辿り着いたのも、全てはお前のお祖父さんのおかげなのだよ」

「じいちゃんは凄いって俺も思っています」


 ライカは意気込んで言った。


「そうだろう」


 ライケルドは真面目に頷く。

 ライカからすれば、ラケルドの言葉はわかり易かった。

 恩を受けたから恩を返す。

 そこには何の不思議もない。

 焚き火の光はぼんやりと闇に浮かび、ライカは光の届かない先に重ねて見えないものについて考える。


「知らないことを知るって、なんだか不思議で楽しい気持ちです」

「ああ、世の中には知らないことばかりで、それは広くて果てがない」

「じいちゃんと話してみます」


 ライカは既に決めていた。

 知りたいという欲求は強く果てしない。

 それを得られる場を与えてくれるというラケルドの言葉を断ることは、考えるまでもなく有り得なかった。


「そうだな。なに、話がこじれたら俺が殴られてやるから安心しろ」


 ラケルドは軽くそう言う。


「領主様を殴ったらじいちゃんが捕まってしまうんじゃないですか?」


 ライカは冷静に指摘した。


「なるほど、それは困るな。ならば余人に見つからないようにこっそり殴られてやろう」

『……ふう、常識人がいないというのは聞いているだけの者にも辛いことだな』


 ライカもラケルドも少し一般の人間とは常識が違う。

 だが、他に誰もいないこの場所では彼等に何かを言う者はいなかった。

 だから、ラケルドの半身、翼竜のアルファルスがせめてもと溜め息を吐いてみせるのだ。


 夜は深々と更けていく。

 明日にまた昇る太陽を待ちながら。

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竜の御子は平穏を望む 蒼衣 翼 @himuka

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