第25話 昏い道

(冷たい)


 ライカが最初に意識したのはその感覚だった。


(なんか最近こういうのが続くな)


 本当は痛いのか、実際に酷く冷たいのかわからない。

 まるで氷で作られたナイフでつつかれているようにライカは感じていた。

 覚えている最後の記憶では水に落ちたはずであり、ライカは確かに息が苦しいとは感じている。

 だが、それら全ての感覚はとても遠い。

 最も近いものは絡み付く痛いような冷たさだった。

 身をさいなむその冷たさを押し退けようとして、ライカは自分に手足の感覚が無い事に気づき、驚く。

 気づいてみれば手足だけではない。

 体の全ての感覚が今は掴めないのだ。


 だが、ライカはそのことに別段慌てたりしない。

 自分が体の無い存在として在る経験は、既に竜族の輪の中で学んでいた。

 だからこそライカは、自分がエールと呼ばれる生命の根源の状態に移行して、自身をいわば外から認識していることを理解出来たのである。

 そんな状態で肉体と繋がっているつもりで行動すれば違和感があるのは当たり前だ。

 しかし、完全に肉体との繋がりが切れている訳でもない。

 常に学ぶことを楽しんでいる竜王セルヌイによれば、今の世界の生き物は、肉体とエールが分かち難く深く結び付いていて、簡単にその繋がりが解かれることはないとのことだった。

 なので、その繋がりを辿ってみれば、ライカは自分の身体が何かに絡みつかれ、その絡みつく圧力が増していっているせいで冷え冷えとした痛みがあるのだと気づけた。しかしいかんせん、それを振り払うまでの肉体との繋がりは回復出来なかった。


(そういえば、サッズはどうしたっけ?)


 事が起こった時にライカの傍にいたはずなので、サッズはなんらかの行動を起こしていると思われた。

 しかし、今はただ、眠たさに似た気怠さがライカの全身を押し包み、何かを考えることすらも阻害する。

 それに対抗するかのように、ライカは意識の奥底で、ぎゅうと、我が身を硬く硬く、そして自らを核として小さく丸くなっていった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 ライカの後を追って地底の川へと沈んだサッズは、ゆらゆらと不気味に影が蠢く暗い水中を進んでいた。

 もはや遠慮をする理由もないので竜体に戻って水を切り裂いて進む。

 今のサッズに恐ろしいものがあるとするならば、追っている弟の、ライカの気配が急激に薄くなって行くことだ。


「くそがっ!」


 サッズの罵りは、敵に対するものというより自分に向けたものだ。

 身内の巣の近くに毒虫がうろついているのを知りながら、遂にそれを未然に殺せなかった憤りがある。

 しかし、今更自分を責め立てたとてどうしようもない。

 サッズは焦る気持ちを抑えながら昏い水中を突き進んだ。


 底なし淵から続く地底の川は、元々光が届きにくく暗かったが、今、サッズを押し包んでいる暗さには何者かの意思が関わっているようだった。

 相手も必死なのか、自分の一部を切り離し、薄く撒き散らすことで己の本体を見い出し得ないようにしているようである。

 サッズは飛竜なので、大気を操ること、分析することには長けているが、水中での能力はそこまで高く無い。

 相手はそこまで考えた訳では無いだろうが、偶然にしろこの不自由さはサッズを苛立たせた。


 サッズにとって、ライカはひ弱な小さな弟である。

 人間という種においては、ライカが自分と同程度の年齢だということは頭ではわかっているのだが、サッズの無意識の部分が、そのひ弱さを感じ取り、時にライカを卵から孵ったばかりの雛のように思ってしまうのだ。

 サッズはライカを家族として認識しているため、どうしても意識していないときにはライカを竜として捉えてしまう。

 そうすると、その竜としてはありえない程の存在する力の儚さが気に掛かってしまうということになる。

 昔自分が事故といえども殺し掛けてしまったという事実もあって、その小さく儚い存在に対して、心配と不安を拭い去れない。

 だからといって、安全な巣穴にいつまでも閉じ込めておく訳にもいかないことも、だれより自由に焦がれる性質たちのサッズであるからこそわかっていた。


 だからこそ、自身の抱える不安を払拭し、弟の幸せな巣立ちを信じるために、サッズはライカの属する場所をその目で見たかったのだ。

 無理を言ってこちらに来たのもそんな想いがあればこそだった。


「だから、自ら汚濁にまみれた愚か者なんかに邪魔はさせやしない」


 水中を震わせる咆哮が、散りばめられた闇を消し飛ばした。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 王国の西の果て、ニデシスの街では、今、未曾有の事態が起きていた。

 日中なのに黒い霧が太陽を遮り、夜のような闇が街を覆い、人々を不安に陥れたのである。

 人々は闇に怯え、やがて更なる恐怖に気づく。


「おい、あそこで蠢いているのは何だ?」


 僅かな空間しか照らさぬカンテラを、それでも命綱のように握り締め、商売にならないと帰路を急いでいた男達が囁き合った。

 ほんの僅かな明かりの生み出す明暗が、人でも獣でもない何かを浮かび上がらせている。


 それは、人に似ていると言ってしまうにはあまりにも冒涜的な形だった。

 人の形を子供が泥で作ろうと試みたような、かろうじて四肢が胴に繋がった形ではある。

 しかし、それは明らかにバランスが崩れていて、或いは一部が肥大し、或いは一部が萎え、まるで悪夢にのみ姿を現すという魔物のようですらあった。

 それが、そんなものが、日常の、生活の場面に紛れ込んでいた。


「ひ……」


 男達は思わず声を詰まらせて後ずさる。

 だが、その声に反応したかのように、歪な影は『顔』を上げた。

 そして、振り向いたソレは、口と思しき部分に亀裂を生じさせる。

 その奥に覗くのは、更なる闇の深淵。


「ひいやあああ!」


 同じような悲鳴が街のそこここで響くことと成った。


 化け物が現れて人々を襲っている。

 その知らせは巡回任務の警備隊を通して領主に伝えられた。

 城門には居残り組の守備隊が結集し、暗闇を祓うための篝火かがりび煌々こうこうかれたが、その輝きすらもすぐに闇に呑まれ遠くには届かない。

 剣で解決出来ない超常の技は、単純な力の世界に生きる者を不安にさせていた。


 兵士はともすれば怯えから来る震えで鳴りそうになる齒を食いしばり、周辺を睥睨してみせた。

 そこへ、ぼんやりとした明かりと、木靴とおぼしき足音、そして不揃いに響く軽い何かの音が聞こえて来た。

 過剰な程に武器を握って構える兵達の視界に、やがて二つの人影が浮かぶ。


「何者だ!」


 誰何の声に、その人影の掲げた灯りが振られた。

 灯りを持つからには人間なのかもしれない。

 兵達はそう考え、恐怖から遮二無二攻撃しそうな自らを抑えた。

 実際、やって来たのは力など何も持たなさそうな貧しい身なりの男女である。


「どうした? 今出歩くのは危険だぞ!」

「あの、使っていただきたい物がございます。良かったらお話をお聞きいただけないでしょうか?」


 篝火の光の中、更に光を広げるような紅味の強い金の髪に囲まれた強い意思を持つまなざしが、僅かに兵士の中から恐怖を払う。

 その女性は足が不自由なのか木製の杖を片手に持っていた。

 足音に続いた軽い音はこれだったのだろう。

 そして、その身を支えるように立つ、朴訥以外なんの取り柄もないような男がぺこりと頭を下げた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「香油ですか?」


 緊急事態にあちこちに指示を飛ばしていた最中、数日前に顔を合わせた相手の訪れを知り、領主ラケルドはその用件を聞くために前庭に作られた合同指令所の一画にいた。

 情報を一元化するために、そこに守備隊と警備隊の二隊合同の報告所を設けているのだ。

 元々城内にいては報告を受け、指示を出すのに時間が掛かり過ぎるため、ラケルドはこちらに移動するつもりだったので、合同指令所に赴くこと自体は別段何の手間でもない話だった。


 来客はレンガ地区の夫婦、セヌの両親である。

 セヌの母フォスは、両手で上品な造りの壺を抱えていて、それを領主に示してみせた。


「はい、これは私の家に伝わる香木を漬け込んだ香油です。魔除けにと持たされた物ですが、これを使った灯りはくだんの化け物を退けられます」


 その確信を持った言葉に、ラケルドも察する。


「試して来られた?」

「はい、道中に。化け物は逃げ去りました」

「無茶をなさる」


 ラケルドは溜め息を吐いて、彼女の傍らのその夫を見た。

 まだ青年に見えるその男は、なんら問題は無いとばかりにフォスの隣に寄り添っている。


「ですが、確かに助かります。こちらでお預かりして有効に使わせていただきます。……しかし、あなたのご家族はあなたを守ろうとこれを渡されたのでしょう? よろしいのですか?」


 ラケルドは彼女に対して自分の身を守るのが第一ではないのか? と問いかけた。

 フォスはそれを否定しない。


「もちろんです。これこそが私が身を守るために必要だと判断したからこそ伺ったのです。私が在る場所を守れなくてどうして私自身を守れましょう? 私の大切な人を守れなくてどうして私に平安があるでしょう? 人は自らのみで生きる存在ではないのです」


 彼女の言葉に、ラケルドは微笑んで頭を下げた。


「ありがとうございます。謹んで使わせていただきます。ところでお子様達は大丈夫なのでしょうか?」


 二人は子どもたちを伴ってはいない。

 この騒ぎの中、子どもたちだけを置いて来るのは危険なことに思われた。


「セヌがいれば大概のことは大丈夫です。これが始まった時も、周りの子供だけの家やお年寄りだけの家に声を掛けて集まるようにしてくれて。これを城に届けるように私に言ったのも、実はあの子なのです。私に心配などさせてくれない娘ですわ」

「なるほど、ご自慢の娘さんなのですね」


 フォスは微笑んだ。


「それ以上です」


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「じゃまだ!」


 レンガ地区から飛び出したノウスンは、通りを塞ぐ怪しげな化け物を硬い木で作った棒で殴り飛ばす。

 まるで土塊が砕けるように容易く散った黒い化け物は、しかしまた寄り集まってヒトガタへと戻る。

 しかし、その再生の間に開いた空間を駆け抜けられるので、倒しきれなくても移動するだけなら問題はなかった。


 カンテラで先を照らして、ようやく目的の場所に来たことに気づき、一息ついて入り口へと向かうと、その目前に人影が走り込む。


「きゃああああ!」

「くそっ! 離せ! 化け物!」


 化け物集団に囲まれながら必死でそれから逃れようとしていた家族らしい一団が、腕や足や、酷い者は頭に齧り付かれながら、通りを横切って来たのだ。


(やり過ごすか?)


 ノウスンは一瞬躊躇した。

 なぜならその一家は明らかに中央の人間であり、彼にとっては縁もゆかりもないどころか、虫の好かない相性の悪い相手だったからだ。

 しかし、やはり人が襲われているのを見過ごすのは、レンガ地区の自警団として在った彼にとっては気分が悪いことだった。

 ノウスンは舌打ちしつつ駆け出すと、その一家に群がる化け物に殴りかかった。


「どけ! 離せ! こいつら! くそっ!」


 途中から自分の分の化け物を引き剥がすことに成功した男がそれに加わり、なんとか全員から張り付いていた化け物を引き剥がす。

 しかし、その中の年老いた女性が目を閉じて熱でもあるかのように震えていた。


「おふくろ!」

「メイリ!」


 そして一行の中の小さな子どもも、ひきつけを起こしてるのか、「う~う~」と唸りながら目を剥いていた。


「おい! 子供に布かなんか噛ませろ! そのまんまじゃ舌を噛むぞ!」


 言われて、母親らしき女性が慌てて自分の上着を脱ぐとその端を娘に噛ませる。


「そこに! バクサーの一枝亭、わかるか? そこに運び込もう」


 ほとんどパニックに陥っているのだろう。

 どうしていいかわからなくなっている風のその家族にノウスンは指示を出した。


「あ、ああ、ありがとう、助かった」

「馬鹿か! まだ助かってないだろうが! 礼は助かってから言え! 急ぐぞ!」


 ノウスンは老女を抱えると、急いで店の扉を叩いた。

 背後の通りでは散った化け物が再び集まり始めている。


「ノウスン?」


 室内から灯りが漏れ、ミリアムの声がまだ少年っぽさの残る自らの恋人となった青年を呼んだ。


「無事だったか?」

「うちの両親は頼もしいからね」


 一瞬、ノウスンはミリアムが自分を頼ってくれなかったことに不満を抱くが、背後の気配にその気持ちを振り払う。


「怪我人がいるんだが、いいかな?」

「奇遇ね、こっちも怪我人がいるの」

「え?」


 入ってみると、食堂である店の中には数人の人間が息も荒く転がっていた。

 さっそく先程の一家も、子供と老人をテーブルの上に寝かせる。


「どうしたんだ? これ」

「通りのほうからひっきりなしに悲鳴が聞こえるものだから。その人達を避難させていたらこんなことに」


 ノウスンは周囲の様子に、おのれが怪我をした事故の時のことを思い出し歯噛みする。

 かつて心ならずも他人に救われたという思いが、ノウスンに行動を促した。


「なんとかしなきゃあな」


 おそらく治療所は今頃ごった返しているだろう。

 ここにいる彼等を治療して貰うために先生を呼んでくるのはまず無理だと思っていい。

 しかし、この人数を連れて治療所まで移動するのもどう考えても無理だった。


「くそっ」

「ノウスン」


 ミリアムがそっとその肩に手を置く。


「一人で何もかも解決しようと思わないで。みんなで考えましょう?」


 ノウスンは、その声と表情に、自らの気張っていた余分な力が抜けていくのを感じた。


「そうだな」


 ドンと、扉に何かがぶつかったような音に人々が息を飲む。

 顔を巡らせたノウスンは、この場にいる中に何人か、彼と同じように怯えとは違うものをその顔に浮かべている者を見出した。


「守るだけは性に合わないし、次の手を考えるか」


 闇はまだ晴れない。

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