第26話 巡る世界

 暗い……昏い……場所。

 ただ硬質な響きを纏った水音だけが時の流れを伝えている。


 そんな人の世と隔絶された場所で、依り代に宿った宿り木がひたすらに宿主を貪るかのごとく、今、一つの暗い魂が命の器に取りついていた。


「カタイ」


 呟きが漏れる。


「なんというカタサか」


 かつてカサカサに渇いていた声は、湿った、粘るようなものへと変化している。


「ダガ……」


 気の遠くなるような歳月を掛けて、滴り落ちる水滴が世界に印を刻む場所で、異質な魔女は嗤う。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 仄かな灯りだけが灯るうっすらと暗い室内。

 暖かな手の女性が機織りをしている。


「あなたも一刺ししてちょうだい?」


 やったことのない作業にためらいが生じる。

 だってあれは確か  のために用意している物だから、失敗が怖い。


「最初の贈り物にはたくさんの人の手が入ったほうが幸せになれるのよ、出来の良し悪しよりも気持ちが大事なの」


 そう言って渡されたを、恐る恐る糸の間にくぐらせた。


 大きく元気な泣き声が聞こえる。

 産まれた! やっと!


「妹よ。あなたがこの子を導き守ってあげるの」

「はい、母様」


 とても誇らしい気持ちが溢れる。

 妹を包むおくるみは、白地に青い花の意匠。

 自分が刺した部分の糸が少し飛んで、そのせいで一つの花は雲の間を飛ぶ鳥のようにも見えた。


 たくさんの悲鳴が聞こえる。

 炎の赫が暗闇を揺らがせていた。

 何が起こっているのかわからない。

 ほんの少し前まで、人々は笑い合い、たくさんの部屋は光に満たされていたのに。


 押し込められた暗闇からはほとんど何も見えはしない。

 そうだ、妹はどこだろう?

 人々に囲まれていた、産まれたばかりの妹。

 自分が守らなければならないのに、この闇の先が恐ろしくてまるで体が動かない。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 ふっと、ライカは意識を覚醒させた。


「夢? でも」


 それは夢にしては鮮やかすぎ、現実にしては遠すぎた。


「オドロイタ。ココデ自分がワカるのか?」


 纏わりつくような声。

 体を縛ろうとするかのようなそれを、ライカは無意識にうっとおしそうに振り払うと、改めて相手を見た。


 それはまるで焼け焦げた木の人形のような姿だった。

 表皮に浮かぶ黒く幾重にも重なったカサブタが、年老いた松の木を思わせる。

 ゆらゆらと陽炎の中にでもいるかのように、どこか現実味を欠いた姿でソレはそこに在った。


「だれ?」

「誰でもイいサ。すぐにオマエは何も考えられなくなるのダカラ」


 再び絡もうとする声は、今度はライカに届く前に空しい木霊のようにただ響くだけで通り過ぎる。


「ウヌ? なぜ食らえぬノダ?」


 歪な人形をじっと見つめて、ライカは一つの確信を得た。


「あなたはさっきの記憶の主ですね」


 ライカの言葉は、しかし相手には理解されなかったようだった。


「ナニヲ言っておる。それよりなぜコノなかデイシキがある? ナゼ拒絶出来る? 答えるがイい」

「あなたは何がしたいのですか?」

「お前の体には強い力がアる。それを私が利用してやろうと言うんじゃないカ。無駄な抵抗はほどほどにして、おとなしく我をウケ容れよ。ドウセ助けなどありはしないのダ。我慢比べなラ時間に縛られヌこちらに分がアルのだぞ?」


 軋る金属のような笑い。

 しかし、相手の確信とは逆に、ライカにも信じられることが、いや、相手がいた。


 サッズが、やがて彼らを探し出すのは必須だと思ったのだ。

 ライカとしては、助けられて兄貴面されるのもしゃくなのでここは自力でどうにかしたいという想いもある。

 それに、今、ライカには気になることがあった。


「あなたは元は人間だったんですね。どうして人の命の力を奪おうとするんですか? 人を苦しめてどうするんですか?」


 ライカはこれ迄多くの人間に出会い、他人を傷付け奪うことをなんとも思わない、むしろ楽しんでいるような人間にも出会った。

 しかし、今、目前にいる相手はその誰とも違っている。

 欲望も暗い喜びもそこには無い。

 ただ、煮詰めたように濃密な痛みが満ちているだけだ。


「ナニを言っている。この世ハ奪うか奪われるかダ。ならば奪うモノになるベキであろう。私はそこに至ったダケだ。とても自然なコトではないカ」

「いいえ、あなたは何も奪ってはいない。破壊しているだけです。奪うというのは得ることと連なる行為でしょう。だけど貴方は何も得てはいない。ただ苦しみの意識を衣服のように纏っているだけだ。それはただの自分に対する呪いではないのですか」

「ヒトの魂を、生を、ヨロコビを、ヌクモリを奪っているのだヨ! イツカ、私から奪われたように、他の者も奪われる苦しみを知るがイイのだ!」


 ライカは耳を澄まし、その『声』の中に在る違和感を聞き取る。


「ああ、そうか。なんとなくわかったような気がします。それはやっぱり分かち合う行為なんですね。喜びや豊かさを分かち合うのとは逆に、あなたは痛みや苦しみを誰かと分かち合いたかったんでしょう? そうしたら自分の苦しみが減ると思ったんですね。でも、他人を傷付け苦しめて無理やりわかってもらおうとしたって、自分の痛みが減ることは無いんじゃないでしょうか。むしろ他人から受け取った苦しみや憎しみが増えてしまう。だからあなたはそんなにも呪われたモノになってしまった」

「オマエの言っているコトはサッパリわからない。だが、言いたいコトをイッテしまったのなら、おとなしく私に食われるがイい」


 ライカはきっぱりと首を振った。


「あなたは俺に触れることは出来ません。今の俺は意識が開いているからわかるんです。俺の中にある竜の血は、あなたには強すぎる。きっと触れれば燃え熔けてしまいます」

「ナニを? リュウだと? おまえがナニを言っているのかわからない。私はせっかく集めた魂を随分とばら撒いてしまったから、寒くてかなわないのダヨ。さあ、その魂を差し出し、肉体を私に任せるのダ」

「あなたが纏っていたのは魂ではなく呪い、憎しみや苦しみの想いです。魂は変化し続けるもの、それは自ら留まる以外には捉える術は無いのですから」

「オマエなどが知った口をキクな」

「俺は知らないけど、竜は知っています。彼等が年を経るごとに地を踏むことも他者の命を貪ることもしなくなるのは、かつて愛した魂が巡って、世界のどこかにあるかもしれないからなんです。戦いを愛し、力を好む竜達だけど、彼等は何より自らの愛した者を大事にするから、年を経て死という変化を通じて別れてしまっても、どこかに生きるその魂を愛し続けるんです」

「ザレゴトを!」


 黒く歪んだヒトガタが、それ以上のやりとりを拒んでライカに手を伸ばした。

 だが、ライカの姿に触れたと思った途端、その手は金色の炎に包まれる。


「ア、ギャアアアアア!!」


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 暗闇の中に一瞬の光が浮かんだ。

 その光は、堅く目を閉じ水びたしで横たわる少年から放たれ、そこに纏わり付いていたモヤのようなモノが、炙られたように引き剥がされた。

 焼かれ縮んだ黒いモヤは、集まって人の形を取る。


「オノレ! オノレ! 小僧め! こうなったら肉体ナドいらぬ! ケダモノを導いて、八つ裂きにして食らわしてやろうゾ!」

「ダレをどうするって?」


 その時地面が揺れ、長い年月同じ場所に滴り落ち続けていたしずくが何百年ぶりかに大きく逸れて零れる。

 闇を割り、漏れ出るその身の淡い光でうっすらと輪郭を浮かび上がらせながら、そこには巨大な存在が在った。

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